車輪人の自転車日本一周・登山の旅 車輪人の自転車日本一周・登山の旅

2003年 2月24日 (月) - 232日目

天気 : 曇一時雨

体調 : 良好

宿泊地 : 楽園キャンプ場

本日の移動 : 与那国島~石垣島

走行距離 : 16.0km

累計距離 : 9,391km
本日の出費

食費 : 715円

観光費 : 200円

宿泊費 : 500円

雑費 : 600円

費用詳細 : 観光費:宮良殿内の見学料、宿泊費:楽園キャンプ場、雑費:はがき代

現在地 : 石垣島  ( 全走行図 )

船酔い

 前々から知ってはいたが、やっぱり船には弱い。昔から車酔いなど酷くいつも気持ち悪くなっていた。でも、乗る前はいっつもワクワクしていた。今回もそうだ。この先どんな旅がまっているのか、また、船でなにをしようか?などいろいろ船旅の期待が膨らんでいた。とくに、のんびりした時間が好きなのだ。ゆっくり時間を気にせずに本を読んだり、パソコンをやったり、そして昼寝したりと、到着までの空白の時間がとても嬉しい。でも、それは搭乗前までの話で、いつも乗船後、そんなことが出来ないまま苦しめられる。それが今回は特に酷かった。そんな魔の船旅を振り返る。

 昨日の日記にも書いたとおり、夜はスコールに悩まされた。その後も水害の為に寒く、あまり熟睡できずに朝を迎えた。相変わらず、風は強く、その風に混じって雨が飛んでくるという、まだ不安定な天気であった。そんな天気の中、朝食を作る気も起こらず、簡単な具なしラーメンとした。後の朝の時間はひたすら昨夜の水害復旧。テント内の水浸しはもちろん、浜でのキャンプなので砂だらけでもあった。荷物を一つ退けるごとに、水がポトポトと滴り落ちてくる。そんな荷物を一つ一つ拭きながらまとめていった。

 なんとか8時半頃に撤収終了。同じ浜でキャンプしたみんなにお礼をいって出発した。また、のどかな牧場を越えて港には9時前には到着することが出来た。船ももう乗船を始めていたが、でもその前に腹ごしらえ。船の石垣到着は14時半頃の予定で、それまでとても朝の朝食だけではもちそうもない。いつもの港の商店で、なにを買おうか迷いに迷ったが、一番お腹にたまりそうな、やっぱり”焼き芋”を購入。もう3日連続だ。今まで旅に出てから”焼き芋”を全く食べてこなかったのに、この地で不思議な出会いだ。

 こうしてお腹を満たして、そして目の前の港を散策。ここは朝一番で来ればカジキマグロが見れると期待していったのだが、心配していた通り、もう遅すぎで残念ながらすでに解体された姿しか見れなかった。乗船してまず行ったのが昨夜途中だった日記書きから。ほんとは朝、テントで書きたかったのだが、あの雨の為にとても書ける余裕がなかった。そのため、出航までのあいだ必死で書いていたが、やっぱり間に合わない。船は出航したとたんに、上下左右と大きく揺れ始める。「凄い揺れですね!」とすぐ隣のおじさんに話しかけたのがきっかけで、このあと世間話。そんなときに、一昨日に一緒に浜で飲んだ女の子2人も同じ2等客室へ。どうやら外は雨が降り出したそうだ。昨日のような風を伴ったスコールだろうか。船は大きく揺れていた。おじさんは酔いそうだと横になりながら、安宿の珍話など30分ほどしてくれた。でも、30分もするとあまりの揺れにお互いよいそうで話を切り上げで皆横になった。自分もこのままじゃまずい!っと思い毛布と枕を引っ張り出し、横になり寝ようと思った。

 横になるとだいぶ楽になる。船は相変わらずものすごい揺れで、時折、甲板に水しぶきが掛かったような音がする。さすがにこの揺れでは甲板も出入り禁止だろう。水がかかる前に、甲板に出たと単に海に飛ばされそうな揺れであった。バーン!と大波が船の側面だろうか、大きな音を立ててぶち当たる音が何度もし、その度に、船は振動した。この船はこの揺れで大丈夫だろうか?と思いたくなってくる。

 もう必死で寝ようと目をつぶるがなかなかこれが寝れない。こうして必死で寝ようとしていると、さきほどのおじさんのうめき声がしてきた。かなり調子が悪そうだ。そして、じきにビニール袋を足りだし、ゲホゲホともどしはじめた。助けてあげたいとも思ったが、ちょっとでも顔を起こせばものの1分でこちらも酔いそうで、まったく動くことができなかった。逆に貰い吐きしそうで、ただじっと目をつぶり時を待った。このあと、ウトウトと寝たり起きたりを繰り返した。相変わらず、おじさんは気分が悪そうで、何度ももどしていた。寝返り打つのさえ気持ち悪く、ただジッと自分は耐えていた。

 14時半、ようやく船は荒波を越えて無事に石垣島の脇にと入った。それとほぼ同時に揺れは収まり、活動できる程度までなった。起き上がり振り返ると、顔を真っ青にし、そしてフラフラしているおじさんがいた。やつれているようにも見え、重病人のようだった。「死にそうになりましたよ・・・」と、おじさんが言った。

フェリー内にて
 それから10分ほどで船は石垣港へ無事入港。おじさんは一番乗りでさっそと下船していった。私たちは最後の思い出にと甲板で記念写真♪こうしてみんなと別れて石垣の町へと向かった。だが、未だ身体の中ではフラフラ揺れていて、頭が重い、さらに胃も同じく重かった。そのうち直るだろうと甘く見ていたが、今日一日、このあとも苦しめられることになった。

 時間は15時、まだ日暮れまで時間があったので、ちょっと石垣の見残した観光へと出かけた。そこは「宮良殿内」という、旧役人の住居跡。江戸期の築造で、今ではほとんどこのような建物を残っていないという。ほんとうなら、沖縄本島にたくさんあった家屋なのだが、残念ながら今は戦災のために全く残っていない。そんな貴重な、旧八重山代官の家屋を見学した。
石垣の宮良殿内
 ここは入島当時から気にはなっていたが、行く機会を逃していた。逃していたというよりも、後回しにしてしまったという方が正解だろう。時間がなければ行けなくても仕方ない程度におもっていた。が、この旅の中で「街道をゆく・沖縄・先島」を読み、この宮良殿内が登場してきた。それを読み事で興味を覚え、見てみたくなったのだ。

 座敷には上がれず、そとから家屋を眺めるだけなのだが、辛いことに有料施設。奮発しての見学だった。そんな旧家の受付のおじいさん。なかなか話し好きで、いろいろこの家屋について説明してくれた。自分もいろいろ興味があったので質問して返す。こうして話を聞くと、奥が深くほんと面白い。ちなみに建物内は外見から反し、いかにも純日本風の作り、違和感なく床の間もあり、落ち着いた室内であった。ただ、気になったのが、庭園である。日本庭園だそうだが石がまずい。石がさんご礁からなる石灰岩の為に、内地にあるような庭園とはちょっと趣が違い、日本庭園という雰囲気は感じ取れなかった。

宮良殿内にて
いわゆる旧武家屋敷
日本庭園?!
石はさんご礁だが・・・

 この後は、夕食の買出しをしたり、郵便局へ行ったり、お土産を見たりと市内をフラフラしていた。あと、大河ドラマに決定したという今読んでる小説「坂の上の雲」の続きを買おうと、本屋を3件ほど周ったのだが、なぜか、その欲しい巻だけが何処にもなく、諦めて17時近くになってキャンプ場”南国楽園”へと戻った。

 キャンプ場に着いてからも忙しい。まずは濡れたテント干し、設営、そして砂などを払い落とす。それから、2日ぶりのシャワーを浴びて、そして洗濯と慌ただしい時間が流れた。そして最後に途中になっていた昨日の日記を書きながら、夕食の支度。今夜はちょっと豪華にお刺身だ!安く打っていたのでついつい買ってしまった。そんな豪華夕食を頂いて、そして後は読書したり、日記を書いたりして過ごしたのだが、どうもまだ気持ちが悪い。胃が重く、そして頭がいつまでも揺れているようだった。実は船に乗った後はいつものことなのだが、でも今回はとくに悪い。集中力もなく、飽きているのがだるい。そのため、今日は早い就寝。21時半には眠りについた。




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