車輪人の自転車日本一周・登山の旅 車輪人の自転車日本一周・登山の旅

2003年 6月27日 (金) - 355日目

天気 : 曇時々雨

体調 : 良好

宿泊地 : 田名部さん宅

本日の移動 : 弘前市(岩木山登山)~弘前市観光~黒石市

走行距離 : 33.0km

累計距離 : 15,458km
本日の出費

食費 : 682円

観光費 : 0円

宿泊費 : 0円

雑費 : 0円

費用詳細 :

現在地 : 青森県黒石市  ( 全走行図 )

土地柄

もーさんと♪
 なんとなく今日、登山するこの岩木山を甘く見ていた。1600mちょっとという低い標高というもあり、もうさすがに雪もないだろう、またこの東北、さらには青森にとって身近な山であることということも知って、登山者も多いだろう、さらには登山道はハイキング道のように整備されているのではなかとも思っていた。なにせ車道は9合目付近まで延び、確かに誰でも気軽に登れる山である。そんなことから、この百沢登山口からでも楽だろう、とそんあ意識で今朝を迎えた。

 心配していた雨である。昨夕からずっと絶え間なく降る続いている。「それにしても、よく振りますね・・・」、と愚痴っぽく、公園で共にキャンプしたもーさんに話しかけた。5時に起きたものの止まぬ雨に登山へと気乗りしない。出来れば止めたいところなのだが、明日も、明後日も雨の予報で、どちらかといえば今日の方が降水確率からすれば良いほどである。ここで100名山を残していくわけには行かず、仕方なく出発準備を整え、7時、もーさんに深く御礼をし、またの再会を約束して、そして見送られながら桜林公園を出発した。

 雨対策万全のカッパを着ての出発だ。とはいっても、カッパの撥水はほとんどなくなり、また上下共に穴だらけで機能としてはあまり果たしていなく不安でもあるが、それでも、これが自分の精一杯の防水であった。だが、心配していた雨はほぼ出発と共に上がってくれた。「なんて運のいい男だ♪」、そう思いながら、先ほどの心の曇が、うそのように晴れ、鼻歌まじりで登り始めた。

 今回、この登山では登りに1グループ、下りで3グループほどと擦違いあいさつを交わした。その登りでの出会いが、歩き始めてすぐであった。「登山者は私達だけだとおもってましたよ。なんだか安心しました。」から会話が始まり、そして2,3その老夫婦と会話を交わし先へと急いだのだが、確かに今は止んでくれてはいるが、昨夜のあの雨では誰も登山へと向おうとしないだろう。そう思うほど雨は降り続いていた。

 すぐに身体が熱くなり、カッパの上着を脱いだ。雨は今のところ大丈夫のようだが、上空には相変わらず重苦しい雲が漂い日差しをさえぎっていた。ただ、眼下にも同様に雲が広がり雲海を木の隙間より見せてくれていた。かなり雲だろうと思われるが、その雲海が美しく、心を弾ませてくれた。だが、登山道の方はどんどん悪くなっていった。道は分かりやすくはっきりしているのだが、草木がよく生い茂り、通行をさえぎっていた。足元も、そして肩付近の高いところまで、ほとんど中腰でかけ分けるようにして登って行かないととても歩けない。また、昨夜の雨で大きな水滴が溢れんばかりに滴り、それを掻き分けるわけだから、もうビッショリになってしまう。もちろん苦痛でしかない。さすがにあまりに続くこのような道にウンザリし、途中からもうビッショリになってしまったとはいえ、不快感からカッパの上着を再び羽織った。ただ、カッパを着たといっても中腰の姿勢はつらい姿勢は変わらない。逆に、再び雨が降り出し、さらにウンザリしてしまった。どうも月山から天気には恵まれない。梅雨時だからしかながないか、と自分に言い聞かせながら耐え、黙々と標高を稼いでいった。

 半分ほど上った頃だろうか、登山道は沢に突き当たった。「えっ?!登山道は?!」、辺りを見回すが、それらしい道がなく、あるのは獣道のような沢沿いに何度も渡渉しながらゆく道だけである。まさか・・・ と疑うがどうやらこれである。あれほど鮮明な道が一変し、迷うことこそないが、軽い沢登りのようなところを登っていくことになった。だが、ここまではまだとくに問題ないのだが、この先、「この沿いの道では・・・」と心配していた通りに、その谷間だけに見事なまでの雪渓が姿を現した。普通の雪渓ならそれほど怖くもないのだが、この雪渓下には沢が流れているだけに、いつ雪渓が陥没し自分が落ちるか分からない道であるだけに怖い。慎重に沢がないだろうところを歩んでいくが、それでも保障がまったくないだけに、その恐怖と常に戦いながら上っていく。辺りはいつの間にか深い霧に覆われ、そして霧雨のような雨が絶えず降り続いていた。

 慎重になりながらも、でも、100%の安全はない。もちろん雨の為にトレースもなにもなく、ただ自分で選んだ道を信じ、どんどん急になっていく沢を一歩一歩上っていく。最後にはもう急登だ。ただそれを越えると、谷間を抜け、そして同時に雪渓も抜け、あとは快適な普通の登山道だ。もういつの間にか森林限界を越え、視界さええこればどこまでも見渡せそうである。果たしてどんな展望がここから望めるのだろうか、霧の為に今はもちろん視界はなく、ただ真っ白な世界を見下ろすのみであった。

おっ!雲海?!
今回もやっぱり雪だぁ~
お疲れ気味?!

 もう山頂直下だ。最後はやや急な岩場で足場はあまり安定していない。ただ、足をすくわれると言うほどではなく、それほど苦もなく登っていき、そして9時半、無事に岩木山登頂だ!だれも居ない山頂でひとり喜びの声をあげ、そして据え付けの鐘を景気よく鳴らし、喜びを表現したが、だが、その内心は辛いだけの登山であった。視界は今もなく、小雨が降り続いている。さらには寒い。昨日から気温がグッと下がり、最高気温でも15、6℃ほどしかなかった。今日は何度ほどだろう、それにしても寒い。防寒着を何枚か持っているとは言え、この濡れたTシャツの上から着る気にはなれず、グッと我慢しながら、山頂にある岩木山神社奥社を参拝し、10時、早々に下山へ向うことにした。

山頂直下の池
山頂だぁ♪
岩木山奥社

 カッパ同様、ザックカバーも防水効果はほとんどなく、もうビッショリになっていた。ただ、そのことが分かっているだけに、中の物はビニール袋に入れて対策していたのだが、でも不快感は変わらない。不快と言えばこの靴だ。グチョグチョと音を立てるほど靴の中はすでに水浸しとなっていた。革靴の意味はなくただ重い靴であり、また靴底の磨り減りもひどく溝もなくなりつつある。高い靴だが、もう真剣に買い替えを検討しなければならないことを改めて感じながら、来た道を同じように下っていた。雪渓を慎重に越え、そして帰路も生い茂る草木に苦しめられ、さらには足場の泥濘にも悩まされた。悩まされたどころか、なんどか足を滑らし、そして時には尻餅までつき、雨には打たれ濡れるわ、泥んこになるわで、もう散々の思いながらもなんとか11時45分に元の桜林公園へと下山した。

 ホッとする間もなく今日の登山の片付けに入る。カッパやアイゼン(靴爪)、ステッキを洗ったりと忙しい。そして空腹から朝も探したのだが、買ってきたはずのパンを探した。書き忘れたのだが、実は昼食(行動食)ようにと買ってきたパン2つがなくなってしまっていたのだ。昨夜寝る前まではあり、自転車のバックに押し込んで就寝したはずである。が、今朝にはない。何者かに持ってかれたのだろうが、それにしても貴重な食糧だけに悔しい!誰だ!被害届出も出したい気分だ。自転車のすぐ脇にテントを張り寝たのだが、確かに昨夜、ビニール袋をあさるような”ガサガサ”という音に一度目が覚めた。まさかと思い慌てて外を覗いてみたが、誰もいない。風か?とも思いながらまた就寝した。その時だったのだろう。悔やみきれず、こうして帰ってきてからも探したのだが、朝もあれだけ探しただけにあるわけなく、空腹を堪えながら弘前市街へと向けて13時ごろ漕ぎ始めた。

 途中、ようやく見つけたコンビニでこれでもか!というほど贅沢に一杯購入して昼食を楽しみ、そして弘前市街へと入っていった。「どんな町だろう。」、前々からこの地名を聞いていただけに期待が膨らんでいたが、でも全くと言っていいほど何があるか知らないだけにとりあえず弘前城へと向ったのだが、ここに来てまた雨が降り出してきた。下山したころから雨は上がってくれ、ここまでは快適に走ってくることができたのだが、あと城までわずか1kmほどというのに大雨に降られ、足止めをくらってしまった。とは言え、観光する時間をあまり割くわけは行かずに、ほどほどにし、最後には諦めてまたカッパを羽織って城へと入った。

 ここ弘前城は東北では唯一だという江戸時代に再建された城が今も残るところで、天守は小さいながらも威風を今の残していた。また5つの城門、3つの櫓も現存し、その見応えは充分すぎるほどで、その姿にすっかりもう魅せられてしまった。もちろん、この広い城内とはいえ、こういうときはのんびり歩いて観光している。

弘前城・追手門
弘前城
弘前城天守

 城を散策しながら抜けると武家屋敷である。途中で頂いた市の観光マップを眺めなているだけでワクワクしてくるほどこの弘前市は見所が多い!今日、ほんとうなら浪岡まで行こうかとも考えていたのだが、とても行けそうもないほどである。まず、入った武家屋敷(町並み保存地区)では多くの建物群が迎えてくれた。梅田家、伊藤家、岩田家と3箇所ほど屋敷の中まで無料で見学できるのだが、悔しいことに自分は1箇所しか中を見学することができなかった。あとは外から様子を窺うのみとなってしまった。それはこの濡れた靴のせいだ。こんな足で上がる訳にもいかず、それでもとは思い一箇所だけは靴下を脱ぎ、足を拭き、なんとかお邪魔したが他は断念せざるえなかった。この雨にはほんと悩まされっぱなしである。

 観光はまだまだ続く。意外に市内広域に史跡は広がり、歩いてではちょっと時間的に苦しくなってきた。とは言っても今から自転車まで戻るには二度手間になってしまう。そんな時に見つけたのが自転車無料レンタルだ!嬉しい配慮で、迷うことなくお借りして、このあと身軽なママチャリで観光を続けた。それにしても嬉しい町だ。すっかりこの弘前にハマッテしまってしまっていた。

旧伊藤家・旧梅田家
石場家住宅
レンタル自転車で軽快に

 今度は教会巡り、昔から学問が盛んで、外国人教師が多かったせいだろうか教会が多い。まずは明治5年の布教開始と歴史の古い弘前カトリック教会へと向かった。また雨に降られ、逃げる様に慌てて入った教会ではあるが、見事なステンドグラスと祭壇にこころ奪われ、しばし教会の片隅に腰を下ろして心洗われるのんびりした時間を過ごした。

 そしてお次も教会。今度は弘前キリスト教会でこちらも古く明治39年築造の教会だ。ただこちらは残念ながら中の見学は許可がいるらしく断念して先を急いだ。

弘前カトリック教会
カトリック教会内
弘前キリスト教会

 旧青森銀行も見学しようと思ったが、もう16時近くと各所の閉館時間に追われ始めた。残念ながらここは外より覗くだけにして諦め、追手門広場へと向った。ここにはたくさんに施設があつまり一大観光地となっていた。ここで借りた自転車を返却し、明治の文明開化を象徴する旧弘前市立図書館、旧東奥義塾外国人教師館と見学、さらにこの青森ではほとんどの町でそれぞれ行なわれる言うねぷた祭り、ここでは弘前ねぷたについて見学し、そして最後は学園の町らしく多くの弘前市関連の文化人を紹介した郷土文学館も見学した。もう悔しいがこのあたりはやや駆け足、でも、悔いがないように厳選して見たいところだだけはじっくりと確実に見てまわったのでそれなりに充実した観光となった。;ただ、他にもこの弘前にはたくさんの明治を象徴する建物が幾つも残り、それらまでいけないのが心残りであった。

青森銀行記念館
旧弘前市立図書館
弘前ねぷた
旧東奥義塾外人教師館
外人教師館内

 こうして城周辺の観光を終えて17時ごろに自転車へと戻ると、そこで驚くことに私が来るのを待っていてくれた方がいた。この弘前市の大学へと通う田辺さんで、「もしかしてこの公園にいるかも?!」と思い、学校帰りにきてくれたそうなのだ。感じのよい誠実そうな方であり、また自転車旅行にも夢を抱いているだけに話は楽しく進む。そしてなんと嬉しいことに「よかったら、自宅へきますか?」と誘ってくれ、そしてお言葉に甘えてお世話になることになった。車で来た田名部さんと一時わかれ、田名部さんの住む黒石市で待ちあわせすることにした。

 最後に五重塔で有名な最勝院、そして大学内にあるためにちょっと入りにくかった弘前学院にもよって外人宣教師館にも中には時間的に入れなかったが立寄って、黒石市を目指した。国道102号で向い、途中から旧道へと入る。昨日のリンゴ林ばかりの走行とは一変し、この辺りは田園地帯が続いている。やはり日本だという感を受けるが、でも、必ずちょっとした敷地の隙間にはリンゴの木が植えられていた。

 田名部さん宅では家族みんな温かく迎えてくれた。家族みんなでいろんな土地の話を聞かせてくれたり、また、自分の気になっていたことを教えてくれたりと話は尽きない。ちなみにこの辺りは思っていたよりも方言はきつくなく、やや気を使って話してくれているということであったが、それでもおばあちゃんに至るまで普通に話すことが出来た。また、逆ないい方をすると、親子共々その方言はしっかり受けつがわれているという感じも受けた。今、場所によってはどんどん方言がなくなり、その土地柄が無くなってきてしまっているだけに、ちょっとした方言が嬉しく感じた。聞くと、この同じ津軽平野でも場所により方言が大きく違うという。そんな話も面白い。こうしていろんな土地ならではの話を聞きながら、久しぶりに”家族”という温もりに感じながら、夜はベットでのんびり就寝した。ありがとうございました。

 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : 雑炊
 ・昼食 : コンビニ弁当・パン×2
 ・夕食 : 豪華な家庭料理♪(さけ、ハンバーグ等)

最勝院・五重塔
弘前学院・外人宣教師館
お世話になっている
田名部さん一家と♪



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