今日で旅立ってから一ヶ月となる。暑さ、坂、孤独、空腹と戦いそのときは修行のようにも感じることがあったが、今思い出してみると全てがよい思い出で、また、充実したよい日々を送っていたと思う。ただ、残念なのが、あまり地元の文化や仕事、そして人々に触れて感じることが出来ていない。毎日がまだ焦っていて先へ先へと進もうとしてしまいゆとりがないせいかもしれない。また、旅をしていても、いろんな方と話はするが、友としての親しみのこもったような会話はない。どうしても他人としてと会話だ。そんな会話にすこし飢えているような気がする。たとえが、同じ苦労を味わっているチャリダーにあって共に数日過ごすなど、そんな出会いがほしいものだ。やはり同じ自転車の旅をしているだけに他人とは違った会話が出来るだろう。まあ、そんな出会いはこの内陸を走っている私にはまずないだろう。海沿いに戻ったときに会えることを期待しよう。
さて、今日の日記に戻る。今朝は5時に起床。道の駅だけにゆっくり寝れた。昨夜の日記ではテントを張らず寝ることにしようと書いたが、ベンチが短くて眠れにくいこともあって東屋の下にテントを張ってねることにした。買ってあったパンで軽い朝食をすまして出発。
まずは信濃国分寺へ。6時半ごろ到着したのだが、夏休みとあって境内はラジオ体操の場になっていて子供であふれていた。さすがの人の多さに参拝をあきらめてしまい、三重塔や案内板を見学してあとにした。
そして、上田城へ行く。上田城公園を散歩して石垣や現存する城などを見てまわる。そのあと博物館によりたかったが、会館が8時半とまだ時間があった。まだ7時過ぎだ。ベンチで朝の涼しさを感じながら地図を見ながら今後のルートをシュミレーション。これが案外楽しい。シュミレーションしているだけでも旅をしているような感じになる。坂を見ればきつさも伝わってくる。そんな感じで時間をつぶし、後半は読書に徹していた。
そして8時半会館。観覧料も250円と安い。この値段で、博物館・隣接されている山本鼎館(版画家)そして櫓内まで見学できるのだ。まずは博物館へ。上田城の歴史が分かりやすく説明してあり、また築城当初から戦後までの長い期間にわたっての歴史の資料もあってかなり楽しむことができた。元々ある程度の真田氏と上田城の歴史を知っていただけに、よけい興味深いものがあった。
そのあとは美術館へ。展示数はそれほど多くはないが、そしてあまり版画には興味がなかったのですらすらと早めの見学。ただ数点、油彩も展示されていて絵画には興味があったのでここではのんびり見学。やはり人の絵を見ると勉強になる。そんな感じで観覧して、最後に櫓を見学。櫓内でも同じような上田城にまつわる展示物が並べられていた。
250円という値段でかなり楽しむことができ、大満足の上田城を気分よく後にした。そのあとは国道をひたすら登って四阿山登山口にもなっている鳥居峠を目指す。でも、途中の真田町でちょっと寄り道。この地は真田氏の発祥の地で、真田歴史資料館がある。さっそく向かったのだが、そこまでが予想以上ののぼりで辛かった。この坂を予想していなかっただけによけい精神的に辛くなるのだ。さらに朝とちがい気温も上がっている。汗を大量にかきながら、なんとか資料館へ。ここも200円と安い。さっそく館内を見学。上田市博物館とだぶっている展示品も多く、同じ人物を説明しているだけに当たり前だが内容もかなり似ている。それでも200円分は十分に楽しんで、今度はその公園内にある真田館跡を見学して、いざ鳥居峠へ!!と、行きたかったが、まだ食料・飲料の調達ができていない。スーパー、コンビニがないかと聞くがこの先はないというではないか・・・ しかたなくまた坂を下って一番近いスーパーに寄った。小さなスーパーだけに品揃えが少ない。さらには高いときていて、結構な出費になってしまった。
食料も調達してこんどこそ鳥居峠にむかった。坂は上田市からひたすら登っている。1時間ほど登っているとさすがに暑さと疲労で進むのが辛くなってくる。ちょうどよい木陰を見つけて休憩。やけに暑いと思ったら、時刻は2時ちょっと前。一番暑い時間だ。さすがに時間を見てからは再スタートする気にもなれず、日がやや傾くまでここで休憩することにした。ここでもまた読書となった。最近、読書にまたはまっている。ちょっと話が面白くなりだしたためだ。でも、活字が苦手で読むのが遅いので時間がかかるのだが・・・ じっくり気長に読んでいこうと思う。
3時をまわってだいぶ日が傾いてきた。熱気も先ほどと比べるとかなり落ち着いた。気合を入れなおして再出発。鳥居峠までの上りは所々きつかったが、それでもなんとか休憩を挟みながらだが登りきった。峠にはドライブインがありすこし賑わっていた。また登山者専用の駐車場もあり、今夜はここにテントを張って寝ようと思う。暗くなるまでまた読書を楽しんで、ドライブインが閉店後テントを張って日記の書き込みに入ったが、すぐに日が暮れてしまい、また明日の早朝になってしまった。