やっぱり安心できるキャンプ場という条件の下、ぐっすり寝れて6時に起床した。このキャンプ場、私以外に他にあいさつを交わした程度の付き合いしかないが単独ライダーが2組いるだけだった。まだ共に寝ているようで、ひとりゴソゴソとやっぱり今朝も慌ただしく日記を書きながら自炊、そして食事と落ち着かない時間が流れ、そしてようやく食事も終えて書き終えた時には、すでに2組の姿のない8時半となっていた。慌てて自分もテントを撤収し9時過ぎに出発した。
悔しいが昨日登った坂を下って、また鳥取市街へと戻った。県庁所在地としてはかなり落ち着いた雰囲気で慌ただしさがなく走りやすかった。あっという間に目的の鳥取城跡に到着した。やっぱりどこの町でもそうだが、この町も例外ではなく城跡に史跡や資料館が立ち並んでいた。でも、見学の前にちょっとお仕事。今回もこの県庁所在地で広報活動。まずは地元紙「日本海新聞」さんにお願いしてみるが、記者の関係ですぐにはお答えできないとのこと、そのため、「読売新聞」さんにもお願いしてみると、すぐに来てくれるという。そんな時に折り返しの日本海新聞さんから電話がかかり11時ということでお願いした。1県で2社、珍しい私的には数少ないパターンだ。
まずは読売新聞さんの山崎さんに取材を受けた。とても話しやすい方で、おかげでこちらも話しやすく取材も順調に進み、そして写真撮影。最後にはいろいろ観光情報等教えて頂いた。こんな話が嬉しい♪、このあと、資料館に入るには中途半端な時間ができてしまい、ウロウロどうしようか迷っていると、散歩中のおじさんに声をかけられ、そのままベンチで長話。あまりにお互い夢中になり気付けば11時と慌てて、日本海新聞社さんとの待ち合わせ場所へと向った。迎えてくれたのは重森さんという女性記者で、女性ならではの質問や会話で、新鮮さがあり、また言葉が温かく、こちらも順調に進み、そしていろんな特産物など教えてもらった。ありがとうございました。
この後に見学したのはすぐ前に建てられている、この鳥取のシンボル的建物であるという「仁風閣」。さすがシンボルと言うだけあって、博物館とは違い、たくさんの方々が見学していた。またその庭園などには、その白亜の洋館を収めようと絵画に励んでいるかたもかなり見られた。ちなみにこの仁風閣は皇太子殿下(のちの大正天皇)を招いたところであり明治40年に建てられたそうだ。そしてなにより興味惹いたのが、そのときに随行した東郷平八郎がこの仁風閣を命名されたそうで、その直筆の書が今もこのホールに残されていた。好きな人だけになんだかこうした些細なことが嬉しく、また意外な姿を知ったような気がした。ちなみに東郷平八郎とは日露時の海軍大将で、あのバルチック艦隊を破った提督として有名な方である。
話を戻して、この驚くほど大きな洋館は、見掛け倒しということなく、中も予想以上に広い空間が作られていた。そんなほぼ正方形の建物には円形のちょこっと突き出たところがある。その中に、ありがちな中央の柱がないちょっと変わった”らせん状の階段”が作られていた。浮いているようでもあり、また壁から階段が生えているかにも見え不思議な感じで面白かった。
仁風閣を出て裏手へとまわると、そこには見事な庭園が広がっていた。12代池田藩主が若くして未亡人となってしまった前藩主夫人を慰めるために作られた庭だそうで、この洋館には不向きな日本庭園ではあるが、でもそれがこの日本の地であるということからか、とても似合う風景に思えた。
最後にこの敷地の全てを見下ろすところにある城跡へと登ってみた。登るといっても本当の天守のあった山頂までではなく面影を今も強く残す櫓までだが、それでも予想以上の長い石段を登って行った。石垣は修復の手は掛かっているものの、至る所にそびえ、その城の大きさに驚くほどであり、また、それらを上りきったところから見下ろす市街は格別であった。城には桜の木は並ぶのだが今はすっかり葉桜となってしまっていた。だが、その雰囲気と、そして快晴のこの温かい陽気を楽しもうとたくさんの方が訪れ、眼下を見下ろしながら食事をとったりして楽しんでいた。
今日は気温がグングンと上昇してジッとしているだけでも汗ばむ陽気となった。さすがに今日は昼過ぎからはTシャツでの行動。城跡を最後に市街の観光を終えて、また昨夜の泊った鳥取砂丘へと走り始めた。昨夜、砂丘脇で泊ったといっても裏手となるために実際には砂丘をまだ見ていない。楽しみだ♪砂丘越えの坂はあるが、そんな楽しみの為か足取りは軽く、気付けば前面に果てしなく砂丘が広がっていたという具合にあっという間に到着した。私は楽しみのところは後でとっておくというタイプのようで、砂丘見学前にその駐車場に並ぶ売店を先に見学した。ここでも数少ないが試食が並び、それらをちょこっと楽しむ。でも、ちゃんと購入もした。それは贅沢に名物「長いもかまぼこ」というもので、名前の通りかまぼこの中に長いもが棒のまんま入っているという、ちょっと変わった食べ物である。お味の方はというと、これがなかなか美味しい♪とくに芋の歯ごたえがなんともいえない触感をかもし出していた。そんな贅沢の後は、ここでもジャンプ写真♪これは”ご機嫌”とい時に出現する写真で、その通り、今日も昨日に引き続き、この晴天と好展望でご機嫌♪気持ちよく砂漠という地を散策した。歩けど歩けど、ほんと行ったことはないが砂漠といった感じであった。先を行く人たちがあまりの小ささに、言葉が悪いがホコリのように見えるほどで、さすがにこの長い砂漠を抜けて海まで出る気が起こらずに途中で引き返し、旅の先を急いだ。
この先の道のりはアップダウンが連なるきつい道が続く。でも、まだ本格的には進まずに一つ小さな峠を越えてまた観光♪行くかどうか迷った場所ではあったが、「松島に負けない景観」という方もいるぐらいなところだそうで、快晴ということもあって、今日も好展望が期待できそうだ。そんなことから立ち寄ったところは「浦富海岸」。イカ釣り漁船が並ぶ綱代漁港を抜けたところがあり、本当は遊覧船で見るのが一番らしいが、そんな贅沢なお金がなく人力で遊歩道へと入ってみた。道はかなり整備されて歩きやすいのだが、ただ長く続く階段はかなりの物で、昨日の登山からくる筋肉痛を堪えながらも必死で登って行った。その先はそんな苦労を全て洗い流してくれる青い海と空、そして見事な海岸美が迎えてくれた。当初は展望台までで引き返そうと思っていたのだが、あまりの展望のよさに引かれてもうちょっと足を伸ばして灯台までいってみることにした。またここも急ではあったが、展望に救われ続けた。ただ、この灯台からの展望は残念ながらなく、それでも悔いの残らない散策となっただけに、それほど苦とも思わず帰路は足取り軽く引き返した。
さあ、ここから先は先ほども書いたが、きつい道が果てしなくといっていいほど続く。なんとこの鳥取から兵庫を越え、さらには京都とひたすら難所が続くのだ。その出足が今日からスタートした。国道9号を離れ海沿いの道へと入っていく。すると徐々にアップダウンが激しくなりが、それなりの気合が入っていたおかげで、また無風という好条件も加わり、それほど苦もなく峠をひとつひとつ越えていくことができた。こうして寝床の目星をつけて、落ち着く前に温泉だ!近くの安い浜坂温泉へとでかけたのだが、なんと定休日・・・ 仕方なく諦めて帰路、スーパーで買出しして先ほどのキャンプ場に戻った。今夜は久しぶりの具有ラーメン♪もやしを買ってきたので1袋、これでもか!っと言うほど全て入れてもやしたっぷりラーメンの出来上がり♪そんな食事を頂きながら今日もHPの更新作業に励んでて、そろそろ寝ようかと思っていた22時半ごろ、なんと兵庫県は尼崎市から門野さんがわざわざ会いに訪ねてきてくれた!♪夕方に「今どこですか?向ってます。」というメールが入っただけで送り返しはしたが返事がそれからなく心配していたのだったが、なんと探しに探してこの時間にようやく辿りついて来てくれたのだった。手土産もいっぱいで、そしてさっそく門野さんが持ってきたテーブルを広げて宴会タイム♪お酒を頂きながら話しやすい方だけに会話も弾み、また共通の趣味も多いことから話題も多く時間は流れるように過ぎていった。最後にたくさんの差し入れを頂いて、日が回った午前1時、厚くお礼をいいお別れした。ほんとありがとうございました!♪こうした人との出会いが一番嬉しく楽しい!そして自分がひとりで旅してないことを改めて実感するときでもある。