車輪人の自転車日本一周・登山の旅 車輪人の自転車日本一周・登山の旅

2003年 7月23日 (水) - 381日目

天気 :

体調 : 良好

宿泊地 : RH貝沢民芸

本日の移動 : 夕張市~平取町

走行距離 : 72.2km

累計距離 : 16,859km
本日の出費

食費 : 1355円

観光費 : 200円

宿泊費 : 0円

雑費 : 0円

費用詳細 : 観光費:義経資料館

現在地 : 北海道平取町  ( 全走行図 )

ゴーストタウン

 炭坑がここにあったと言われてもよく分からない・・・ それほど面影が残っていない。 今日は谷さんの車に揺られて昨日見た役所方面の炭坑とは反対の鹿島方面へとやってきた。もちろんそんな今朝はやっぱり日記に追われ、そして9時半頃、今日も時間に追われて途中で切り上げてしまっていた。そんなドライブは、見るもの全てが不思議でならない。いや、その見るものがない。「ここが学校があったところだよ。」、「住宅街・・・」、「工場・・・」、どこも今は面影はなく、言われて見てみて初めて、なんとなくそんな空地があるように見えるというのがやっとである。それほど辺りは雑草に覆われ荒廃していた。いや逆に自然へと帰っていた。どこを見わたしても家の一軒どころか、人工物もない。それどころか大した平野もないように見える。が、ここには何万人ともいう人が住み、この夕張市全体では15万人ものひとが最盛期にいたそうだ。その最盛期とは昭和30年代後半頃だったという。学校も幾つも建つが、それでも足りずに1学年11クラスという規模。なんと、それでも足りずに2部制だったこともあるそうだ。そんな大きな町がここにあったとは、今の現状では想像もつかなかった。

 南部付近では今も少しではあるが家々が残っていた。それでもその大概は空き家である。時には巨大な建物が残るが、よく見ると封鎖された体育館、もう使う人もいないのだろう。さらに以前はボーリング場だったと谷さんは話してくれた。また、そんな集落には、除雪車や客車が今でも保存され当時の様子を残していた。だが、今はその駅や汽車が不似合いになってしまうほど、小さな小さな荒れた集落となってしまっていた。

 最後に、沼ノ沢方面も走ってくれた。この辺りは国道に面していることもあり、道沿いには真新しい家も建つ変哲もない町並みなのだが、一歩奥を覗くと一目で炭坑の名残だと分かる長屋が見え、さらに奥へと入っていくと巨大なアパート群が立ち並んでいた。いったい何棟あるのだろうか、もうとても数え切れないほどで、ひしめく様に立ち並んでいた。だが、その入居者というとほとんど空き家で、目を凝らしてなんとか人気のある部屋を見つけられるといった感じである。さらに奥へと進めば、完全にゴーストタウン・・・ 全く人気のない工場やアパートが今も残り、人気がないだけに気持ちが悪い。ここに住んでいた人達も今は他で頑張っているのだろうが、でも”死の町”という印象を受けてしまい、疫病などで全滅した町にすら見えてしまう。それにしても時代の流れとはいえ恐ろく感じる光景である。

炭坑列車
列車内
夕張炭坑跡
ほとんどが無人・・・
廃墟

 重たい気持ちになってしまったが、気を取り直して華やかな夕張メロン街へと戻る。立ち並ぶメロン店はどこも人で賑わい、そのメロンの美味しさを物語っていた。その中でも特に込み合う駅近くのメロン店が谷さんの働くところだ。あまりのメロンの美味しさに、自分だけ食べるのはほんと申し訳ないほどで、この旅で心配をかけ、またいろいろ協力してもらってもいる家族にどうしても食べてもらいたくなり、ここはちょっと奮発してメロン購入!楽しみにまっていてくれ!♪

 こうして2日間かけて夕張を満喫したのだが、ちょっと時間に追われ始めた。この先、平取方面へと向いたいと思っているのだが、その道中には寝床らしいところはなさそうで、あまりゆっくりはしてられない。ちょっと慌てて出発しようとするが、「最後にメロンまた食べてったら?!」という甘い言葉に誘われ、そしてこれまた甘いメロンをまたまた頬張り、そして、「もう一日居ればいいのに・・・」、そんな言葉に惹かれつつも、これからの旅の為にグッと堪えて12時頃後にした。ほんとうにお世話になりました。

やっぱりこれでしょ!♪
あま~い♪夕張メロン
お世話になった谷さん兄弟

 ここでも沢山の人達に温かくしてもらっただけに出発は辛い。どの町でもそうであり、もう何度も越えてきたのだが、これだけは慣れるものではない。こんなときは、ただ次の町へとガムシャラに自転車を漕ぐのみだ。国道274号から道道74号へと入る。そんな道中、これまた恐ろしい程の自衛隊の車とすれ違った。どこかで演習があったのだろうか、50台、いや、それ以上だろうか、通り過ぎていく度に、その無機質な姿から恐怖さえ感じてしまう車たちである。こういう兵器を持たなければ維持できず、暮らしていけない今の現実をこの大自然の北海道に地でも目の当たりにした。

おお!自衛隊が・・・
峠を越える

 これから先、日高、富良野方面へ向うというのに、こうしてまた南下し平取まで来たのは理由があった。その一番の理由は登山で、幌尻岳へと登るためであった。ただ、当初、この平取は振内より登る予定でいたのだが、いろいろ調べてみると今の装備ではそちらからの登頂は無理(要沢登)ということが分かり、日高町方面からアタックすることにした。だが、肝心の75Lの巨大ザックは実家からこの振内に郵送してしまったために、やっぱり変更しても平取まで南下するしかなかった。郵便転送ということも出来たが、でも、この平取には見所も多く、結局それらに惹かれて予定通り南下することにした。その見所のひとつが、役場近くにある義経神社だ。

 この誰もが知る義経。知るからこそ伝説も多いのだろう。その伝説がこうして神社となり残っているのを目の当たりにすると、伝説では終わらないように感じてしまう。ロマンいっぱいの人だけにほんと面白い。この平取の地にも義経は訪れ、そしてアイヌをして神と崇められるまでになったという。その後、この地より大陸へと渡りアジアの大半を征服したジンギスカンになったとも言い伝えもあるほど謎が多い。だからこそ興味を惹き、こうしてわざわざ遠回りまでしても訪れてみたくなったのだ。ここには資料館も併設され、そんな伝説が語られ、そしてさらにこの義経という人物に興味惹かれ、閉館いっぱいまでここで楽しんだ。

平取義経神社
義経資料館

 今日も昨日に引き続き日が傾きだすと共に寒気が増してきた。日中でも15度ほどというのに、これ以上寒くなっては堪らない。逃げるようにして向ったのが今夜の寝床である貝沢民芸のRH(ライダーハウス)だ。ここはなんと嬉しいことに無料で泊ることが出来る。泊るといってもトイレも水もなく、もちろん布団もなく、ただプレハブ小屋があるだけなのだが、それでも安心して泊れるというだけでも嬉しく、またそこで生まれる出会いを期待していた。ちなみにここは無料とは言っても、出来れば隣接された食堂で食事を・・・ と書かれている。これが意外に自分にとっては楽しみであった。なんと言ってもこの料理店というのがアイヌ料理なのだ。今日はそのなかのひとつ、一番人気だというキトビロカツ丼を頂いた。ちなみにキトビロとは行者ニンニクのことで、別名、アイヌニンニクとも言われているそうだ。で、お味のほうは、ニンニクとネギの中間、良いどこ取りの味!これがまたカツとの組み合わせが最高で、もう言葉を失うほどの美味しさ♪ペロリと平らげ、そしてRH貝沢民芸ではオーナーやその友達?方々に迎えられ、さらにはビールまでご馳走になり、楽しく夕方のひと時を過ごすが、閉店後は、寂しく今日はひとりのRHへと入った。だが、これも実は悪くはない。溜まった日記をやり終えるチャンスなのだ。気合を入れてやり始めるが、先ほど飲んだお酒がまわり、集中力が出ず、そのまま22時前には就寝してしまった・・・

アイヌ料理!
キトビロカツ丼を♪
独りぼっちのRH
でも、鹿さんと一緒♪

 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : コンビニ弁当
 ・昼食 : パン×2・菓子
 ・夕食 : キトビロカツ丼




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