「あれれ?!雨は?」、予報では昨日の夜には雨が降るというはずであるが、朝になっても未だに落ちてこない。雨の朝を覚悟していただけに拍子抜けしながらも嬉しい限りで、自炊後、雨が降ってくる前にとテントを急ぎ撤収し荷物をまとめた。しかし、空を見上げれば真っ黒な雲が辺りを覆い、今にも降りだしそうな不気味な空である。降りださないで!と祈りながら荷物をまとめ、そして降り出す前に早々と出発しようとしたそのとき、雨がポツポツと落ち始め、そして次第に小雨が辺りを覆いつくした。
予報は1日雨、いや、1日どころか明日も雨の予報だ。2日もボーっとしている訳には行かず、急ぎ撤収しての今日の雨降る前のにと出発準備であったが、しかし、雨はとうとう降り出してきてしまった。しかし、テントが濡れなかっただけでもよかった。お蔭で撤収も楽になり、小雨降り始めたとはいえ気分のいい出発にもなり、意を決し、小雨の中へと自転車を漕ぎ始めたのだった。
意外に今日は温かい。雨の中での出発を決意した大きな理由のひとつだ。どうしてもある程度は濡れ、そして体温を奪われるために、寒い日の雨走行ほど辛いものはなく、そんな日だけは避けようとおもっているのだが、今日はいつになく温かく、かといって暑過ぎはせず、小雨降る中とはいえ、気持ちよく岩手山焼走りより駆け下り、そして向った先は石川啄木記念館。それほど詩に対し興味あるわけではなく、また全くと言っていいほど詩については分からないのだが、しかし、啄木の人生、生き方には興味があり、やや高い入館料であったが奮発して入館することにした。
資料は見所豊富♪また野外には再現された尋常小学校、ここは啄木が学び、さらには教壇で生徒に教えた場所である。その古びた校舎に小さく可愛い机と椅子が並べられていた。その小さな椅子、それも一番後ろにちょこんと座り、しばらくその教室を眺めた後、こんどは教壇へと立ってみた。誰もいない教室ではあるか、しかし、こうして教壇へと立つと、机ひとつひとつにたくさんの顔が浮かび上がってくる。笑っている顔、不貞腐れている顔、泣いている顔、なんだかそんな風景を懐かしくながら、教壇から誰もいない教室をいつまでも見つめていた。そこに自分をダブらせながら・・・
雨を凌げるような東屋はないか・・・ あってくれ・・・ そう願いながら立派な堀と石垣を未だに保つ南部藩は盛岡城へと踏み入れる。明治にここも例外になく城が民間に払い下げられ取り壊されてしまった城郭であるが、しかし、堀、石垣だけは当時のままの威圧を残し、散策していれば自然と白壁がみるみる目の前に浮かび上がり、ワクワクしてくる楽しい城跡散策。そんな盛岡城の天守後には、これまた銅像跡と言える台座だけが建っていた。これは日露戦争で奮戦し、戦死した南部利祥を讃える為に建てられたものであるそうだが、大戦中の物資不足時に目を付けられ取り壊されてしまったそうだ。城の歴史以外にも、そんな歴史もこの城には刻まれていた。
さて、肝心の寝床探しの方はというと、雨を凌げる東屋は数多くあるのだが、どこを見てもさすが市街地だけにホームレスがいついていた。さすがにそこに割り込むわけにも行かず、また前回のこともあり、仕方なく岩手公園を後にし、向った先はやや郊外となる子ども科学館付近の公園。東屋があってくれと祈るようにして向ったのだが、芝生広場こそ広がるが、しかし公園内には雨を凌ぐところはどこにもない。科学館の軒下を借りようともおもったが、しかし、その建物の電気はいつまでたっても消えることはなく、さすがに待ちくたびれ諦めて向った先は工事中の道路の高架下。工事中とはいってもすでに完成している。ただ、道が結ばれていないだけであり、通行量もなく静かでよさそうなところでもあった。ただ難点はトイレも水もないことで、もちろんそんなところで自炊は出来ない。久しぶりの牛丼屋は”すき屋”へと足を運び、今日の疲れを食で癒して、この後、溜まった日記更新へと精を出した。最後、息抜きを兼ね読書しながら23時頃就寝した。
★今日のお食事♪
・朝食 : ごはん・レトルト丼・味噌汁
・昼食 : パン×4
・夕食 :
すき屋(牛丼・豚汁・野菜)