出発当初より楽しみにしていた長崎観光、それが今日よりスタートした。どんな観光になるかワクワクしながらのスタートで、それに答えるかのように期待以上の見所一杯のところであった。当初の予定では2日間ほどの観光を予定していたのだが、とてもそれではまわり切れそうになく、もう楽しくて楽しくて、4日はかかりそうな勢いだった。雲仙登山を断念してきてしまったのもあるので、ここ長崎ではもうじっくり腰を据えて見るつもりだ。
そんな長崎への第一日目の朝は吉田さん宅のあったかい布団の中で迎えた。6時に起床し、今日も朝から書き残した昨日の日記から初め、そして朝食をご馳走になる。こんなあったかい家とそして吉田さん人柄、名残惜しいが長崎観光へ向けて7時半に出発した。ありがとうございました!
さあ、長崎市街へ向けて出発したのだが、ひとつ気の重いことが・・・ そこまでの道のり、峠越えがひとつあるためだ。気合をいれて少しづつ登り始めていくが、以外のどんどん軽快に登っていける。傾斜がそれほど急ではないためにそれほど苦もなく峠越え、ちょっと拍子抜けするような感じで長崎市街へと下っていった。これが噂に聞く坂の町”長崎”か~♪ っと思いながら期待を膨らませながら坂を下っていき、そして路面電車の終点地”蛍茶屋”へ到着。ここで昨日知り合った”清水”さんと待ち合わせ。今日、この長崎を案内してもらえることになったのだ。しばらく待って9時半頃、清水さんが路面電車で到着、そしてさっそく観光へと出発した。
本当ならまずはこの近くのシーボルト記念館へと行きたかったのだが、今日は残念ながら休館日・・・ 明日以降に行くことにして、まずは風頭公園へと向かった。自転車を置いてのんびりトコトコ長崎の町を歩きながら向かったのだが、ほんとうにこの長崎、坂が多い、そして急なだけに階段ばかりで、それが網目のように入り組んでいた。まさに長崎!そう叫びたくなるような、他にはない独特の雰囲気がそこにはあった。その階段をいっぽいっぽ歩くだけでも、その情緒が伝わり、長崎という不思議な楽しさが込み上げてきた。振り返れば、眼下にはどんどん長崎の町が広がりっていき、長崎という不思議な楽しさを味わった。長い長い階段をのんびり上りながら、いろいろとこの長崎の町について清水さんが話してくれた。今のこの長崎の町の平野部の70%は昔は海であったそうだ。今でさえ、平野部がほとんど見られない狭い山の都市であるが、これがさらに狭い昔の町を想像すると今とは全然違った景色があったのだろう。時期に史跡のひとつである亀山社中跡へと登りつめた。ここは坂本龍馬が興した日本初の株式会社であり、そして後の海援隊の全身である。その場所は市内を一望できる場所にあり、龍馬も見下ろしたであろうこの地で、ブーツ像に足を突っ込み、龍馬になったつもりで、長崎の町を見下ろした。今の長崎、当時の長崎の景色、だいぶ違うだろうが、何処が違うだろうかそれをいまからじっくり見て調べてみようと思う。そんな期待と楽しみにワクワクしながら長崎の地を見下ろした。ちなみにこの亀山社中跡にも小さな資料館があるのだが、残念なことに土日しか開館していなかった。
この後、さらに坂を登っていくと、山頂付近一帯は公園となっていて、その頂の展望台にどっしりと巨大な龍馬像が建っていた。それにしばし見惚れながら、そしてその前には私の好きな司馬遼太郎さんの書いた「竜馬がゆく」の碑が建てられていた。本文から抜きたしたその碑に刻まれている言葉に懐かしさを覚えながら長崎を見下ろした。ここkからの展望はほんと最高であった。
このあと、公園内にあるちょっと変わった異国の雰囲気を持つ唐人の墓石群を見学しながら公園を後にしようとした。そんな帰路、公園の入り口付近に気になる資料館を見つけて入ってみた。ハタ資料館で、国家のハタではなく、長崎では凧のことはハタというらしい。1600年ごろこの長崎に渡来し、その後、急速に広まり一時、長崎では”ハタ合戦”と呼ばれるタコを絡ませあい相手の糸を切りあう合戦がはやったという。あまりのその熱狂に江戸期の一時期に禁止令が出たほどだそうだ。そんな話やタコのついての話を、その資料館でタコを作り続ける技術屋さんが教えてくれた。ありがとうございました。
風頭公園から今度は眼鏡橋方面にと長い階段を下っていった。ほんと長年暮らし、そしてタクシーの運転手を務めてきた清水さんでも迷うほど複雑な階段が続いていた。いろんな方に道を訪ねながら、”楠本家墓地”、”シーボルトゆかりの顕彰碑”等を見学しながら寺が立ち並ぶ寺町通りへと下りていった。ほんとこの通り、名前の通り寺ばかりだった。聞けば、鎖国時にキリスト教などの入信者を抑える為に故意的にたくさん建てられたという。そしてその中のひとつ、興福寺へと案内してくれた。唐僧が興した寺で、この2代目の住職があの有名な眼鏡橋を架設したそうだ。こうしたここも江戸初期から続く長い歴史をもっていてちょっと気にはなったが、ただ中の参拝は有料なために、門前で眺めるだけにして後にした。
そしてそこからまっすぐ下っていくと中島川へと出る。この川には道という道全てというほどたくさんの橋が組まれていて、どれもこれも長い歴史を感じさせてくれる石橋であった。そんな石橋のほとんどは歩道専用で、過剰なまでの数に不思議に思い、後で聞いた話なのだが、これは各寺の参道として元々は作られたそうだ。そんなたくさんの石橋の中でも日本最古にアーチ式石橋がこの有名な眼鏡橋なのだ。今まで見てきたたくさんの石橋に比べると迫力のない見劣りする感じはするが、ただ小さいながらもそんな歴史を感じさせてくれた。
石橋を見学後、こんどは崇福寺へと向かった。ここも中国の僧が開いたところだということで、その作りに中国風の雰囲気が漂っていた。残念ながらここも拝観は有料であり、諦めていたが、それでもパンフレットだけでもと思い、受付にお願いしてみると、なんと入ってもいいよ♪っと中へと入れてくれた。これにはさすがに感激しながら見れないと思っていた境内へと足を踏み入れた。2つもの国宝が立ち並ぶこの崇福寺、真っ赤なその寺の威風に圧倒されながら参拝、そしてその境内の売店のおばちゃんが、よかったら写真とりましょうか?とわざわざ店より出て声を掛けてきてくれた。話しやすい感じのいいおばちゃんで、また寺の話や、今この長崎で撮影中の映画の話などいろいろ聞かせていただいた。
この長崎に入ってからとくにつくづく思うのが温かさである。そう、人の温かさだ。他の土地にはない、人間味がそこにはあった。ちょっと困っている人がいればみんなどうしたんだろうと気軽に声をかける。清水さんも私と移動中、たくさんの方に声をかけ、また掛けられたりした。そんな性格はやはり前にも書いたとおり、日本で唯一異国とのふれあいが続いたこの土地ならではの性格なのだろうか。この後、あるおじさんが話してくれたことなのだが、この長崎はお人よしの人が多いという。天領にあったために、役人から雇われた人が多く、そしてまた貿易港であるために職にも困らなかったそうだ。そのため、役人の命令を適当にこなしていれば暮らせていけるという、のんびりしたところがあったそうだ。そのため、今も長崎時間というのんびりした時間があるそうだ。こんな話はよく島国で聞いたのだが、この長崎も山に囲まれた、そして鎖国時の日本とは違う唯一の貿易港という文化をもったあるいみ島国であったのだろう。
崇福寺でもこうしてたくさんの方にお世話になりながら後にして、清水さんお勧めのラーメン店へとこの後入った。とても感じのよいお店でとくにそのお店の人柄がほんとよかった。ここでも、いろんな話に盛り上がり、美味しいラーメンライスを腹いっぱいに頂いて後にし、また町を清水さんにとことことのんびり案内の旅が続いた。このあと、有名なカステラ店”福砂屋”、そして高級料亭”花月”を見学、どちらも歴史ある佇まいで、そしてとくに歴史に興味わいたのが花月、ここは幕末頃は遊郭で、勝海舟、高杉晋作などなど有名人達がここで遊んだ場所でもある。以前より名前は聞いたことがある場所だっただけに、ここがそうか!他よりも興味深かった。
まだまだ散策は続く、今度は唐人屋敷街へと見学、屋敷街といっても今残る面影は少なく、象徴的な建物だけ数件が今の残されていて、それらをのんびりと散策した。この長崎、いろんな文化、歴史があり、日本でいながらも異国の文化、関わりに触れることができ、ほんと不思議で興味深い土地だ。いくら観光しても尽きないほどで、いつまでかかってしまうか心配なほどだ。でも日本の歴史を見る旅でもあるので、とことん見て行きたいと思う。
屋敷街のあとは賑わう中華街へと見学。こんな有名どころでは修学旅行生もたくさん訪れ賑わっていた。そして名店では満員の盛況ぶりであったが、でも清水さんが言うには以前と比べると、かなり廃れてきてしまっているらしい。私の目から見ると、以前を知らないだけに他の見てきた町の比べると、商店街それら含めて賑わっている町と感じた。
まだまだ観光は続く、今度は有名な出島資料館だ。この出島跡地には今は明治期に建てられた教会やホールなのど建物が残るのみであったが、今どんどん復元&発掘が出島内いたるところで進んでいた。去年までこの土地は私有地であったために、いまになってこうして復元されつつあるそうだ。資料館では今まで知ることの出来なかった、この長崎の歴史、江戸期に対外交政策について詳しく知ることが出来た。それがもう面白くて面白くて、案内してくれている清水さんがビックリしてしまうほど魅入ってしまい、2時間以上の時間を掛けて出島の観光を見てまわった。そのため清水さんをすっかり待たせてしまった。ほんとうに申し訳ありませんでした。でも、そんな話し好きな清水さん、またいろんな方に話しかけては案内したりして、私が観光を追えて帰ってきたときには休憩室で3人腰掛けて世間話をしていた。一人、おばさんのほうは、この休憩所で案内をボランティアでされている浦津さん、そしておじさんの方はかなりの歴史好きで、ここでいろんなこの長崎についての話を聞かせてくれた。また、この時に今日の寝床がまだ決まってないことを話すと浦津さんがなんと自宅へと誘ってくれた。長崎に入ってから連続でこうして突然の出会いがうまれた。あとでお世話になることをお願いして清水さんと共に自転車を置いた蛍茶屋へと戻ることにした。時刻のほうはいつの間にか16時をまわっていた。
帰路はどこまで乗っても100円と嬉しい路面電車で戻る。そして自転車で浦津さん宅のある出島方面へとまた向かった。グラバー邸付近で、電車の清水さんとまた待ち合わせして、まだ時間も少し余裕があることからちょっと周辺を観光、でももう17時になろうとしていた為に入館は出来なかった。ここら辺りは後日見てまわろうと思う。その下調べに辺りをのんびり散策して、そして坂をしばらく自転車を押して登ったところにある、浦津さん宅へとお邪魔した。
今日はそのまま清水さんも一緒に夕食を浦津さん宅でご馳走になった。これがまた美味しいこと!そんな料理で会話が弾む♪いろんな話が尽きることなく盛り上がり、気付けば0時という状態であった。そのあとお風呂に入らせてもらって、1時ごろ就寝した。ちなみに清水さんも結局このまま今日は一緒にお世話になることになった。ほんとありがとうございました♪