今、閑谷学校近くの大池公園内の東屋にテントを張って、こうして日記を書いているのだが、この公園外灯が付かず真っ暗なのだ。そして山里のため町明かりもなく、また民家の家も見当たらない。唯一の明かりは空に薄く映る、遠くの町の光と、たくさんの星たちである。そんな真っ暗な中、テント内で懐中電灯の明かりを頼りにパソコンを打っている。そのため、この電球の光、車道から見ればきっとかなり不気味に映るだろう・・・
さて、今朝は5時半起床。昨日の日記にも書いたように朝から昨日書けなかった日記を書く。そして、ちょっと豪華な自炊。さらには、朝からパンク修理となかなか忙しい朝となった。そんな時に、同じこの道の駅で車中泊したという、あるお坊さん?!に声をかけられいろいろお話しする。そして餞別にとバナナを頂いた。ありがとうございました。そして忙しくて落ち着いてお話できなくてごめんなさい・・・
そんな慌ただしい朝を終えて、ようやく9時半過ぎに出発した。まず目指したのが赤穂市。そうあの忠臣蔵の舞台でもあるところだ。そんなこともあって今日のこの赤穂市の観光、楽しみいっぱいだ。小さな山を一つ越えれば赤穂市へと入る。そんな峠の頂で、あるモニュメントを発見!なにかと思って覗くと、さっそく赤穂藩の火急をつげる飛脚の像であった。もうここから忠臣蔵の舞台は始まっていた。この先の観光意欲がさらに高まった。
そして坂をさっそうと下り、赤穂市街へ。そして城跡へと入った。まず出迎えてくれたのは城壁と大石神社。城跡というように書かれていたが、しっかりと城門付近は再現されていて城の迫力は十分だった。そして大石神社へ。もちろんこの大石は、忠臣蔵の主役でもある大石内鞍助の大石である。そんな神社の参道には47士の石像が堂々と並ぶ。石像の大迫力に圧倒されながら本殿へと入る。そして参拝。ここには資料館もあったが、400円とやや高く、この先に市立の歴史資料館もあるため、そちらでこの赤穂の勉強をしようと思い、ここはパスすることにした。
大石神社観光後は、本丸跡へといってみた、ここも城門は立派に復元。さらに本丸城内には庭園として整備されていた。驚くほど大きな城跡公園内の散策はまだまだ続く。こんどは一番楽しみにしていた、歴史資料館へ。作りも変わっていて蔵が並んだ作りになっていた。料金も200円と安く、さらに赤穂の歴史の中には盛んな塩産業のことも詳しく展示されているらしい。そんな産業にも興味があったため期待も大きかった。だが・・・ 玄関を前にしてがっかり・・・ 定休日であった。肩を落として帰路へ・・・ そんなことから、やっぱりこの赤穂藩のことに詳しく知りたく、大石神社にまた戻って、そこの資料館に入ることにした。
資料館は小さいながらの意外に見所も多かった。詳しい年表や、そして47士の個性あふれる木像、さらには大石邸の見学と楽しむことが出来た。こうして、歴史資料館には入れなかったのは悔しいが、赤穂城跡をあとにした。その帰路、明治建築の建物があるということでちょっと立ち寄りながらの、次の目的地、閑谷学校目指してすすんだ。
閑谷学校のことは元々予備知識もなにもなかった、地図に”江戸の藩学校(国宝)”と書かれているのを見て、ちょっと行って見たい気になったのだ。だが、赤穂からこの学校まではちょっと遠回りになる。およそ10kmほど真北にのぼることのなるが、気になったら行くしかない。坂がそれほどきつくないことを祈るだけだ。
道中、まずは海沿いを走るのだが、その海沿いがなめてかかっただけに意外にきつい。小さいが幾つかの峠を越える。そんな峠でもバテ気味で、この先の閑谷学校への上りが心配だ・・・ 綺麗な瀬戸内を見ながら進み、そして、学校への分岐点、北へと進路をとるが、意外に平坦な地が続いた。それほど苦もなく国道2号へ。そしてさらに北へと登っていく。それでもここからは本格的な登りになると思ったが、このさきも意外に登りは楽だった。あっという間に学校の石門へ。でも、この石門から学校まではまだ1km近くある。昔の人は距離感が違っていたのだろう。第一、全国を歩いて移動しているのだから・・・ そして、最後まできつい登りはなく意外にあっさり学校へ到着した。まず、ビックリしたのが、観光客の多さ。思っていた以上にメジャーな観光地だと知る。そしてそれを納得させる広大な敷地。さらには巨大な講堂や石垣。外観を見ただけできてよかったっと思った。
そして300円を払って中へ、料金のわりには見所が多かった。まずは国宝の講堂、この中にも入れたことがビックリ、ただ講堂の室内には入れなかったが、でも、小学生などの研修合宿のときはこの中で実際に今も正座で講義をしているそうだ。ただ1時間も持たないそうだが・・・ 正座がね・・・ ちなみにこの講堂築約1700年!それを思わせないほど綺麗に、またしっかり建っていたのにも驚かされた。その理由の一つが建築時に選りすぐりの木をで作ったことと、そして、炊事場、学舎などの建物は丘を挟んで作られていることだそうだ。この丘は人工だそうで日除山という。そして、その建築がやくにたったことを証明するかのように、学舎は火災で数度消失しているのに対し、飛び火することなく300年以上、このように保っているということだそうだ。
そんな講堂を見学したあとは、こんどは元学舎が建てられていたところに建つ、明治築造の学校を見学。ここは資料館としていろいろな閑谷学校についてのことが展示されていた。また、この展示量に驚かせれた。おかげで予想以上の時間がかかってしまった。満足度は十分だ。
そのあと、450mほど離れた静かな黄葉亭を見学して、この閑谷学校を後にした。すでに時間は16時過ぎであった。このあと寝床もまだ決まっていないし、目星もない。夜間走行になってしまうかと心配しながら岡山市方面へ漕ぎはじめた。するとすぐに大きな公園発見。そうこれが冒頭にもかいた大池公園だ。今日はこの東屋で就寝・・・