車輪人の自転車日本一周・登山の旅 車輪人の自転車日本一周・登山の旅

2003年 2月23日 (日) - 231日目

天気 : 曇時々晴

体調 : 良好

宿泊地 : 比川浜

本日の移動 : 与那国島一周

走行距離 : 47.2km

累計距離 : 9,375km
本日の出費

食費 : 1180円

観光費 : 500円

宿泊費 : 0円

雑費 : 0円

費用詳細 : 観光費:ヨナグニサン記念館

現在地 : 与那国島  ( 全走行図 )

やっぱり最西端

 朝日がまだ顔を出す前の7時に起床。やっぱり今日も日記と自炊を平行して始め、朝から慌ただしい。でも、他には誰も居ないこの静かな砂浜で気持ちは常に穏やかであった。そして朝日が昇り辺りを明るく照らしてくれ、さらに自分の心も照らされ、ほんと気分のよい最西端の地での朝になった。そんな気分の下で日記を書いていたせいか、いつもよりも早く書き終えることが出来た。また食事も終え、昨日の鍋と一緒に片付け。こうして出発準備を済ませて島内一周へと9時頃に出発した。

 アップダウンは激しいが、でも車通りはほとんどなく、気持ちよく自転車を漕ぎ進めた。反時計周りで周りはじめ、、まず向かったのが立神岩。そんな道中にある徒歩ダーと出会った。気持ちよく走っていたこともあって「こんにちは!」っと声をかけ、そして気持ちよく「こんにちは!」と帰って来た。そんな会話の中を下り道とあってさっそうに横切っていったのだが、よく見ると、同じフェリーに乗ってさらに同室だった方だった。そのときは寝ていたこともあり、話を全くしなかったのだが、こうして2度目ともなると親近感が不思議と沸いてくる。さらには気持ちよいあいさつ。でも、自転車は気持ちよく下っていってしまっていた。そのときは、向かう方向が同じだからまた会えるさ!っと思って悔しながらにも先を急いだが、結局、会うことが出来ず、今となっては、出会いを一つなくした様な気がして残念だ。

 曇り空だがやや湿気が多く、汗がダラダラと額を覆う中を、自転車はアップダウンを越えながら先へと進み、立神岩の展望台へと到着した。立派な展望所があり、そこから望む立神岩はやや遠目で上から見下ろすせいか、やや迫力が伝わってこないところがあった。でも、そこからの大自然美は素晴らしかった。

 ここで、同じ浜でキャンプしている通称「作家」さんと偶然出会う。もちろんこの通称は作家志望からきた名前で、最近書き始めたという。そんな彼、想像力が豊かで話をしていて、いろんな創造の世界へと広がっていき、そして表現も豊かで面白く、そんな風に思える心の豊かさが羨ましく思った。そんな彼とは今日、今後の偶然に数度あることになった。

景勝地・立神岩
立神岩にて
サンニヌ台
(軍艦岩)

 立神岩を後にして、次に景勝地・軍艦岩を眺め、そして東崎へと目指した。この小さな島の電力をまかないそうなほどの大きな風力発電2基を見上げながら、馬と牛の行き交う牧場内を気持ちよく走り抜けると、東崎の美しい草原の広がった大地へとたどり着いた。そんな東崎へ入るときに向かいから、あるおじちゃんが元気に自転車を漕ぎながらやってきた。お互い気持ちいいほど笑顔であいさつを交わし、その笑顔だけでお互いの気持ちが通じたほどだった。そんな、おじちゃんとも実は同じフェリーだった。今度こそ話して見たかったが、自転車同士のすれ違いとあり、振り返った時にはすでに数百メートル先へと漕ぎ進んでいた。

 こうして、うまくいかない出会いが続くが、気を取り直して東崎の灯台へと草原の中を最後は歩いて向かった。観光客はまばらで、家族ずれが一組、そして年配の一人旅の方が2人、その2人は個々にただ岬から海を眺めていた。仕事から解放したくて、それとも悩みからか、この最西端の地へふと理由もなく行ってみたくなったのだろうか・・・ そんな想像をしながら、岬の灯台へと向かった。この広い大地で人はたったそれだけ、こうして雄大な景色を眺めていると、心が洗われていく気がした。これも最西端の地だという事もあるのだろうか。不思議な感じがした。

東部にも広がる牧場地
静かな東崎灯台
東崎よりウブドゥマイ浜

 広い牧場でのんびり歩く、牛、馬を眺めながらのこ東崎を後にして、この島最高の市街地である祖納の町へと向かった。岬からは下りの一歩道の為に10分も掛からずに到着。ここで、この島のことについてもっと詳しく調べようと、観光案内所を探した。集落を行ったり来たりしていると、民族資料館を見つけた。民宿を改築して作ったほどの小さくて見栄えのしない資料館だったが、この島の歩が知りたくて館内へ入ろうとしたが休館日らしい。そして、このあと見つけた観光案内所も休みで、その張り紙には「空港案内所をご利用ください」と書かれていた。

 どこも休みでガッカリしながら走っていると、スーパーを見つけた。いままでどの店も個人商店ばかりだっただけに、ちょっと中に立ち寄ってみた。見た目よりも小さな店であったが、生活雑貨まで並べていて、田舎の総合スーパーという感じで、店内を物色していると、カップアイスに惹かれて、買うつもりもなかったのに、ついつい買ってしまった。こうして店を出ると、またここでライダーの「作家」さんに出会った。地元のおじいちゃんがその「作家」さんに熱心になにかを語っているようだった。とても割り込める雰囲気はなく、話の内容が気になったが、その場は軽く作家さんに会釈して後にした。後から聞くと、戦時の話をしてくれたそうだ。

 このあと、元々下調べしたときに知った”ティンダハンタ”という巨石が作り出した自然の展望台へと登ってみた。標高は100mも満たない高さだが、祖納集落の裏山というべき場所にあって、そこからの集落の展望は最高であった。また、この地の歴史はかなり深いようで、歴史や伝説が語られた看板が幾つかあったが、全体の歴史背景を詳しく知らないだけに、残念ながらどんな時期の話からかして、よく分からなかった。

ヨナグニウマと一緒に♪
自然の展望地!
ティンダハンタにてジャンプ
ティンダハンタから
祖納の町を見下ろす

 祖納の集落を後にして、もう残り周遊1/4で元の入港した港である。そんな途中に空港があり、さきほど寄れなかった観光案内所があるということで立ち寄ってみた。でも、島内パンフレットを入手して新たに得た情報は特になく、このまま予定通りに港の方へと向かおうとした。そんな時に一通のメールが入った。「ヨナグニサン資料館、よかったら行ってみてください。」っというもので、その資料館があることはこのパンフレットにはなく、かなり新しい施設のようだ。ちょっと戻るよな形になるが、少しでもこの島について知りたい思いが強く、また、民族博物館にも行けなかった事から、行ってみることにした。

 こうしてまた祖納へと戻っていったのだが、そんな道中で昨夜、キャンプ場に遊びに来てくれた女の子2人組(元は単独旅行者)に偶然出会った。声をかけてみると、あの謎の”海底遺跡”をグラスボートから見学してきた帰りだという。もう船酔いで大変だったそうだが、でも、そんな未知の遺跡に触れてきた彼女たちが羨ましかった。自分もその遺跡が来る前から気になって仕方がなかったが、だが、それを見るには5000円ほど払ってグラスボートに乗るしかない。さすがにそこまで出すお金はなく断念した。ほんとは、そんな未知の世界に触れられる資料館等あれば一番嬉しいのだが・・・ 結局、この遺跡については何も情報を得られるままこの島を後にすることになりそうだ。

 彼女達と別れ先を急ぐ。目指すは世界一の「ヨナグニサン」という蛾の資料館だ。その蛾の生息域が山間とあり、その資料館もやっぱり山の中腹にあった。でも、山といっても、この島最高峰でも231m、そんな山々の中腹だからさほどの山でもない。ひとつの長い坂を登りきればそこは資料館だった。さっそく入館しようとしたのだが、入り口には無残にも「閉館」という文字が・・・ どうなtgているんだ!っと思いながら目を下にやると、「午後1時から開館します。」とのことだった。どうやら昼休み中は閉まるらしい。時間はちょうど12時、この空いた時間で、もう少し頑張ってみることにした。この先にある、島の最高峰「宇良部岳」へと登頂してみることにした。

島の最高所!宇良部岳にて
 幸い山頂に”無線中継所”の大きな鉄塔が建っている為に、そこまでは舗装路が続いていた。でも、道はかなり荒れていて、そして一番迷わされたのが、容赦ないほどの急坂である。この空荷の自転車でも登るのが精一杯なほどで、額から汗が滝のように流しながら必死に登って行ったのだが、さすがにあまりのきつさと暑さにダウンしてしまい、あとはのんびりと歩いて山頂へと登りきった。

 さすが島最高峰というだけあって、そこからの眺めは最高であった。そして心地よい風が吹き、一人静かな山頂で至福の時を味わった。小さな山ではあるが、予想以上に苦労しただけに、嬉しさも予想以上大きかった。

 下山は自分でも驚くほどにあっという間であった。傾斜はきついが、でも、距離としては大した距離ではないからだろう。こうして、元の「ヨナグニサン資料館」へと戻り、そこで本を読みながら開館を待った。13時10分ごろ、1台の軽ワゴン車が入ってきた。車の側面にはヨナグニサンの絵柄が書かれていて、係員であることが一目瞭然であった。そして資料館は開館し、入館料500円を支払って中へと入った。さすがにこの値段でちょっと戸惑ったが、でも、島のことが知りたくて奮発しての入館だった。

 館内は世界一の蛾「ヨナグニサン」を初めとした島の自然について紹介していた。ちょっとした休憩室でパンフレットを見ながら見学前にのんびりしていると、先ほどの人柄のよさそうな係員が笑顔でテーブルに来て、何かと思えばなんと大きなヘビを見せてくれた。3m以上あるだろうか、胴回りもかなり太い。そんなヘビをテーブルの上になんの囲いもなく見せてくれたのだが、さすがに無毒のヘビとはいえ怖かった。せめて、他の方向を見てくれていればよかったのだが、よほど好かれているのかヘビはずっとこちらを睨み付けていた。そんなヘビの紹介に驚きながら、中の資料館へと入った。

 昔懐かしの昆虫達の展示から始まり、そして奥では本格的な「ヨナグニサン」の展示コーナーとなっていた。それらの展示物にはどれも分かりやすい説明書があり、些細なことでもこれがとても嬉しく勉強になった。そしてヨナグニサンのコナーではこの蛾の生態の不思議について主に紹介していた。こんな大きな蛾でも孵化した美しい蛾の姿にいられるのはわずか数日。そんな果かない命と、そして、蝶への大変身の不思議。そんな自然の神秘を感じさせてくれる資料館であった。またシアター室もあり、そこでは今の時期には見られないヨナグニサンの様子などを見ることが出来た。入館に迷った資料館ではあったが、なかなか見応え十分な内容であった。

世界一の蛾!
ヨナグニサン資料館
(アヤミハビル館)
ヨナグニサンの標本
分かりやすい説明の館内

 資料館を後にして、また同じ道を戻り、そして空港を越え港方面へと目指した。そんな途中に、最後の観光地、クブラバリへと立ち寄った。ここは深さ7m、幅3mの大きな割れ目で、人頭税時代、人減らしのため妊婦を飛び越えさせたという悲惨な物語がある場所だ。見た目は普通の割れ目なのだが、そんな歴史の悲惨な話を聞くと、ジッと正視することが出来なくなるほど見方が変わってくる。

 この人頭税、名前の通り住民全員に課税していた悲惨な税金らしい。そのため、かなりきつかったらしいが、その実態を本当はもっと知りたいのだが、詳しいことはどの資料館でも書かれていないのが残念だ。

悲惨な物語が残る
クブラバリ
お洒落な喫茶店
「ユキさんち」

 こうして、港まで出て、島内を一周したことになる。時間は15時前、いろんな方から「ぜひ!行ってみてください!」っと紹介してくれたところ、「ユキさんち」へと昼食を食べに行ってみることにした。だが、もうこんな時間になってしまい、ランチはとっくに終わってしまっているだろうと、恐る恐る聞いてみると「ギリギリセーフですよ!」っと言ってくれた。迷わず格安な”日替わりカレー”を注文した。ここは噂どおりのとってもお洒落な喫茶店。それでいて外見は琉球家屋というのが嬉しい。そんなお店でまた「作家」さんと再会。ここでのんびり「作品」を書いているという。内容は子供向けの冒険漫画で、後で読ませてもらったのだが、ほんと想像力豊かな内容で、とても自分には思いもつかない世界が広がっていた。

 じきに注文したカレーが運ばれてきた。自分の知っているカレーとは違い、店独自のカレーなのか、これが琉球独自なのかは分からなかったが、味はほんと美味しかった。こうして大満足で店を後にした。

 このあと、始めてこの島で立ち寄った時に寄った商店でまた”焼き芋”をおやつ代わりにと買って、今日も最西端の地へと足を運んだ。ここでまた絵の続きを書きたいということもあったが、この場所が当初の目標地であって、何度足を運んでも嬉しかったということもあった。のんびり芝の上でうつろぎながら、先ほど買った”焼き芋”を食べ、そしてそのまま昼寝・・・ 満腹とそよ風、そして最西端の地という、心地よさが重なって眠気に誘われてしまったのだ。1時間半ほど寝てしまっただろうか、すでに5時を周っていた。絵も描かなきゃ!とも思ったが、今日はそんな気があまり起こらず、また小説を読みのんびりと過ごした。

 18時ごろ、日も傾き始めたことから、キャンプ地へと戻ることにした。ほんとはもっと居たい気持ちが強かったが、でも、これだけは仕方がない。帰路はのんびりと戻った。

 キャンプ地に戻ってから、また浜で日が完全に落ちる19時近くまで読書にふけっていた。完全に暗くなってからは、HPの更新作業へ。今日はちょっと出来事をちょっと詳しく書いて見た。長くなってしまったが、どうだろうか?ちなみに21時過ぎからは、また同じ浜で泊っている他の2人と今日はしみじみと雑談しながら過ごし、23時ごろに就寝した。

 が、この後、恐ろしいことが!0時をまわった頃、突然のスコールに襲われ、まさか雨が降るとも思っていなかっただけに、フライシートをしてなった。それが為に、テントのそこら中から雨漏り・・・ タオルで必死で拭いて難を凌ごうと頑張ったが、焼け石に水・・・ あまりの豪雨にもうテントの中も雨状態。さすがに豪雨の中を飛び出してビッショリになりながらレインシートをかけた。が、これが無しですでに設営してしまっていただけに、なかなか付けられない。結局、諦めてテントに被せるような形だけとって、ビッショリになりながらテント内に避難した。もうテント内もずぶ濡れでとても寝れるような状態ではなかった。また、風も急に強まり、かけてあるフライシートがいつ吹っ飛ばされるか気が気ではなかった。ただ雨が止んでくれることだけは、濡れた身体で震えながら1時間ほど眠れずに待った。そしてようやく止んでくれて、また降り出さない事を祈りながら、フライシートを取り外して、ようやく濡れた寝袋にくるまってまた眠りについた。幸い翌朝まで降られることはなかった。




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