食事後、近くの神社(両所宮)へと散策にとみんなで出かけた。地図にも小さく載っている程度の神社だけに小ぢんまりとして宮を想像していたのだが、意外に大きな三門、そして本殿が迎えてくれ、さらには名水が敷地より湧き出で、見事な庭園をも持つ神社で、そこではまた、のんびりとした朝の時間を過ごし、そしてこの時間を最後にお世話になった尾形さん宅を後にすることになった。長くお世話になっただけに、また温かく迎えてくれただけに別れというのはさらに辛く寂しいものであるが、しかし、ここは旅人である私には別れが付き物で、いつもの如く、”これが別れでなく出会いだったんだよ”と自分で必死に言い聞かせて寂しさを堪えながら、尾形さん一家、そしてのずさんに見送られ、自転車を漕ぎ始めた。ありがとうございました。
9時、遅くても10時、そう思っていた出発時刻であったが、すでに11時である。さあ、急がなければと気分を入れ替えて自転車を勢いよく漕ぎ始めるが、しかしこう言う時に限ってトラブルは付き物で、何かペダルに違和感を感じ、よーく観察してみると、自転車のペダルの軸、名前はよく知らないがベアリング部が緩んみガタついているではないか!それを締める道具も技術もないだけに、もう自転車店を探すしかない。出来るだけペダルに不可を掛けないように、慎重に自転車を漕ぎながらいろんな人に訪ね聞いて入った先は”輪商熊谷”というスポーツバイクがずらりと並ぶ立派な自転車店で、ここなら大丈夫だろうとやや安心しながら訪ねて見ると、どれどれと言った感じで、店主の熊谷さんはなんの迷いもなく、自転車を見始めてくれた。そして手際よく分解し始め、あっという間に修理完了、さらにはこのついでにと、また熊谷さんに人柄に惹かれて、さらには安心して自転車を見てもらえるということも大きく、ついでに消耗したチェーンの交換もお願いした。そしてただ修理してもらうだけでなく、もともとチャリダーであり、また旅好きの熊谷さんとだけに旅の話もいろいろ聞かせてもらい盛り上がり、このまましばらく話していたい、そう思うほどであったが、しかし、あまりゆっくりしている間はなく、ここでも寂しさを感じたものの、復活した自転車にまたがり気持ちよく漕ぎ始めたのだった。ちなみに料金の方も旅人価格。こちらが申し訳なく思うほど安くして頂いた。ほんとうにありがとうございました。
遅くなってしまったが、12時ようやく山形市街を抜けて米沢へと向けて走り始めた。しかし、こうしたトラブルも終えてみれば逆によかったとも思っていた。トラブルがあったからこそ、こうして熊谷さんとも知り合えることができ、ある意味、楽しい寄り道となった。ただ辛いのは時間の方で、この後、米沢の途中、高畠町でこのHPを見て是非寄って行って下さいと声を掛けてくれた方に立寄ることになっていた。”昼過ぎには着くと思います”と言ってしまっていただけに自転車を漕ぐ足も自然と焦り速くなってしまう。そして今日中に米沢のお宅へと”今日よろしくお願いします”と言ってあるだけに夕方までには行かなければならない。自転車を必死で漕ぎ、そして黄金色の田園地帯が見事に広がる米沢の盆地を見下ろしながら峠を越えていった。ちなみにこの米沢近郊でかたまって、いろんな方がHPを通して声を掛けてくれていた。先ほども書いたように米沢、そして高畠、さらには川西、そして長井とさすがに全てに寄って行っては時間はいくらあっても足りずに自分の予定を見ながら寄っていけるところへと行くしかない。嬉しい反面、辛い辛い選択をしなければならない。それら町を悔しさいっぱいの中、見送り高畠市街へと入っていった。
高畠で誘っていただいた鈴木さん。このお宅は美容院(BIRTH)で、椅子を空けて遅れた私を待っていてくれていた。入った早々、どうぞと誘われた椅子に座るなり散髪開始!お願いしてあったこととは言え、そのあまりの手際のよさにビックリ!そして散髪もあっという間に終え、ボサボサ頭もビッシリと決まる。 自分の予想していた以上の髪の決まり具合に大満足で、もう満面の笑みでお礼をいい、そしてこの後、鈴木さんが高畠の町を案内してくれることになった。もちろんあまり時間はないために車で手際よくまわる。まず向ったのがなんとすぐお隣の”おばこや”さん。一見すると商店街の一角の普通の大判焼・団子屋さんなのだが、しかし店内に入ってまず驚くのが、脇のショーケースに並べられた昭和の家庭用品の数々である。題して「昭和ミニ資料館」といって、この商店街の至る所にこうした小さなミニ資料館として公開展示されていた。もちろん、そんな展示ばかりでなく商店街そのものが昭和の名残を強く残し、懐かしさというよりも、逆に普通の違和感のない商店街にも見えるほどであったが、しかし、それだからこそ落ち着く空間がそこにはあり、不思議とこころを和ませてくれた。そして、そんな商店街やミニ資料よりも惹かれたのが、その店先店先で迎えてくれてるおばちゃん、おじちゃん達の笑顔である。その温かさが今、平成になり失われてきてしまっているものではないかと強く感じ、展示や町並みではなく、この心が「昭和ミニ資料館」であると、その温かい会話の中で、自然とそんな思いが浮かび上がった。
そんな昭和の温かさ、最初のうちは丁度お世話になった方が、そういう方であっただけかなと思ったりもしたが、しかし、鈴木さんに連れられ、いろんなお宅を周っている内に、資料展示でなく、その心なんだなと、この高畠のよさをしみじみと感じることになった。夫婦そろって温かく迎えてくれ、そして旅の話をするとなんと色紙までお願いされてしまった、そば処・ふくかわさん、そして、東京オリンピック短距離走に出場した伊澤さん、看板まで頼まれて作るその主人、みんなそれぞれ温かく迎えてくれ、他にはないその不思議なほどの温かさに、まるで違う世界へと迷い込んだと錯覚を起こすほどで、そう思ったとき、ふと遠野の町を思い出した。あそこも、こうした不思議な世界であったなと、しかし、その不思議さは全く違う。ただ、現代のこの社会からはなくなりつつある、忘れてしまった世界がそこには共にあった。
さて、そんな人にふれあうと共に、観光も共に進めた。5mもある石仏が座る足の神様、大日如来石仏に旅の足の安全を祈願し、また、安久津八幡宮にも参拝したり、そこに建つ3重の塔、能楽堂を見学、さらには復元縄文住宅も見てまわったりと小さな町だが、観光にも尽きない。他にも有名どころでは高畠ワイナリー、現代童話の先駆者・浜田広介記念館、そして溢れ出る温泉などなど、上げればキリがないほど見所は多く、とても全ては見てまわれないが、それでも、鈴木さんお勧めどころ散策は他にもまだまだ続いた。
京都の切戸文殊、奈良の安倍文殊と共に日本3大文殊として知られる”亀岡文殊”、そして田んぼの中にポツンと建つお勧め温泉”湯沼温泉”に入浴したりと、まだまだこの高畠の入り口でしかないが、時間の限り見てまわり、そして最後は先ほどにも紹介した伊澤さん宅で、東京オリンピックのユニホームに見惚れていた。ちなみに今日は10月10日、その東京オリンピックの開会式当日であり、まるで誘われていたような偶然である。ちなみに体育の日とは東京オリンピックを記念して作られたそうだ。
気付けば17時半、さあ、この後が大変であった。米沢まで急がなければならない。もう辺りは暗くなり始めているのは無論、さらには、今夜お世話になる情野さん、私が日暮れまでには行けると思いますと言ってしまっていただけに、わざわざ駅まですでに迎えに来てくれているという。しかし、そんな私は未だに高畠で車の中・・・ 慌てて自転車に飛び乗り、案内してくれた鈴木さん、そして、お隣の”おばこや”さんにお礼を言い、夜道の中、自転車を漕ぎ始めたのだった。
久しぶりの夜間走行。知らない道だけにさすがに怖い。私的には夜の登山道よりも怖く感じる。行き交う車に恐怖を抱くのはもちろん、この路肩をただ走るのも、いつその路肩がなくなるか、溝になったり、突然どぶ板がなくなったりと、その予測も出来なければ、さらに言えば、道のカーブまでもがよく分からない。ルートももちろんである。高々と聳える道路標識も、とても自転車の光では明かりは届かずに何も見えなく、もう、最後は自分の方向感覚だけを頼りに進むしかない。何度か路地に迷い込んだりもしたが、それでも何とか待ち合わせ場所の米沢駅に18時半頃に到着。そして待たしてしまっていた情野さんと富良野以来の久しぶりの再会をはたした!そして会った早々に渡してくれたのがお酒、そんな情野さんはすでに飲みほんのり顔を赤くして迎えてくれた。そんな酔っ払い2人、このあとのんびりと情野さん宅へと自転車を走らせた。ちなみにそんな道中、今日、あまりに慌ただしくて寄れなかった本屋にも寄ったりしてもらって帰路についたために、到着は20時近くになってしまった。
そんな遅い到着でも情野さん宅でも暖かく迎えてくれた。米沢牛入りの芋煮、お刺身と豪華料理に囲まれながら、そんな温かい家族と楽しく団欒。夜遅くまで話は尽きることなく、秋の夜長もあっという間に過ぎ去り、気付けばもう日が周ろうとしている時間であった。
★今日のお食事♪
・朝食 : ごはん・本しめじ味噌汁・漬物等
・昼食 : パン・菓子
・夕食 :
ごはん・さしみ・芋煮などなど