「さて、北か、南か、どうしようか・・・」、自転車にまたがり向かう先である。本当なら昨夜はキャンプ場へと入り、まだ東京観光を続けようと思っていた。会いたい人もまだ沢山いる。広報活動もしたかった。悔やめばキリがないが、しかし、安心した寝床がないままの停滞ほど辛いものはなく、その不安を考えると自転車は自然と南へと走りはじけていた。しかし、今日向かった横浜も本当なら、やっぱり入ろうと思っていたキャンプ場をベースに2日間掛けて観光しようと思っていた。どれもころも思惑が外れ、結局、横浜での野宿は避け、観光しながら1日で突っ切ることに決め、朝8時前には横浜へと自転車を漕ぎ始めていた。
ちなみに今朝は昨夜早く寝てしまったこともあり、早起きしようと4時に目覚ましをセットするが、なかなか起きられず、隣の東屋のホームレスと一緒の5時起き。ただホームレスは撤収が早く簡易テント?をあっという間に片付けて6時前には跡形もなく去ってしまっていた。私の方はと言えばホームページの更新の為に黙々とPCと向き合っていたのだが、溜まった日記を終わらすのはおろか、これ以上に溜めなくするのがやっとの状態で、1日分だけをようやく書き上げて出発したのが先ほどにも書いた8時近くであった。
「さあ、一気に横浜だ!」、そんな気合の下、自転車をこうして漕ぎ始めたのだが、しかし、昨日の夜の走行ですっかり方向感覚を失っていて、いくら進んでも自分の思うところへ出ない。いや、逆に埠頭の方へと出てしまい、慌てて引き返しては、また行き詰ってしまう。平和島付近の埋め立て地を行ったり来たりすること1時間弱、ようやく人に聞きながら国道15号へと復帰し、そしてここまでこれば横浜までは一直線。横浜のシンボルのひとつ、徐々に迫り来るランドマークタワーを常に目指しながら自転車を漕ぎ進め市街へと入っていった。そして最初の観光は”県立博物館”からのスタートだ。明治が好きな私だけにこの横浜の歴史は面白い!幕末の開港、そして文明開化の始まり、さらには鉄道・造船などの新技術もここから始まっている。それだけに、資料に穴があくほどじっくりと魅入っていた。そして、今も残るこの横浜の街並みも面白い。数々の建造物はもちろん、街割なども今も色濃く残るところが多々あり、その代表的な物は中華街だろうか、それらの観光に胸ときめかせながら、博物館を後にし、開港記念館、県庁と見て周り、そして、日本郵船資料館へと入った。日本の近代史は船を外しては語れないだけに、ここも見ごたえは十分!もちろん創始者は今まで何度も資料館で見てきた土佐の岩崎弥太郎である。そこから始まる郵船業、そして戦争と密接に関わり続け、今は多種多様な貨物船が主である。そんな歴史の流れが詳しくここでは述べられ、さらには500円の入館料にドリンク付きとサービスもよい。この横浜、見れば見るほど面白くどんどん好きになっていった。
この後もまだまだ観光は続く。赤レンガ倉庫群を見学したり、テレビで何度も聞いている山下公園も実際にこの目で見て見たく散策。ただ、この頃にもなると時間が押し迫り、日本の元豪華客船”氷川丸”は外から見物するだけで断念。また中華街も見て歩き抜けるのみで、散策とまではいかなく、やや心残りの最後の慌しい観光である。ちなみに有名なシュウマイや中華まんは、その値段に驚き、諦めてしまった。好物のひとつだけに悔しくもあったが、今回の旅が食の旅ではないだけに、自分にそう必死に言い聞かせての中華街であった。
15時。そろそろ街を後にしないとまた闇が迫ってくる。慌しく自転車を漕ぎ始め、市街地を後にしながらも、まだまだ観光は続けていった。南下しながら元町、山手町の領事館街を見て進んだ。また時には時間もないのに入館し見学もした。好きな時代背景だけに見ずにはいられなかったかただ。こうして慌しくも充実した楽しい横浜観光となり、後はまた寝床を求めてひたすら南下へと向け自転車を漕ぎ進めたのだった。
しかし、寝床と言っても今日の寝床は決まっていた。HPを通して誘ってくれた横須賀の岡田さんだ。そこまで約1時間の道のり、暗くなる前にと必死で漕ぎ進めるが、しかし寄り道が多すぎた。今日も連日の夜道を最後は恐怖にかられながら漕ぎ進むことになってしまったが、しかし、この後、楽しい出会いが迎えてくれ、それが岡田さんだ。初めて今日お会いしたのだが、気持ちがいいほど話しやすい方で、この後、夕食に誘ってくれ、その豪華さに驚いた。そして誘ってくれた岡田さんも一緒に驚いているから面白い。そんな乗りが会話を弾ませ、お腹いっぱいに頂き、この後、岡田さんの実家へとお世話になり、そこで楽しく飲み交わし、夜はあっという間に流れていった。就寝は0時ごろだっただろうか・・・ ありがとうございました。
★今日のお食事♪
・朝食 : 半額弁当
・昼食 : パン×1
・夕食 :
豪華な海鮮コース♪