しかし、そんな調子だからHPは進まない。また電源もなく、この強い日差しの下では液晶もろくに見ることも出来ず、また電源不足もあって、結局、昨日の日記の写真だけのUPで今朝は終わらせてしまうことになってしまった。今夜また頑張らなければと思いながらも、今は作家と共に朝を楽しむ、二人で食べる食事はとくに旨く、ひとりテントで籠もっていただく食事とは雲泥の差であり、箸も気持ちよく進ませながら、食事を済ませ、そして8時半、またの再会を楽しみにして、またお互いの旅へと出発して行った。
こうして今日の観光へと自転車を漕ぎ始め、向った先は石巻市であった。どんな観光名所が待っているんだろうかと今日も期待を膨らませながら市街へと入っていくと、出迎えてくれたのはヒーローの数々で、仮面ライダー、サイボーグ009、そしてキカイダーなどなど、それらが街角にたち、ついつい共に写真を撮りたくなってしまうような、また笑みも同時にこぼれてしまうモニュメントたちが迎えてくれた。そしてそんな楽しい市街を抜けて旧北上川へと出れば、そこに浮ぶ中洲に巨大な石ノ森章太郎の漫画館が出迎えてくれた。しかし、入館はしない。興味もあったが、もらったパンフを見る限りではその人柄や思いを展示した資料館というよりもレジャー施設といった感が強いように思われ、また値段も800円と高かったからであり、それを横目に向った先が、すぐ隣に建ち、またまるで対照的な建物である”旧石巻ハリストス正教会”であった。今は資料展示としか使われていなく、教会独特の神聖さは失われてはしまっていたが、それでも何故か心落ち着かせてくれる場所であり、セカセカと日々あわただしく心落ち着かない毎日を、洗ってくれる場であったことは確かで、時間を忘れ教会内を見てまわり、さらには見終わった後も外のベンチで白く輝く教会を眺めながらしばらく時を洗っていた。
そんな石巻の観光、他にもあの伊達政宗が欧州へと送った「慶長使節」の資料館もあったのだが、ここも1000円と高く、どちらかというとレジャー的なところのように感じ、それら歴史は他で期待することにし、市街を抜けて、いよいよこの旅、最後の日本三景となる松島へと向けて自転車を漕ぎ始めた。ちなみに他は言うまでもなく広島の厳島と京都の天橋立である。今回、この松島へと訪れるのが初めてではないが、それでも見るたびに景色も変わるだろう期待があり、さらにはこの真っ青な青空である。期待が膨らむのは無理がないかもしれない。しかし、自転車を進めれば進めるほど先はいつの間にかどんよりした重い雲で覆われ始めていた。おいおい・・・ と独り言をぶつぶつ顔をしかめながら溢し、さらに進めていけばなんと思いもしない雨が・・・ それも徐々に勢いは激しくなり軒下を見つけて慌てて避難する羽目になってしまった。もちろん溢す言葉は「聞いてないよ・・・」と涙目を浮かべながら外を眺めているしかなかった。そんな時にある地元のおじちゃんが声を掛けてきてくれた。旅を説明し後は地元である静岡まで走るだけのことを伝えると、「後7日くらいかな?」と、そんな言葉が返ってきた。そう言われるとそうだろう。もう、残りは600~700kmほどだろうか、普通に走っていけば一週間ほどで帰宅できるところまでの距離まで自宅は近づいていた。なんだか嬉しい反面、しかしその距離をわざわざ遠回りして2ヶ月も掛けて走らなければならないと思うと気が重くもなってしまう。どうも自分はこうした野宿の旅は似合わないと思っているだけに、後2ヶ月、全体から見れば後少しであるが、しかしされど2ヶ月であり、また、7日間でもあるだけに複雑な心境の中でのおじさんとの会話であった。
30分ほど雨宿りしていただろうか、雨も上がり再び青空が広がり始め、それと共に再び自転車をこ漕ぎ出して松島の景勝地へと入っていった。さすがは三大景勝地だけに人で溢れ、物凄い賑わいを見せる中、その人込みを縫うように走り抜けて松島のシンボル的な存在であろう”五大堂”に魅せられ足を止めた。「松島だぁ!」思わずそううならせる風景が目の前に広がり、そしてカメラを構えてしまう。どう撮っても絵になりそうなその風景を収め、そして五大堂建つ島へと朱色に塗られた橋を2つほど修学旅行生など掻き分けながら渡り参拝。そしてその後にこの松島と言えば同時に名高い東北随一の禅寺・瑞巌寺へと向ったのだが、またも雲行きが怪しくなり始める。そうなると露天に放置したまんまの自転車が心配になり瑞巌寺入り口まで来たにも関わらずまた引き返すことにした。すると案の定、ポツポツと雨が落ちてくるではないか、いつの間にか駆け足となり、自転車に辿り着くや急いで軒下をと探しに駆け回り何とか移動させ、そして改めて参道へと足を運んだ。
今日は一日晴れのはずなのに・・・ どうなっているんだ!と叫びたくなるこの空模様の中、雨に濡れながら杉並木が連立する参道を行き、そして、国宝の瑞巌寺・本堂へ。観光客溢れる中、また日本を代表する建築物であることを物語るように外国人の方も多く、そんな人波と共に本堂内へと足を踏み入れると、平泉に続きまたまた豪華で目を見張るほどであった。欄間には至る所に透かし彫りが施され、また襖を見れば金箔で色鮮やかに装飾されていた。さすが政宗が名工を揃えそして5年もの歳月をかけ作っただけのことはあり、本殿しにろ、また禅宗寺院の台所である、庫裡にしてもどれも目を奪うものばかりであった。そして宝物殿へと足を運べば伊達や寺院所縁の品々がずらりと並んでいたのだが、しかしこちらの方はあまりに仏教に対し専門的過ぎて私にはよく分からない。勉強不足を痛感しながらも流しながら見ていくと、ある欧米人2人組みと、それを説明する東洋人が目に入った。その東洋人が片言の日本語、英語を用いて一生懸命この寺の歴史について説明していたのだが、伊達政宗公の前で、「”おだまさむね”です。」、と説明していたのがなんとも寂しかった。そして2人はもちろん何の疑問を持つことなく、「おだまさむねね。」と暗証していた。訂正しようとも思ったが、足早に先へと行ってしまいなんとなく機を逃してしまい言いそびれてしまったのが、しかし今思うと悔しく寂しい。
改めて松島を眺めようとようやくまた雨上がった空の下、気持ちよく漕ぎ進んで向った先は双観山展望台、そこから見る景色も悪くはないが、ややインパクトに掛けるような気もした。点在する島々がどれもこれもやや遠いせいだろうか。それとも松島とはこんなものだろうか、幾つも展望台をまわる訳には行かず、どれが松島の姿なのかと考えながらぼんやりと景色を眺めていると、この展望台に建つ料亭のご主人らしき方と声を掛けてきてくれ、いろいろ聞いてみる機会を得た。訪ねてみると松島を見るなら奥松島である宮古島は壮観から見たほうが素晴らしいよ!と語ってくれた。しかし、すでに行き過ぎてしまっているだけに戻るわけにもいかずどうしようもなく、それでも、次来る時はそこからだなとも心に刻み、この双観からの景色を最後に松島を後にすることにした。
この後は寝床を物色しながら”塩釜神社”、”多賀城跡”と見てまわった。表参道では長い長い石段迎えてくれる塩釜神社、さすがは東北随一の神社だけにここでもたくさんの参拝客で賑わい、私もその中に混じって旅の安全祈願をし、そして食糧買出しや雑貨などを買い物を楽しんだあと、お次は多賀城跡、ここは奈良・平安時代の陸奥国府跡なのだが、まずその広大な敷地に驚いた。丘の上に建つ政庁を中心に、四方に史跡が残り、寝床を物色しながらそれらを共に散策。その大きさもさることながら、今にも伝える史跡公園の規模としても驚かされる。しかし、その公園内、なかなか良い寝床が見つからず、またすぐ近くの加瀬沼公園へと足を運ぼうとしたのだが、地図に載っているその分岐がなく、行ったり来たり、そうこうしているうちに17時をまわり陽は大きく傾きだした。さすがにこうなると捜索を断念せざるなく最初に目星をつけていた史跡公園南門にすることにし諦めたのだが、しかし再度物色してみるとここもそれほど悪いところでもなく、無事に腰を落ち着かせ一息ついたのだった。その後、簡単に夕食を済ませて、それからはHPの更新作業に没頭。しかし溜まったHPは簡単には書き終えることはできず、すぎに力尽き睡魔に襲われ22時前には就寝した。
★今日のお食事♪
・朝食 : ごはん・ラーメン・缶詰・卵入り味噌汁
・昼食 : パン×3
・夕食 :
ラーメン(ほうれん草・もやし・ホタテ入り)