艦内は映像や再現模型などさまざまな資料で埋まり見所いっぱい。でも、今日は時間が迫っている為にテンポ良くいく。途中で名物”五勝手屋羊羹”を買って食べながら、旧檜山郡役所、旧中村家、追分会館と見てまわり大忙し!だが、最後の追分会館は思ったよりも早く見終わり、時間に少し時間に余裕が出来たそんな時間はなんと思わぬ再会が待っていた。それは函館のヨッシーさんが仕事の合間になんと来てくれたのだ!そして「オマケもあるよ!」とヨッシーさんにさらに驚かされたのが、高田さんも一緒に来てくれたことだ。お互い話すことに尽きない。なんだか、このまま奥尻へと旅立つのが辛くなるほどであり、また逆に一緒に奥尻へと連れて行ってしまいたくもなるほどで、そんな楽しい時間はあっという間に過ぎ、出航の時は近づきつつあった。
「ポォー!!」、交わしたかたい握手の感触がまだ手に残る中、大きな汽笛を鳴らしながら船は岸壁を離れ船は出航していった。大きく手を振りかけるヨッシーさんたち・・・ もうなんとも言えない出航という船ならではの寂しさが込み上げてくる。船はどんどん沖へと離れていくが、でも、お互いせいいっぱいに振る手はいつまでも見ることができた。そして次第に岸は遠のいていった・・・ 次の再会まで・・・約2時間の航海。さっそくHPの更新作業だ!そう意気込んだものの船酔い防止の為に横になったら最後、すぐに睡魔に襲われてしまい、お昼ねタイム・・・ 2時間という時間もあっという間に過ぎ、もう目の前にはいつの間にか奥尻島が迫っていた。江差で見送られ、そしてこの奥尻ではマスコットキャラクターの”うにまる”が出迎えてくれた。先ほどとは大きく違うが、でも、その愛嬌ある”うにまる”に心を和ませられ、また奥尻島での出会いや、出来事に期待が自然と込み上げてきた。ただ、今日はこの奥尻島民の忘れられない日でもあった。それはあの地震、津波による大災害の日でもあるのだ。それをつい先ほどヨッシーさんから教えてもらった。そして偶然にもその日に私はこの奥尻と土を踏むことになった。こういう日に島へこれたことに嬉しくも感じたが、でも逆に辛さが込み上げ、複雑な心境であった。
15時過ぎに奥尻へと上陸し、休む間もなく一気に南下へと自転車を漕いだ。今後の予定的に今日中に津波館を観光しておきたかったというのもあるが、やはり、この日に慰霊塔に行き、手を合わせたかったということの方が大きかった。島のシンボル的存在の”鍋釣岩”、そして”うにまるモニュメント”を観光しながら静かで、そして驚くほど青く輝く海を眺めながら自転車を漕ぐ。噂には聞いてはいたが、その噂以上に海は透きとおり、沖縄の海にも負けてはいない。いや、勝ち負けよりも、また沖縄にはない海の綺麗さがあり心和ませてくれた。ちなみにさすがこれだけの海を抱えているだけに、この奥尻では授業にダイビングがあるという。
1993年7月12日、22時17分、この奥尻島に激震が襲った。眠りについたばかりの島民は暗闇を「津波が来るぞー」と叫びながら逃げたというが、しかし、多くの人が逃げ遅れ、わずか3分後に襲った大津波によって飲み込まれた・・・ 一瞬にして町は廃墟と課し、そこはまるで空爆にあったような姿であったそうだが、でも、今はその面影を偲べるものはほとんどなくなっていた。ただ、不自然までに小奇麗な家々が並ぶ様子は、一見すると、ただの綺麗な町だが、あの日を知っているだけに逆の恐ろしくまた悲しく私には見えた。今も昔もこの岬のシンボルとして建つ灯台、沈み始める日に照らされ何事もなかったように光り輝いていたが、10年前の今日、根本から折れてしまったとはとても想像できなかった。
被害のもっとも酷かった青苗地区の岬には、あの地震を、体験を、後世に伝えるべく、津波館という資料館が建てられていた。今日を中心に前後1日間は入館無料となっていて、やはりいつもの事ながら金銭難の私にとってはほんと嬉しい限りであったが、でも、やはり、逆の今日という日をしみじみと感じることにもなり、複雑な心境で館内を見学した。あの日が映像、写真で展示され、そしてなによりも涙をさそったのが、あの恐ろしさを体験した子供たちの詩であった。もう、最後まで読めきれないほどで、すぐにでも逃げ出したかったが、でもグッと堪えながら、ひとつひとつ、その出来事を自分の中に刻んでいった。そしてもうひとつ涙を誘った出来事は生きるという力である。力をあわせての復興に日々・・・ 並大抵のことではない。だが、それらを乗り越えてきた力に感動し、また人の強さ、温かさを感じ、また涙がこぼれた・・・
館内を後にしてからも、夕日を眺めながらしばらくその公園のベンチで座り輝く海を眺めていた。信じられないほど海は美しい・・・ こうして見ていると、10年前の今日、ああした出来事があったとは不思議でならないほど美しく、またあの日の海はどうであったのだろうかと考えてしまう。資料館を見た限りでは、翌日にはこの海が襲ってきたとは思えないほど嘘のように静まり返っていたという。
夕日を眺めながら南端の青苗を後にし、島の西海岸の真ん中あたりにあるキャンプ場へと目指し、また自転車を漕ぎ始めた。見送る津波館前の時空翔という碑の周りには今夜の追悼式の準備が始まっていた。たくさんの子供たちがその碑を中心に、またその丘をも巡ってロウソクを並べていた。自分もほんとうならここに残ってみんなと共に手を合わせたかったのだが、寝床の関係上、仕方なく後にせざるえなかった。いや、本当はただその追悼式という場に加わることが、また涙を誘いそうで怖かっただけかもしれない・・・
フェリー埠頭から南下してきたときは強い追い風のおかげであっという間に南端へと到達することができたのだが、それをまた北へ風を逆らって進むとなる苦労させられる。必死に漕いでも思うようになかなか進まないが、でも、奇石が並ぶその美しい景観は見事で楽しませてくれ、また重い気持ちを和ませてくれた。約1時間半、そんな道を風と立ち向かい、そして19時近く、もう日が沈もうとしている頃だろう、だが、その夕日はいつの間にか広がり始めた厚い雲によってさえぎられてしまっていた。こうなると暗くなるのはあっという間だ。慌ただしくテントを設営しだし、そして温泉へと行こうと思ったが、しかし、意外に距離が遠く、また坂を下っていかなければ行けないところだったので悔しいが断念し、自炊へと入った。そんなときにこのキャンプ場にこの島で初めてのライダー遭遇でもあり、またこのあと共にキャンプ場ですごすことになるベーヤンさん登場♪寂しい真っ暗な岬のキャンプ場だっただけに嬉しく、またこの後、旅の会話でやはり盛り上がり22時頃就寝した。外はいつの間にか小雨が降り始めていた・・・
★今日のお食事♪
・朝食 : 手作りおにぎり
・昼食 : 五勝手屋羊羹・コンビニ弁当・パン×2
・夕食 :
ごはん&レトルトカレー