天気予報通り曇り空の朝だった。5時におきてテントを撤収後、早朝の涼しいうちに距離を稼ぐために軽食をとったあとすぐに出発した。
まず向かったのは小布施町にある岩松院。ここには戦国武将・福島正則の墓があると聞きいってみることにした。この町は北斎との関わりが深いらしく、資料館なども建てられていたが、それほど興味もなく、また会館前とあってそれらを横目に岩松院へ。この本殿でも北斎画の作品が天井に書かれているらしく、有名な観光地となっていた。ここも会館前と見物はできなかったが、それよりも福島正則の墓がどうしてここにあるかの方が気になった。その答えは丁寧な案内板ですぐにわかった。元々は大大名で他の地に構えていた。そこまでは知っていたが、そのあと城の築城にさいして武家諸法度に違反し減俸とおなりこの地に移ったそうだ。そのときにこの寺を菩提寺としたそうで、ここに墓がのこっていた。その城の引き払い方がいさぎよかったとか。そんな武士道を感じながら寺を後にした。
そのあとは、今度は川中島公園に向かった。今後は妙高方面に向かうために遠回りになるが、地図でみて興味を持ちいってみることにした。ついでにすぐ近くの海津址、松代市街も観光してみることにした。まずは先に松代から観光。そんな軽い気持ちで観光に向かったのだが、行ってビックリ!松代の城下町がよく残っていること。まさしく長野の小京都だ!だだ残念なことに旧文武学校・真田博物館は共に料金が500円と高く見物できなかった。真田博物館は上田市でも見学してきたために悔いはないが、文武学校は幕末に興味があったたでに悔しかった。雰囲気だけを楽しんで後にした。
そして次に象山地下壕へ。ここも寄るつまりはまったくなかったが、近いので行って見ようと思い軽い気持ちで訪れたのた。ましてや、その地下壕が何なのかも知らずに向かった。旧陸軍の本土決戦にそなえて大本営や皇居の移転を考慮した地下壕だった。そしてその建設には多くの朝鮮人が強制労働され、さらのは労働条件の悪さに多くの死者をだしたところでもあった。そして朝鮮人の慰霊碑が立てられていた。そんな戦時の悲惨さと残酷さを肌で感じながらその地下壕を見学した。ここの見学料は無料でこうした戦争の悲惨さを気軽に感じるれる町の方針にも関心した。こんな気軽に史跡を見学できる地をもっと増やして、多くの人に歴史に関心を持ってほしいものだ。さらに地下壕を見物していると朝鮮人の学生さんらしい団体客も見学しにきた。こうした地で朝鮮の方と面と向かって会い難い・・・ もっと被災者の保障と、さらには日本軍のしてきた残酷な行為を明確に公開してほしいものだ。
そんな戦争の悲劇を見学して、こんどは象山神社へ。ここも偶然発見。なんと司馬遼太郎の幕末小説によく登場する佐久間象山の地であった。そしてすぐ近くの象山記念館も250円払って見学。象山の生き方、強い精神を勉強してまた心を打たれた。本当に幕末の志士たちの行動力と熱意には見せられる。自分の人生を考えさせられた身の為になる観光となり、予想外の松代での収穫でになった。
そして川中島公園へ。ここでは川中島に関する碑や像がたくさん建てられていた。特に引かれたのが首塚。ここは川中島合戦の多くの死者を武田方が両軍関係なく全ての死者をともらった所だそうだ。それに謙信が感謝して、信玄が塩不足のときに謙信が塩を送ったという話だ。塩を送ったのは知っていたが、こんな経緯があったとは知らなかった。そんな行為にも見せられながら川中島公園を見学した。ただ、残念なことに市立博物館が定休日で見学できなかったのが残念だった。
そんな身のある観光をしたあとは、次は善光寺へ。長野市観光には必須の場所だそうでここはさすがに期待が大きく観光へと向かった。さすがに多くの人で賑わっていた。そして歴史ある建物にも見せられたが、創立の由来や寺の歴史についての案内板がなくて、よく分からないまま、ただ古い寺というだけであった。それでも少しでも知ろうと500円払って参拝。地下の暗闇の中の遊び心いっぱいの参拝は面白かった。でもただそれだけのことでちょっと期待はずれの場所となってしまった。
ここから先は気持ちよい楽しい観光から一転する。自転車で同じように日本一周された田島さんを見習って、私もある新聞社へ投稿に向かった。記事にしてくれなくても話くらいは聞いてくれるだろうと思っていたのだが、残念ながら守衛所の電話で記者がいないとの理由で門前払いを喰らってしまった。また、それなら登山後に松本にも支店があるからそちらへ行ってくれとも言われたが、それでは長野県をもう出るときであまり意味がない。
そんな冷たい対応に肩を落として、今日の目的地にしていた信濃町の道の駅に向かうことにした。多くの方にこの熱意を伝えたいと思うのだが、そううまくはいかないようだ。以前にもなんどか新聞社へメールをしたが、返事が一度も返ってこない。無視されてしまっている。結果はどうにしろ返事くらいはほしいものだ。そんな人間の冷たさもこの旅で知った。だが、それ以上に暖かさも知ることができた旅だ。今後もそんな暖かさがあるからこそ旅をがんばって続けていけるのだろうと思う。 さて、話はもとに戻って、道の駅に向かったのだが、途中から小雨が降る出す。それでも空は明るかったのでコンビニへ避難して雨宿り。その後止んでくれたので再出発。しかしまた30分もすると小雨が降ってきた。しかたなくカッパを着る。だが同様にすぐに止んでくれたが中途半端な雨で蒸し暑く辛い信濃町までの登りとなった。途中のスーパーで今後の登山に備えて食料を買い足し。そしてさらに重くなった自転車を必死で漕いだ。だが、そのうち雷鳴が鳴り出した。いやだな~と思っていると今度は自転車の後輪から”バキッ!!”と大きな音が・・・ さらに大雨が降る出した。ちょうど近くに屋根付の歩道橋があったために非難。自転車を見てみると後輪のスポークが何本か折れていてタイヤが曲がっていた。すでに歪みが大きく進めない状態だった。今日、昼間のときなんかおかしいなとは思っていたが何度見てもよく分からずに結局ここまできて、状態がさらにひどくなって初めて気づいた。すでにどうすることも出来ず、さらには雨も土砂降りに・・・ 今日はこの歩道橋内でしかたなく寝ることにした。ショックのあまり何もするきが起こらず、HPも更新することなくそのまま横になって寝てしまった。
はたして自転車を無事直して再出発できるだろうか・・・ さらにはすでにお盆休みに入っているために自転車店がやっているかも心配だ・・・