車輪人の自転車日本一周・登山の旅 車輪人の自転車日本一周・登山の旅

2002年 12月14日 (土) - 160日目

天気 :

体調 : 良好

宿泊地 : 藤倉さん宅

本日の移動 : しまなみ街道(大三島)~馬島~小島(要塞見学)~馬島~今治市

走行距離 : 45.5km

累計距離 : 6,500km
本日の出費

食費 : 0円

観光費 : 0円

宿泊費 : 0円

雑費 : 550円

費用詳細 : 雑費:大三島橋・(大島大橋)・来島大橋・小島への往復連絡船

現在地 : 愛媛県今治市  ( 全走行図 )

父を思い出して・・・

 ふだんの倍以上に、それほどいろんな事があった一日だった。のんびりもした、そして出会いや別れもあり、さらにも楽しい観光、ラジオ出演などなど、ほんと自分でも、ほんとに一日の出来事に思えないほど長い長い一日だった。

 そんな今朝はちょっと遅い6時半に起床。今朝は風は穏やかであったが気温はかなり低そうだ。まずはテントを片付けて、それから東屋へと移動してそこで自炊しながら朝焼けと、そして朝日を迎えた。食事後は昨日書けなかった日記を書いたのだが、寒い!手を温めながら必死で書くが思う様になかなか進まずに時間だけが過ぎていった。さらには電池の消耗が早いこと早いこと!暖かいときのもう半分以下であった。

道の駅にて
朝日を見ながら自炊中
そのあとは日記の更新
寒い~!!

 そうこうしているうちに、時間は9時まわった。道の駅の休憩室がどうやら開いたようなので、そちらに移ることに。ちなみに今日の予定は、昨夜、メールで誘っていただいた今治の”遠倉”さん宅へ向かうだけなので、とっても楽な工程なのだ。まっすぐ行けば3時間ほどで行けてしまうほどの距離であった。そのため、今朝はこうしてのんびり過ごしているのだ。そうそう行こうと思っていた”大山祇神社”は昨夜ちょこっと見たこともあり、また峠越えがひとつあることから断念。こうしてのんびりすることにしたのだ。

 休憩室で日記の続きを書く前にちょっと休憩しながら、目の前にあった”しまなみ海道”の観光本をペラペラとめくる。するとちょっと気に所を発見。このしまなみ海道を走る島々のさらに離島にあたる小島というところだ。そこには明治期の対露目的で作られた芸予要塞がほぼ完璧な状態で今も残っていると言う。これは行かずにはいられない。そうと決まったらこんなことをしている時間などなくなった。その島への連絡船の時間もあるので、早く行かなければ帰って来れなくなってしまう。

 PCをたたんですぐに出発!っと言ってもすでに時間は10時前となっていた。まずは伯方島を目指して走る。その島を結ぶ大三島橋は他と比べて小さな橋。作られたのも、しまなみの中ではかなり初めの方だという。そのためか、サイクリングロードが他と比べて整備されてなく、車道を走ることになるのだが、サイクリングロードと違って上りがきついこと・・・ あの緩やかな坂に慣れてしまったためにちょっと予想外。なんとか上りきって無人の料金入れに50円を支払い先へと進むと、あるチャリダーが前方から向かってきた。実は、愛媛に住む藤原さんが今日会いに来てくれるというメールを以前に頂いていた。もしかしたらっと思いもしたが、昨日から連絡もなく、もしかしたら来れなくなってしまったのかなっと心配していた。 だが、手を振ってくれたので、すぐにその方が藤原さんと分かった。それからは2人楽しく併走♪いろいろ案内してもらいながら伯方島を越えて、大島大橋を渡る。

藤原さんが会いに来てくれた
(大三島橋にて)
一緒に併走
(大島大橋)
大島大橋にて

 大島では気になっていた”村上水軍資料館”へと入ってみることに。無理を言って関係のない藤原さんまで巻き込んでの観光だったので申し訳なかったが、どうしても見てみたかった。その資料館は町の公会堂内にあり、他の立派な資料館とはちょっと違っていた。そしてその内容はというと、思っていたよりはガッカリ・・・ それほど惹かれる資料は少なく、また歴史についても因島水軍城で勉強してきたので、そこと説明は同程度、そのためやや物足りなさが残ってしまった。これが、逆に観光していれば、評価も逆になったかもしれない。

 資料館見学後、車をこの大島の北端に置いてきた藤原さんとちょっとここでお別れ。車を取りに藤原さんは戻り、私は先へと進む。そして小さな峠を越えたころ、藤原さんが車で追いついた。それからは藤原さんに道を先導してもらいながら峠を避けるために路地道を抜ける。こうして峠を越えることなく楽に最後の橋、来島大橋の袂にある、大きな観光センターの駐車場に到着。ここで出来立てのジャコ天をご馳走になりながら、自転車を置いて藤原さんの車へ。最高の展望台だという、亀老山へと連れて行ってくれるというのだ。標高308m、海岸線沿いからだから、標高のわりには上るに上ること!急な坂をどんどん登って行き、そして見晴らし最高の、そして最高の天気の下での展望台!まさに絶景!いつまで見てても飽きないほどだった。これが夕暮れ時ならさらに綺麗だろうな・・・ いつかまた来る楽しみを残して後にした。そうそう、書き忘れたがこの展望台もすごいのだ。何が凄いというと、山の下からは全くというほど展望台を見えなくしていて、景観を損ねないような作りになっている。まさに芸術作品。そのことが評価されて幾つか賞を受賞したというほどの展望台なのだ。それらにも見せられながら後にした。

車で亀老山展望台へ!
来島をバックに最高の展望
亀老山より西の展望
来島大橋

 また、観光センターに戻り、そこで昼食をご馳走になった。ここでお勧めの生きたウニが出てくるというウニ丼は時期的になくて残念だったが、それでも、こうして楽しく食事が出来るだけで嬉しかった。やっぱりこうして会いに来てくれる人は、自分と価値観が似ている。そのため、会話も自然と弾む。そして食事後は自転車を見てくれるという。実は藤原さん、自転車屋を開けるんじゃないかというほど自転車に詳しく、実際に自転車をいくつも組み立てたりして楽しんでいるという。そんな藤原さんにわざわざ乗ってきた愛車のチェーンを外して、伸びきった私のチェーンと交換してくれるという。またその作業の手馴れていること!もうその手さばきに何も出来ないまま、ただ魅入っているしかなかった。自転車に無知な私は全てが驚きばかりで、逆にそれが刺激になって、自転車って面白いな!奥が深いな!っと思い、旅が終わってから、自転車に凝ってみようかなっと強く思わせた。

芸術品である展望台
藤原さんに
自転車を見てもらう♪
チェーン交換!
伸びきってました・・・
最後の記念撮影
ありがとうございました
 最後に来島大橋をバックに記念撮影。そして、楽しい時間だっただけに辛い別れへと・・・ 仕方のないことなのだが、やっぱり辛い。でもあまりそのことは考えないようにして、手振って明るく振舞って先に旅だった。でも、また一人になると、どうしてもその寂しさがこみ上げてきて、またほんとうに優しく親身になって話してくれただけに、他人とは思えない、また最後に言ってくれた「自分の息子みたいだ!」っという藤原さんの言葉に、自分のなき父のことを思い出して、目に涙を浮かべながら、先へと急いだ。ありがとうございました。

 これが自転車道か!っというほど自転車、歩行者のためだけに作った驚くほど立派なループ橋をまわりながら、3連吊橋の来島大橋へと接続していく。この橋では他の橋と違い、町にも近いせいなのかたくさんの人が散歩がつら歩いていた。そんな方々に励まされながら、また橋の説明なんかもしてもらいながら、気持ちよくその巨大な橋を走る。そして、数キロにわたる長い橋の中ごろを過ぎたところにある、小さな島”馬島”の上にここだけ唯一の歩行者側にも有人の料金所があり、そこで200円を支払う。そしてそこから馬島に下りるために、橋の地下へと渡り、そしてエレベーターで島へと降りる。これだけでも、ワクワクして楽しかった。

来島大橋
来島大橋・馬島上にて
橋の中通過
エレベーターで馬島上陸!

 小さな島に降り、まずは小島に向かうための港を探しに走る。観光所ではないためにその案内板もなかった。が、小さな島だけにすぐにそれらしい港を発見した。でも、その港の桟橋に着いても、そこが乗り場とはどこにも書いてなく、また時刻表すらない。心配になって近くにいた釣り人に聞くと、ここで間違いないよということだったが、それでもまだ心配なほどだった。

 その前にあった、真新しい公衆トイレの休憩室で時刻表を発見してちょっとホッとした。思ったよりも便数は多く1時間から2時間おきに1本っというほどの本数だった。帰りの便の時刻もしっかり確認しておく。そして14時20分、小さな連絡船に乗って馬島を発った。船はいかにも地元密着といった感じだった。この船が島にとっては生活のすべててあり、船が着くたびに島民が集まり、荷物の受け渡しをしていた。それらを見ては別な世界を感じ、また自分にとって、よい社会勉強にもなった。

 この来島海峡、一日に何千という船が行き来している。それも大型船がほとんどだ。その船たちの間をこの小さな小船が走るのだが、大きな船が通るたびに、船は大きく揺れ、時には客席まで海水がかかるほどだった。ちなみに料金は往復で300円だった。

 約10分ほどで、目的の小島に到着。とても観光名所とは思えないほど静かな島で、桟橋を越えて、島の案内板が唯一あるのみで他にはなにもなく、また観光客もいるわけでもなく、静かな島の時間を感じながらトコトコ歩き始めた。ちなみにこちら側には桟橋に時刻表すらもなかった。

 次の船時間である15時50分まで、島内を約1時間半かけてゆっくり散策。その見るもの全てに驚かされた。島の生活風景などにも魅せられたが、やはり目的の明治の海上要塞跡にはもう常に、ワクワクドキドキするほど魅せられてしまった。各所の説明書きもしっかりしていて、それがためにさらにのめり込んでしまう。そして予想以上の規模、保存状態にも常に舌を巻いていた。そして約標高100mの地点に立つ司令塔跡地から眺めはさすがに絶景。辺りの運行する船がよく見渡すことができた。そんな時に、眼下に自衛隊の船らしき船舶が通過。気持ちもさらに高まり、嬉しくてもうたまらなかった。

 説明が遅れたが、ここは明治の緊迫した対露情勢の中で 、日本がおもいっきり背伸びをして作った要塞なのだ。そのため、ほとんど全てが輸入品で作られた。そして大金をつぎ込んで作られたこの要塞もじきに空への発展にともなって必要性が薄くなり、幕を閉じたのだが、その後、北部砲台が爆撃演習の標的とされ、さの残骸も今の残っていた。それらにも魅せられながら、あまりの面白さに、のんびり散策しすぎ、帰りの便に間に合わなくなりそうになり、最後は駆け足での帰路となった。

さらに連絡船に乗って
小島へ!!
揺れること揺れること
小島港前の景色
小島・芸予要塞
砲台跡(南)
発電所跡(南)
砲台跡(中央)
地下兵舎跡にて(中央)
司令塔より見下ろす
なんとそこへ海軍?!
の船が!砲撃開始?
発電所・兵舎跡(北)
軍事演習により
破壊された砲台
要塞の小島全貌

 無事に15時50分の連絡船にも乗れて、16時に元の馬島に戻ってきた。そして誘って頂いた、藤倉さんに会うために待ち合わせの今治港へ。そして仕事を終えた藤倉さんが迎えに来てくれた。そして、なんとそれから、その藤倉さんがボランティア活動しているラジオ局「FMラジオバリバリ」へ!その番組を一部急遽変更してのゲスト出演!5時半からの「バババパラダイス」に出させてもらったのだが、ラジオ出演は2度目であるとはいえ、やっぱり緊張しまくりでした(汗) でも、またここでたくさんの出会いがあり、いろんな人から楽しい話を聞かせてもらった。とくに驚いたのが、日曜日の番組をほぼ独占して高校生のボランティア達が放送していることだ。もちろんニュースを読んだりもしているという。そんな方々に魅せられて、お世話になたったこの”バリバリ”を藤倉さんと共に後にした。ありがとうございました。

 藤倉さんのバイクの後を追って、数キロ走った所にあるお宅へとお世話になることに。家族みんな温かく迎えてくれ、楽しく夕食は鍋であったまる♪そして食事後は近くの温泉・清正の湯へと連れて行っていただいて、のんびり入浴♪帰宅後はPCと向き合い、また楽しく会話しながら夜が更けていった。0時ごろ就寝した・・・ また日記を書けないままに・・・

FMラジオバリバリにて♪
放送終了直後
(バババパラダイス出演)
FMラジオバリバリで
お世話になった皆さんと♪
今晩、お世話になった
藤倉さん一家と♪



自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・