予定変更。今日は本当なら雲仙登頂アタックする予定であったが、いろんな理由により断念してしまった。その代わりに先へと進み、島原半島を周遊し、そして長崎市街へ一歩手前まで来ることが出来た。出発当初から楽しみにしていた長崎観光だけにじっくり見てこようと思う。予定では2日間の散策を考えているが、それでも足りるかどうか心配だ。
さて、そんな断念した今朝は5時半起床、まだこのときは登る気満々であり、まずは昨日やり残した日記を続きから書き始め、そして朝食を自炊して登山に備えてしっかり食べる。が、外へ出て意外な曇り空にガッカリ・・・ 快晴の空を期待していたのだが、それでも山自体には雲はかかっていないので、気を取り直してアタックへの準備を進めた。7時半には準備を済ませて、あとは観光案内所の方の来るのを待つことに。この登山の後、島の周遊(原城跡等の観光)をしたい為にも、日帰りピストンを考えていて、それで荷物を持っていくのはバカバカしすぎる。そのため、この観光案内所で荷物を預かってもらえないかと考えている。ロッカーもなくそうするしか道がないのだ。そのため、案内所が開く9時までは、読書をしたり、道の駅をブラブラ見て歩いたりしてのんびり過ごした。朝市も開催されていて、そこで好物の干芋を発見し、格安の1袋100円ということもあって迷わず2袋購入。こうして登山の行動食まで揃えて、時間まであとは読書をして過ごした。
9時、待ちに待った案内所が開き、さっそく交渉してみるのだが、さすがに荷物が一杯で難色を示し、それでも無理してお願いしようとも思ったが、そうすると17時までに帰ってこなければならない条件がでてきてしまう。また目の届く位置に置いてもらおうとも思ったが、不安でもあるため、結局諦めることにした。こうして意外にすんなり諦めたにも、天気もあまりパッとしないこともあった。また、先を急ぎたい、そんな気持ちがどこかにあったのかもしれない、そんな気乗りしない登山でもあった。こうして、なんだか中途半端な朝の時間を過ごして、荷物をまとめ直し周遊へと9時半出発した。
今日は久しぶりの無風ということもあって、また登山も諦めたふっきりからか、気持ちよく軽快に走ることが出来た。気持ちよくどんどん南下して行き、そうめんで有名だという有家町へと入った。ここも聞いた話では島原の乱後、ほとんど住民がいなくなり、そのため幕府の半命令で小豆島から渡ってきた移民たちが作った町との話だ。そしてその人たちがそうめんを伝えたという。そんな話を知りながらこうして町を走ると、知らないよりも数倍楽しくなる。町を見て歩くのがほんと楽しい♪
こうしてどんどん進み、そして気になる国道沿いの”日野江の里天守閣タワー”へと立ち寄ってみた。なにかと思って入ってみるとどうやら日野江城の無料資料館となっていて、タワーと名乗る低い展望所からでも、名前の通り、日野江城跡を望むことが出来た。ちなみにこの城は元々は有馬氏の居城であったが、後に問題の松倉親子へと代わり、そして日野江城、原城、を廃城にして新たに巨大な城郭をもつ島原城を建築した。そのときにこれら城の石垣が運ばれたという。今は城跡のみとなってしまった、日野江城を眺めながら、そんな小さな資料館でみいっていた。
このあと数キロも走ると、あの島原の乱の篭城地となった原城へ到着した。中世、ほんとか嘘か定かではないそうだが、この原城と日野江城との間には長い橋がかれられていたとか・・・ 想像もつかない長さだがほんとだろうか。今の原城にはその時の繁栄の様子は全くなく、ただ乱の傷跡だけがその発掘現場から窺えるのみであった。わずかに残っている石垣も乱後、幕府軍に打ち壊され、ただ、広い城郭の後だけが残り、その小高い岡の天守跡からは辺りを一望できる高台のだだっ広い広場の中に桜の木が並び春の訪れを告げようとしていた。案内板程度の説明しかない城跡の見学ではあるが、そんな地からたくさんの命を奪った戦争の悲劇が伝わってくる、この地を踏まないと分からない、何もない所といっていいほどだが、でもこの目で実際に見てよかったと思えるところであった。この城を下った市街の神社には、ひっそりと慰霊碑が建てられていた。乱後10年目にしてようやく作られたそうだ。
こうして原城を後にして、この後は気になる観光地もなくひたすら距離を延ばすようなそんな走行であった。ただ、そんな中でも目に付いたものがあるときはちょっと立ち寄ってみる。そんな風に立ち寄ったところの一つが小浜の眼鏡橋で肉厚の薄い石橋を見学したり、また、この先の県道201号走行時にも、気になるここでは道をすすんだ。はじめは気づかなかったのだが、走っているうちに普通の道路とは違うことに気付く。一定の車幅と勾配、そしてカーブ・・・ まるで線路を走っているかのようだと思っていたら、案の定、元線路跡という。昭和初期に10年ちょっと運転されていたそうで、長崎と小浜温泉を結ぶ鉄道だったそうだ。ちなみにこの小浜温泉、今回は入浴しなかったが、思っていた以上の大きな温泉街で、そしてどの旅館もホテルも湯煙を上げていたのが観光目的なのか、自然とそうなるのか分からないが興味深かった。
こうして気になる所をちょっと立ち寄りながら、順調に長崎市方面を目指した。でも、今日中に市街へと入ってしまうと街中だけに宿泊地(野宿地)探しに苦労しそうなので、その手前で今日は野宿を考えているが、地図上では公園などなく、よいところが見つかるか心配しながらの走行であった。ただ、この時間から今までふれあいもなく黙々と走り続けていたのだが、急に声を掛けてくれるようになった。まずは下村さん。車を止めて待っていてくれ、そしてジュースをご馳走になりながら度の話、観光情報等、そんな話で盛りあがった。ありがとうございました。
朝の天気が嘘のように晴れ渡り、そして最高の雲仙岳を背後に気持ちよいそうこうなのだが、ただアップダウンがきついのが辛い。長崎市に近づくにつれてきつくなっていくような気がする。さすが坂の町と言われているだけのことはある。市街の町並みが楽しみだ。このあともライダー、吉田さんが声を掛けてくれ、旅のことを話すとなんと今晩家に誘っていただいた!やや遠回りにはなるが、宿泊地が困っていただけに嬉しく、お願いした。あとで、待ち合わせをし先を急いだ。
この先もライダー、清水さんに声を掛けられた。長崎市に近づくにつれてどんどん多くなるような気がする。昔からの交流豊かな長崎の地が受け継がれている証拠なのだろうか。清水さんは明日、長崎市内を案内してくれるということで、明日会うことを約束してお別れした。
この先もたくさんの方から応援されながら先を目指し、そして市街へ入る手前、国道251から34号へと北へと曲がり、そこから数キロ登ってお誘いいただいた吉田さん宅を目指した。無事に再会でき、そして夕食ではさすが長崎!っというチャンポンをご馳走になり、そして楽しい会話の夜はあっという間に過ぎていった。23時半ごろ就寝した。