徐々に空が白み始める5時に起床し、テントから顔を出し見上げると昨日と変わらぬ晴天の元に大山はそびえていた。風もなく絶好の登山日和だ!さっそくご飯を炊きながら残りの日記を書き終える。食事、撤収をすまし、そして今度は登山準備、スパッツを履き靴の紐をしっかりしめて久しぶりの登山ということを身体に言い聞かせ、6時40分いよいよ出発した。
はじめは一般ルートである夏道登山道のピストンを考えたが、変化が欲しいと思い行者コースを選んだ。石畳を歩く大神山神社までは昨日と同じルートを進み、そしてそこで登山の無事を祈り、雪の積もった登山道へと踏み入れた。やはりややマイナールートとなるらしくトレース(踏み跡)はほとんど無く、またルートを示す赤テープもない。ただ所々に木道が顔を出しだけでかなり分かりにくく地図を頼りにわずかなトレースを探しながら一歩一歩進んだ。
30分も進むと砂防ダムの並ぶ渓谷へと出る。すると前を遮る物は何もなくなり一気に展望が開け、真っ白銀世界が広がり、見上げるともう目の前に荒々しい大山が聳え立ち、さらには真っ青な空がそれらを引き立てた。「こちらのルートで来てよかった!」っと心から思うほどの展望で、またもうすでに大満足の登山であった。
ここから渓谷を越えて一気に山を登り尾根へと出て一般の夏道コースへと出るコースになるのだが、あまりの積雪に全くといっていいほどトレースはなく、登山道はもちろん埋まってしまってない。地図ではこれをジグザグに登っていく急登なのだが、この積雪の為に直登、急なだけに一歩一歩慎重にキックステップ(雪面を蹴飛ばし足場を作ること)で足場を確保しながら杖と3点支点で上っていった。最初は新鮮で面白くどんどん標高を稼いでいけたのだが、さすがに後半は体力的にきつくなってくる。とくに固い雪面だけに2度、3度も雪を蹴り足場を確保することもあり、足がくたびれること。自然とストックを握る手も力が入り、後で腕まで筋肉痛となる有様であった。
急登をなんとか上りきると夏道コースへと合流。こちらは驚くほどの量のトレースが残り、改めて中国地方を代表する山だと実感した。後方から話し声が聞こえたが、歩き始めるとすぐに聞こえなくなってしまった。この先の6合目小屋で休憩をとり、そこからのまた展望がすばらしく、しばらくその展望を楽しんだが、後方の人達もどこかで休憩しているのか追いつかれることはなかった。
8時10分、山頂に向けていよいよ出発。尾根沿いまだまだきつい登りが続くが常に素晴らしい展望に囲まれている分、その苦労はなく足取りは軽かった。右を見れば美しい弧を描く弓ヶ浜の浜が広がり、そして左には山々が連なり、それらを追って見上げると目指す大山が見ることができた。
たくさんのトレースのおかげで足場が無数に作られていて歩くにも先ほどの苦労はない。この何もなに大自然の中、たくさんの鳥達が唄い飛び回っていた。ただそんな大自然の中にでもトレース以外にもうひとつ人の残したものがあった。それは急な渓谷に流れるS字のライン、そうスキーの跡が無数に残されていた。こんなところまで!!っと思いながらも自分も滑ってみたい!そう憧れながら見事なS字を眺めていた。ちなみにもちろん斜度は見るからに超上級レベル。今年滑ってないだけに感覚は鈍っているが、スキー場にこれ以上の傾斜があるだろうか・・・
山頂へ近づくと徐々に傾斜が緩やかになり始め、そして見渡す限りの銀世界が広がった。そしてその中にところどころ顔を出した木道が続いていた。もうここまで来ると、ただもう歩くのが気持ちよくて一歩一歩楽しみながらのんびりと進んでいった。目指す大山は目前、そして振り返ると米子はもちろん、大根島、宍道湖を眼下に見渡せ、まるで空の上に浮いているようなそんな錯覚が起こるほどの展望であった。
半分埋まった山頂小屋を横目に登りつめると山頂だ!独立峯だけに360度といっていいほどの大展望!中国地方最高の山だけにあって見渡す限り全ての山々を見下ろしていた。ただ一つ悔しいことが、ぞれは前方わずか1kmもないだろう、そこに剣ヶ峰という本当の大山最高がそびえているいのだ。この先は崩壊の危険なために通行禁止となっている。だが、そこまでたくさんのトレースが続き多くの方がこのアタックしているようでもあり、それを見ると行きたくもなってきたが、さすがに身の危険を感じ断念した。ただ、それより約20m低いこの弥山から眺める剣ヶ峰は最高であった。またそれに連なる山々がまた美しくさらに奥には、遠くどこの山だろうか蜃気楼のように山が浪打ち連なっていた。
書き忘れていたが、ちなみに登頂は9時。風はほとんどなく、そして快晴のこの天気のおかげでそれほど寒さは感じなかった。30分ほどその大展望をただ眺め楽しんだ。下山前に山頂でのジャンプ写真♪こうして、はしゃぎたくなるほど最高の大山登山であった。
9時半、下山へと歩き始めると、6合目で出会った方だろうか何人かのグループが登っていた。お互いこの最高の展望だけに笑顔も絶えず、気持ちよくあいさつを交わしながら下っていく。雪は日が昇ってきたこともあり、登りのガチガチの雪から一変、シャーベット状となっていて足場は作りやすい。そのためアイゼン(足につける爪)無しで登ってくる方もみられた。このあと、平日の雪山と思えないほ、どんどん登山者が登ってきたのには驚いた。20組くらいいたのではないだろうか。ただ重装備の方はまばらで、ほとんどの方は軽装備、さらにはスニーカーで登ってくる人もいるほどであったが大丈夫だろうか・・・ 声をかけようとも思ったが彼はタカタカと足早登って行ってしまった。
下山はそのまま一般登山道の夏道コースで楽々下って行き、思ったよりも早くどんどん進んでいくことができた。登山口へと下りる直前にある阿弥陀堂で下山報告と、そして感謝の思いを伝えて最後、の石段を下っていった。それにしても改めてここは寺院が多い。ただ廃寺跡も多く、昨日も触れたとおり明治維新での神仏分離政策の跡だろう。
10時45分、無事に下山。振り返ると変わらぬ雄大な姿で大山がそびえていた。この山頂に行ってきたことが、ほんと不思議に思うほど高く勇壮であった。この感覚も登山の楽しさのひとつだろう。何度も振り返り見上げながら、新たな自転車の旅へと再出発の準備をした。
11時半前には出発。最初はあまりに急な坂とやや荒れた道のせいで恐怖を感じながらフルブレーキでゆっくりと下って行き、そして徐々に緩やかになっていった。緩やかといっても10度近くある急坂だが、でも道も一直線の快走路、そこからは気持ちよく一気に下って行った。振り返ればやっぱり常に大山の姿が望め、気分爽快という言葉以外ない。県道36号を下って行き、そして途中のスーパーでパンを買って昼食代わりに大山を眺めながら頂き、海まで一気に下っていった。
思っていたよりもだいぶ早く下山できたので、今日はちょっとこのまま気持ちよく距離を伸ばすことにした。最近ちょっとゆっくりでやや遅れがちなこともあった。贅沢を言えばこの先の、やや内陸へと入ってしまうが三朝温泉に行きたかった、堪えただひたすら鳥取市を目指した。もう一つ理由がある。この鳥取市の鳥取砂丘に無料キャンプ場があると聞いたこともあった。どうせなるならやっぱり安心して寝れるキャンプ場がいい。そんな思いからもただただこのあと黙々と国道9号を突き進んだ。
ただ平坦の道が続くと思っていたのだが、思っていたよりもアップダウンがあり、そして何より辛かったのが、向かい風であった。とくにきついのが北条砂丘あたりの見渡す限りの砂丘広がる一直線の道であった。この道での向かい風は、漕いでも漕いでも進まず、かなり苦労させられ、疲労と疲れから、それらを少しでも癒そうと、今日は贅沢にジュースとアイスを購入して喉を癒した。
このペースでは鳥取市に入るのは日暮れぎりぎりだろう。もうただ漕ぐしかなかった。黙々と漕ぎ続き、日が傾き始めきはじめると、今まで悩まし続けた風は止み、だいぶ漕ぎやすくなってきた反面、疲労のほうはかなりの窮地に達してきた。あと少しあと少しと常に励ましながら漕ぎすすんだ。そして、休憩ポイント、白兎海岸に到着。古事記や日本書記にも出てくる歴史あるところで、また因幡の白兎の話の舞台としても有名だ。海岸の向かいの丘を登ると神社があるのだが、ここまで登るだけでも、もう一苦労・・・ ちょっこじんまりした感じの神社が建ち、その裏手の本殿の6つの基礎石にちょっと面白い細工がしてあった。それは皇室の菊の彫刻が全てしてあり、皇室との関係伝説もあるという話であった。そんなロマンと神話たっぷりの地を最後観光して、もう一分張り漕ぎ始めた。
19時近くになって、なんとか鳥取砂丘すぐ脇にある柳茶屋無料キャンプ場に到着した。最後ここまで来るのにも砂の丘と書くだけあって登ること登ること!もうヘトヘトになっての到着でたった。また心残りもいっぱい。温泉が途中あったのだが、微妙な値段とさらには寝床の確保ができていなかっただけに不安さもあって断念、その浮いたお金で豪華に夕食を作ろうと思ったのだが、どこにもスーパーが見当たらず、結局なにも調達できずにこのキャンプ場に到着したのだった。持っている寂しい食材で食事。夕食、具なしラーメン×2となってしまった。また静かなキャンプ場を予想していたのだが大学生だろうか、30人近くのグループの宴会がこのキャンプ場で始まった。朝まで続くのか!っと不安にもなったが、でも意外と早く22時半には寒い寒いと言いながら撤収して行ってくれたのは嬉しかった。今日は最高の登山だっただけに膨大な写真の量をHPにアップしたので精一杯。終えた22時半、静かになったのと同時にそのまま就寝した。