久しぶりに雲ひとつない真っ青な空が広がっていた。そして目の前の同じく真っ青な海の先には今日はくっきりと北方領土の地・国後島が浮んでいた。戦前までは日本の土地であり、またそれ以前は一度も他国の土地となったことのない日本固有の土地であるはずなのに今はロシア領として統治されている。この北海道に入ってから北方領土に関することを多く耳にし、そしてさらにこの道東に入るとそれは色濃く現れ、至る所に返還を訴える資料館が建ち、碑、そして看板も目立ち、今もなお衰えない返還要求の強さを感じた。ちなみに返還を求めているのは北方の北海道に付属する歯舞諸島・色丹島、国後島・択捉島の4島で、これらの島は江戸末期に当時のロシアと交渉を交わし国境が決められ日本領として正式に定められている。その後の明治からの戦争や条約で千島、南樺太はいったんは日本領となったが、敗戦後、この両島を失った。しかし、千島こそ放棄したがこの北海道に付属する固有の領土4島は放棄していないにもかかわらず、現ロシアが不法に占領を続けているのが現状だ。戦前までの長い日本の歴史が4島にはあり、そして北海道同様に開拓を乗り越え、そして2万人弱の人達が敗戦まで定住していた土地でもある。しかし戦後、強制送還され、今、帰る故郷を失い、ただ帰れぬ4島を眺めながら日々を送っているのが現状で、そんな方々の話を資料館では聞くことができ、まだ戦争が終わっていないことをこの道東の地で肌に感じていた。
そんな北方領土を眺めることの出来る今朝のキャンプ場。いや、南端・国後島を囲むようにし北海道の台地が広がる為に、ここだけでなく、この根室湾沿いならどこからでも北方の島々を望むことが出来る。それほど間近である島を眺めながら今朝もHPの更新に追われていた。4時の起床、そしてHP・食事・HPといつもの順で進め、そして普段ならない作業も今日は行なわなければならなくもあった。それは、昨夜降り続いた雨により、自転車のカバンがビショビショニなってしまい、ザックカバー内には水がたんまりと溜まるほど・・・ それら水害を被ってしまった物を芝生一面に広げ乾かさなければならない。ただ、先ほどにも書いたように嘘のように真っ青な空が今朝は広がり、その陽気で目に見えて乾いていくのでそれほど苦はなかった。こうしてPCとそして水害を片付け10時頃、キャンプ場を出発した。
やはりこの青空広がる日差しの下で走るのは気持ちがいい。昨日のあの足の重さが信じられないほど今日は気持ちよく漕ぎ始めた。そしてまず立寄ったのが標津町の”北方領土館”、そのあとは隣町・別海町にあるこれまた”北方領土館”で、共に北方領土の歴史を語り、そして現状を教え、過去のものにすることなく故郷を伝えていた。別海町の地に建つ”叫びの碑”がまさに故郷の返還の強い気持ちを訴え、もちろんその碑の先には4島の姿があった。
汽水湖である野付湾をのんびり眺めながら走る。徐々に吹き始めた向かい風がやや気になるところだが、それでもこの空と温かな陽気のお蔭かそれほど苦になることもなく気持ちよく北海道の広大な台地を抜けていく。標津町を過ぎると見渡す限りの湿原か牧草地となり、そのような景色が数十キロ続く。さすが北海道の大地だとも思いながらも、その延々と変わらぬ風景に飽きも感じてきたころ、ポツンと目立たぬ観光地が目に入った。よほど注意し走らなければ見逃してしまいそうなそこは”奥行臼駅逓”と呼ばれる北海道独特の駅舎が保存されていた。だが、ここは列車の駅ではない。人や郵便物の駅で、こうした交通不便な地に駅舎と人馬を揃え、宿泊の輸送の便をはかるために作られた施設で最盛期には道内に250箇所近く設置されていたそうだが、開発の進展にともない続々と廃止され戦後には姿を消した。そんな歴史を伝える数少ない駅逓のひとつがこの奥行臼駅逓であり、そして驚くほど大きな駅舎内をのんびりと見学させてもらった。
風蓮湖を眺めながら、この後はひたすら根室を目指し走った。だが、この果てしなく広がる草原の台地だけに向かい風はいっそう増し昨日以上に風に苦しめられるが、しかし、この快晴だけは変わることなく日差しは眩しいばかりに照りつけ、そしてその光により植物が光合成するが如く、自分も力をもらっているかのように気力は増し、疲労感感じることなく漕ぎ進み、そして沈み行く夕日を眺めながら今日の目的地・根室市キャンプ場に入った。それもちょっとドキドキのキャンプ場。実は今日この地で人と待ち合わせしていた。その方とは飯豊山、札幌、夕張ともう4度目になる再会それは、のずさん(石井さん)だ。また仕事の休暇を利用し旅・登山好きのだけにこうして遊びに来てくれた。さらに今日はのずさんのお父さんも一緒で、共に再会の喜びを分ち合っていると、「おー!しんちゃん!」と声が・・・ 聞き覚えのある声、そして見覚えのある”日本一周プレート”を見、あれは!と思いテントより顔をのぞかせてくれたたのは稲ちゃん(稲垣さん)であった。彼とももう再会は青森、下北とこれで3度目であり、それも今度はほんと偶然な再会だけに嬉しくハイタッチを交わして喜び合った。そして夜はのずさん親子の宴に招待され、稲ちゃん、そしてチャリダーゆうちゃんも加えて、お酒や鍋をご馳走になりながら5人で大いに盛り上がり夜は深けていった。
そんな時である。パトカーが2台、このキャンプ場へとやってきた。「何かの事故か?」とソワソワしていると、それは熊の襲来?であった。このキャンプ場から僅か2kmほど先で熊が目撃されたと言う。それも巨大でやや凶暴化しているという話だ。そんな情報を耳にし、みな青ざめるが、しかし、私とのずさんは「へー」と言う感じでそれほど驚くこともなく動じもしなかった。鈍感なのか、それとも気が強いのか分からないが熊に対し、ただ”怖い”というだけの感情は起こらない。確かに怖くもあるが、しかしなぜか”襲われない”という自身があり、襲われるにしても自分がその理由を作るからである。そんな理論をのずさんと私は勝手に持っていた。そんなためか夜もグッスリ♪23時頃、ほろ酔いの中、気持ちよく就寝した。
★今日のお食事♪
・朝食 : ごはん・味噌汁(ほうれん草・豆腐入り)
・昼食 : パン×3・アイス
・夕食 :
鍋・横浜シュウマイ