車輪人の自転車日本一周・登山の旅 車輪人の自転車日本一周・登山の旅

2003年 9月29日 (月) - 449日目

天気 : 晴時々雨

体調 : 良好

宿泊地 : 卯子酉様駐車場

本日の移動 : 釜石市~遠野市(遠野市観光)

走行距離 : 51.1km

累計距離 : 20,416km
本日の出費

食費 : 2278円

観光費 : 620円

宿泊費 : 0円

雑費 : 0円

費用詳細 : 食費:米2kg含む、観光費:市立博物館・城下町資料館・とおの昔話資料館

現在地 : 岩手県遠野市  ( 全走行図 )

民話の里・遠野

 明治42年、柳田國男によって著された「遠野物語」、そこにはたくさんの不思議があり、遠野へと一歩踏み入れれば夢か幻をみているようなそんな世界へと吸い込まれていった。しかし、そんな町へと踏み入れるまでが大変で、今朝も連日の雨に悩まされることから始まった。小降りどころか激しく降る雨に今日も出発意欲を失い、ただ呆然と外を眺めているしかなかった。そんな集中力のなさが為か、やっぱりHPの更新は思うように進まず、朝4時半からやっていたにも関わらず、全てを終えたのは9時近くになってしまっていた。しかし、この時間ともなるとあれだけ降り続いていた雨もようやく上がり、青空さえ顔を出し始める天気へ変わりつつあり、9時半、そんな天気に誘われるように自転車を漕ぎ始めたのだった。

 手を大きく波を打たせて、「こんなんだよ!きつよ~」と、これから向う仙人峠を皆が同じように表現してくれ、また、ほんとに自転車で越えられるのかともいう不思議そうな目でもって教えてもくれた。それほど地元の方にとっても大きな峠であり、また逆に言えば親しみのある峠だということを思わされながら坂に挑み始めていた。この遠野に行くにはどちらからいっても山を越えなければならない。唯一、西側だけは川と共に小さな口を開けているのだが、他は3方は見上げるほどの大きな山々に囲まれている盆地である。そんな峠の中では一番標高の低いところではないかと思うのだが、それでも600mは上らなければならず、この釜石市街からすでにその坂は始まっていた。

 最初のうちは緩やかな坂が延々く。そのあまりの長さにこのまま峠まで行ってしまうのではと思うほどで、「なんだ、思ったよりも楽に上れそうだな♪」ともついつい思ってしまうのだが、しかし、600mという標高差、そんな優しいものではなかった。20kmの坂道のうち、のこり5kmとなった辺りから急に斜度は変わり目の前に立ちはだかった。ちょうど釜石鉄鉱所があるあたりだろうか、ちなみに巨大な工場がこの辺り立ち並ぶのだが、しかしどれもこれも廃墟のようで、見た目、実際どの工場も今は使われていないように見えた。しかし駐車場では数台の車が見え、一部は稼動しているようでもある。ちなみにもちろんここは鉄の町、釜石を象徴する鉄鉱所であり、その繁栄を物語るように工場がずらりと並び、そして線路も縦横無尽に走っているのが見えたが、しかし、先ほど書いたようにどれも今は使われていないように見え、そんな鉄鉱所を横目に過ぎると道は急坂へと変わっていったのだった 。

峠付近にて釜石鉄鉱所
仙人峠はきつい(汗)
仙人峠より

 道は円を描いて上って行く。日も高々とすでに昇り雲の隙間から強い日差しが照りつけ、一層暑さに苦しみながらも漕ぎあがっていった。流れる汗を手の甲で何度も拭うが、しかしいくら拭おうと汗は流れるばかりであり、そして変わらぬ急な斜面を前に漕ぎ進んでいた。大型車も絶え間なく横切り歩道もない決して広いとは言えない車道だけに恐怖とも戦わなければならない。後方より迫るディーゼル音、頼むから避けていってくれ!と願いながら迫る音に耳を傾け、そして気付いた時には自分の自転車に当たっているのではないかと思うほどギリギリの間隔ですぐ真横を通り過ぎていく。もう、路肩に落ちるか落ちないかと言う所をなんとか走りながら何度もやり過ごし、それでいて、この激坂とも戦わなければならないから、体力、精神力共にすり減らしての峠道であった。それでも、必死で上り峠に上り詰めたときは、それだけ苦痛があっただけに嬉しさも大きく、漕ぐ足もついつい速くなってしまうのだが、この峠の場合にはもうひとつ難関があった。それは峠のトンネルで、長さは2500mと長く、もちろんここにも歩道はない。いやそれどころか車道もより狭くなり、そして暗闇だけにこの通過ほど神経をすり減らすものはない。熊がなんだと言いたくなるほどこちらの方が危険度は高いだろう。なにせ、これを今回限りでなく、もう何度も通過し、また今後もたくさんあるだろう。そう思うと気は重くなるのだが、しかし、無事に通り過ぎた後はその反面、喜びも大きく、いままでの鬱憤を晴らすかのように一気に坂を駆け下りていった。

 この遠野側の下り、こちらのきつい坂だろうと厚着して意気込んで向っていったのだが、すぐに下りはなだらかとなってしまい、漕がなければまともに進まないような坂が続く。また景色も一変している。上りのあの険しい山間からは想像も出来ないほどの穏やかな盆地が広がり、さらにそこには穂々の垂れ下がった収穫間近であろう田園が続いていた。自転車はその中をゆっくり、長閑な田園風景を眺めながら走らせて行き、そしていよいよ遠野市街へと入っていった。

 どんな町だろう、「いいところだよ!」、「ぜひ行って見て!」と何人からも言われてきたこの遠野の町へと期待を膨らませて入っていった先は、まずは情報収集と駅にある観光案内所へと入っていった。そんなところでまず出迎えてくれたのが、今にも動き始めそうなほどリアルな河童たちであった。そして商店街へと通り抜ければ、至る所に民話の主人公らしき銅像が立ち並んでいた。しかし、その民話をまだ何も知らないだけにまだ感動はない。ただそれを知るためにさっそく入ったところが”とおの昔話村”であった。そしてこの遠野に昔から語り継がれてきている数々の民話を、時にはパネルで、また映像で、さらには実際におばあちゃんが話せて聞かせてくれたりする所もあり、最初のうちは方言だらけでただ聞きにくい昔話だとあまり興味も湧かなかったのだが、しかし、徐々にその不思議な世界へとはまっていった。その地区独特の方言があるからこそ、この民話を語ることができ、また民話とはそうでなければならないとまで終いには思うようになっていた。さて、この民話、どうここでそのよさを表現してよいのか困ってしまう。ここでその民話をひとつ紹介したところでも、そのよさは伝わらないだろうと思うし、また自分自身も最初のうちは分からなかっただけに、そしてその良さが分かった後も、なにがよいのか自分でもはっきり分からないから説明のしようがない。遠野の持つ、独特の雰囲気がそうさせているのだろうか、しかし、そうは言っても私の最初の町の印象もそれほど興味深いものはなかった。思えば思うほど不思議な遠野の町である。そしてそれが魅力なんだろう。

遠野のやってきました♪
とおの昔話村
柳田國男も泊った部屋

 不思議といえばこの遠野の町を去るときも不思議な感覚に襲われた。市街から遠ざかり、辺りを田園が覆い尽くし始めた頃、ふと、不思議な世界から抜けたような気がし、また戻りたいという後ろ髪引かれるような気持ちにもなり、そして今日、今さっきまでのことがまるで夢の中の出来事のようであった。至る所に不思議が隠されているそんな遠野の町を日が暮れるまで観光していた。

 そんな遠野の町の1日であったが、しかしそんな中でちょっとしたハプニングもあった。それは突然の雨。まさにスコールと言った豪雨であり、また強風も突然吹き起こり、今までの晴天から一変し嵐となった。自分はそんな時、資料館の中で見学していたので濡れることはなかったのだが、しかし自転車は露天に放置したまんまであり、慌てて豪雨の中へと飛び出して行き移動させたのだが、しかしすでに自転車は水が溜まるほどビッショリ、そして私もたかが1,2分、外に出ただけで同様にビッショリになっていしまっていた。なんとも悲惨な雨であったが、しかし、この後に広がる青空、空気が洗われただけに澄み渡り、思わず歓喜の声をこぼしてしまうほどの展望が目の前に広がった。今しかないと思い、慌てて高台の鍋倉城跡に駆け上り、そしてその展望台から市街を見下ろせば、言葉を呑むほどの美しさであり、しばらくその展望に魅入っていた。

突然も雨にビッショリ・・・
民話を生で聞く♪
鍋倉城跡に建つ展望台
市街を見下ろす
遠野の風景

 こうして遠野市街の観光を終えて、そして最後、寝床を探しながら民話ゆかりの地、卯子酉様、五百羅漢を観光。ただ、この五百羅漢、看板はあるのだが、その石仏群がどこにあるのか探しに探すが分からない。まるで消えてしまったかのように、いや、逆に自分が他の世界へと迷い込んでしまったのではとやや恐怖に駆られながら、結局は諦めて薄暗くなる中、後にした。そして町を離れ向った先は道の駅、そこで寝床を求めようとしたのだが、しかし、意外に賑やかで落ち着かなく、先ほどの卯子酉様まで戻って、その公衆トイレ脇にテントを設営し寝ることにした。

卯子酉様
五百羅漢
遠野を流れる猿ヶ石川

 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : ごはん・レトルト丼・味噌汁
 ・昼食 : パン×4
 ・夕食 : ごはん・レトルトカレー・菓子




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