”菅江真澄”もう何度もこの東北旅行中に出てきたこの名前。東北北上しているときには資料館にも立寄ったりもした。ちなみに彼は江戸後期の旅行家でも民族学者でもあり、信州、そしてこの東北、そして北海道までをも旅行し、そしてその旅行記を挿絵と共に詳しく残してる。そんな真澄に今回もまた触れることなり、その作品のひとつ”十和田湖の海”と題したこの小坂町を主とした旅行記を残し、それと今回、私の旅したルートとだぶり、このような今日の題名にした。しかし、実はこの題名の意味は恥かしながら未だに分からない。どのような意味を込めてこの題をつけたのか、気にはなるが、しかし、謎めいたままも未知の広がりが大きく面白くも感じている。
そんな旅行家、真澄が見ただろう十和田湖を眺めながら起床であり、そして今朝も真澄が残したように私もその旅行記書きに追われていた。3日分、それを今朝、一気に書き上げなければいけなく、どうしてもいつもよりもさらに雑になってしまい、出来事、そして感動を伝えきれないのはほんと辛くもあるが、しかし、今日と言う日も大切にしたく、今朝もその両立に苦しみながらもPCと必死で向き合っていた。しかし、ただ朝からPCばかりではない。ちゃんと自炊し食事もとらなければいけないのはもちろん、結露で濡れたテントの片付け、そして今朝は洗濯も行なったりとやることは山ほどある。ちなみにその洗濯、自分で手洗いし、そして乾燥は乾燥機を使った。洗濯物ほとんどのそざいが速乾素材を使っているのですぐに乾くだろうと洗ったのだが、しかし、これがなかなか乾かない。ほんとうにこの乾燥機動いているのだろうかと言いたくなるほどだが、しかし、乾燥機に問いただしても仕方がなく、改めてもう一度100円を費やすが、しかしその効果はほとんどなく、結局、テントサイトにロープを張り、そこで最後は乾かすことにしたのだが、しかし、日差しは弱く焦らすばかりであった。
そんな小坂町へと入ると、すぐに太鼓の激しい音が耳に入る。そして誘われるようにして行ってみると、今日はちょうど小坂のワイン祭りの日らしく、その舞台では大館の曲げわっぱ太鼓が演奏されていた。最初見たときは何も感じるものはなかったのだが、しかし、足を止めれば、僅か4人の演奏というにも関わらず、物凄い迫力で圧倒されるばかり、ついつい呆然と魅入ってしまい、拍手すら忘れる見事な太鼓であった。約1時間ほどの演奏が終わるまで足を止めていた。
こうして祭り見物から始まった小坂観光。この後、康楽館、そして鉱山事務所と見学し、さらには郷土館にも入り、ここで真澄の旅行記”十和田湖の海”に出会い、自分の旅と比べながら、この人物に今回も惹かれていった。信州、東北と言えば菅江真澄、もうそんな印象が出来つつある。
小坂の町の歴史をこうして見てまわり、そして最後に気になるのが今の小坂の町である。もう日は大きく傾きだし、のんびり見ている時間はとてもなかったのだが、しかし見ずには離れられず、さっそく一歩路地へと自転車を走らせ、パンフレットにも資料館にも載っていない今の町を見てまわることにした。大正末頃から昭和初期くらいだろうか、見事なまでにそのあたり建造の町並みが並んでいる。しかし、かといって廃墟というわけではなく、今もどこも現役で生活感溢れているから、その町並みが温かく見える。これが今時の洋風住宅が並んだものなら絵にもならないだろうが、この古びた町並みが絵になるから不思議である。そしてさらに奥に入っていくと巨大な小坂製錬所がある。鉱山こそ閉山してしまったが、しかしその製錬の技術は高く、今もこうして世界の一線にて活躍しているそうだ。しかし、外観だけは当時の面影を強く残し、煙突から煙が吹いていないものなら廃墟かとも思いかねない今の実態であった。そんなこの工場上には、電灯祭りの舞台にもなった神社が聳えているのがみえ、さっそく行ってみようとも試みるが、どう行けばたどり付けれるのかさっぱり分からず、結局は断念してしまった。時間に最後は追われてしまったのも理由のひとつだ。
こうして小坂観光を終え町を後にすることになった。興味惹かれるもの多く、もっともっとじっくり見てまわりたい町であり、後ろ髪引かれるほどであったが、しかし旅人である私は先へと進まなければならない。強い西日を浴びながら市街へとはなれて行った。隣町、鹿角市へと入って間もなく、先人記念館という看板が目に入る。もう17時をまわり閉館しているだろうが、それでもどんなところか気にかかり寄り道してみると、そこは見事なまでの垣根が揃う武家屋敷跡であった。その一角に先人記念館が建っているのだが、もちろんすでに閉館していた。しかし、この町並みを見れただけでも大満足であった。いつの間にはもう日は沈み、真っ赤に車道までもが染まる夕焼けへと変わっていた。そんな中を自転車で気持ちよく漕ぎ進め、鹿角の市街へと入っていった。途中、市街で買い物に立寄りながらであったために、目的の道の駅についた時にはすでに真っ暗となっていた。
寝やすそうな軒下、そしてベンチも見つけてホッと一息。そして明日の八幡平登頂に向け、早朝出発をこころみたく、食事後すぐに日記の更新へと入った。すぐにといっても到着が遅かったのもありすでに20時近くになってはいたが、それでも日記をできるだけ終わらせたく黙々と始め、そして休憩を兼ねての電話最中、あるおじさんが電話中にも関わらず容赦なく話しかけてきた。どうやらここに寝泊りしているホームレスのようであるが、しかし、ベンチは無数にあり私ひとりが増えようと問題はない。そのおじさんも愛想良く、「自転車で旅をしているのかい?」という会話から始まり、そして自分の身の上話が延々と始まりだした。方言がひどく、また舌もお酒を飲んでいるようで回らないらしく、何を行っているのかほとんど分からない。それでも必死で話すおじさんに仕方なく聞き入るのだが、何度もリピートする話にさすがに疲れ「電話中だから、すいません・・・」と自分の時間をようやく取り戻すが、しかし、電話を終えてからもすぐにやってきて、またも大声で身の上話を始めたり、汚しちゃだめだよ!など注意事項をくどくどと並べだした。かなり酒に酔っているようであった。もう近所迷惑にもなりかねない大声の発言に、逆に私から注意し、そしておじさんもしぶしぶまた他のベンチへと戻っていったが、しかし、またも、思い出したように話しかけてくる。それを2,3度繰り返すのだ。おじさんが寂しくてこういう行動に出るのは分かるが、自分もPCをやらなきゃ鳴らない胸を必死で話し、また近所迷惑であることも話すが、一向に聞き入れず黙々と同じことを話し続ける。さすがに呆れて聞きながらも、日記書きを始めると、今度は剣幕を上げて怒り出した。終いには刑務所にいたことなど、指がないこと、さらには昨日ケンカ騒動を起こしたことなど、半分脅しともとれることを話し出す。そして興奮してか、身を乗り出してきた為に、唾は飛ぶは、食べ物のカスは飛ぶは、酒臭いはで、こちらも段々と血圧が上がりだし、はち切れそうにもなるが、しかし、こんな酔っ払いを相手にしたところで仕様がなく、グッと力瘤を握り締めただ堪え、最後は仕方なく、その場を片付け、後にするしかなくなってしまった。変わらずおじさんは物凄い剣幕で怒り捲くっているが、しかしもう相手にすることは出来ず、道の駅を22時頃後にした。
寒い・・・ 寒い・・・ こんな時間に自転車を漕ぐものではない。身体の震えは止まらず、他の場所に寝床を求めようとはしたが、あまりの寒さにまた道の駅へと舞い戻る。そして場所を移し、道の駅の片隅のベンチに寝床を求め、未だ胸の高鳴りと、そして上がった血圧を抑えきれない状態ながらも、もう日記もやる気が起こらず、不貞寝するように寝袋にくるまり就寝へと入った。あの唾と食べ物飛ばす姿が今も忘れられず、ムカムカしながらの夜であった。
★今日のお食事♪
・朝食 : ごはん・レトルト丼
・昼食 : パン×4
・夕食 :
レトルトラーメン・パン