昨日からの雨も止み、風もなく静かな朝を迎えたのだが、やはりそんな朝もPCに向っていた。場所はテントの中ではなく朝の寒さに震えながらキャンプ場のトイレの建物の脇にである。こんなところに朝から座っていたくもないのだが電源の為には仕方がなく、今日の目指す襟裳岬のことを考えながら日記に奮闘していた。この今日の通過点となろう襟裳岬は以前に旅行した北海道の中で自分にとってなんだか思い出深いところとなっている。とくに何かあった訳でもないのだが、襟裳の風景が頭から離れず今日行くだけに頭を常にその風景が過ぎり、そして襟裳の風のことを考えていた。そう、襟裳と言えば風なのだ。”風の館”と言われる資料館が岬に出来るほど風が強いことで有名であるところで、前回行ったときも強風が吹き荒れ、そんな思い出も心に強く残っていた。それだけに今回は襟裳らしくなく風がなければ嬉しいのだがとも思っていた。理由は簡単、自転車だからだ。岬に関わらず、その道中もずっと海沿いを走ることになるだろうし、風も同様に強いだろう。果たして今日は向かい風となるか追い風となるか、そんなことを占いながらパソコンと向き合っていた。
草木そよぐことない無風のこの静かな朝、同キャンプ場の方々と朝の雑談も交わしながら日記、自炊と終え、今日は距離を延ばすぞ~!そんな気持ちを胸に張り切ってキャンプ場をいつもより早く8時ちょっと前には出発した。でも、距離を伸ばせるも伸ばせないもこの風次第で、このまま無風でいてくれれば・・・ そう願いながら昨日に引き続き市街を離れると原野と所々に広がる農園を眺めながら南、南へと走り、そして広尾の小さな市街を抜けると釧路以来の太平洋の海へと出る。そしてその先、その海岸沿いにさらに南下し、その最果ては襟裳岬へと目指す。自分の中ではここが北海道の南端と言うイメージがある。だが、実際は津軽海峡に面する白神岬なのだが、しかし私の中ではそこはまだこの北海道ではなく本州であり、そして蝦夷地である北海道の南端はこの襟裳岬という感じがしてならない。そう思うからこそ、この岬へとわざわざ向っているのだろうと思う。ちなみにこの海岸道路、東には太平洋の海原がひろがり、そして西には常に海から突き出るように隆起した断崖絶壁の山々が並ぶ。そんな絶壁下に海岸に道路を作ったものだから、トンネルはもちろん、覆道と呼ばれる片側は外に面した半トンネルが絶え間なく続く。そんな難路がこの道の名前の由来にもなり”黄金道路”と呼ばれ、もちろんこれは黄金を積み上げるほど経費を掛けて作った道路だと言う意味から付けられたらしい。
この黄金道路を気持ちよく走り抜ける。全長約30kmのこの道路はアップダウンもなく、ひたすら右は崖、そして左には海を眺めながら軽快にドンドン距離を延ばしていった。それもそのはずである、風は追い風なのだ。この海へと出たときから風は徐々に吹き始め、そして岬へと近づけば近づくほど風は増し、終いには突風と言わんばかりの追い風が私を追いたて、あっという間の黄金道路であった。しかし心配もある。この先、襟裳岬を周ると南下していたのが反転、こんどは北へと向うことになり、果たして風向きは・・・ 普通ならやはり向かい風のなるだろう、しかし風が岬で巻いていないとも限らない、そんな期待もしながらいよいよ南端襟裳岬へと入っていった。
黄金道路を抜けると断崖はなくなり丘のような隆起だけとなり岬が近いことを感じさせてくれていた。そしてこの辺りまで来ると重苦しい曇り空から一変、草原の大地の上に真っ青な空を覗かせ始めていた。その青さがまた信じられないほどの美しさで自然とそんな青空を眺めていると気持ちも高ぶりラストスパートへと力が入るのだが、でも私の場合は逆にその青空や光り輝く緑に足を止めさせられて、何度も振り返ってしまう。まるで襟裳岬の到着を祝ってくれているかの様であり、そんな祝福を浴びながらちょうどお昼頃、南端は襟裳岬へと到着した。
さすがは北海道の大きな岬のひとつだけあってたくさんの人達で賑わい、もちろん団体客も多い。そんな人たちを掻い潜って自分への到着のご褒美とソフトクリームを購入♪でも、正確にはご褒美というよりも、ただ100円と他に比べて破格だから購入しただけなのだが、しかしそれにしても寒い~!それでこんなアイスを食べるなど気違いだと自分で思うほどなのだが、それでも値段に惹かれ迷わず購入してしまった。そしてこの後にのんびりと岬を散策。グッと身体を堪えていなければ吹き飛ばされそうにもなる強風が今日も以前と変わらず吹きつけ、そして見下ろす海原はその風により大いに荒れ、それが襟裳らしい景色なのだろうなと思いながら時間を忘れ懐かしの岬をしばらく魅入っていた。
今度は襟裳岬から北へ向けて走り始める。最初こそ横風が吹き荒れ真っ直ぐ走るのも困難なほどであったが、数キロも走ればそれがいつの間にか、またも追い風へと変わっていた。どうやらこの岬で風は巻いているようであり、私にとっては神の恵みではないのかと思うほどに最良の風がいつまでも吹き続け、さらに軽快に距離を延ばしていった。そんな時である。大きな赤い箱型の荷台を付けた小さな赤いバイクが前方よりやってきた。まさに郵便局員の姿であるこのバイクを見つけたとき、思わず「いた!」と叫び、そして満面の笑みを浮べ手を大きく振る。もちろん相手のバイクもほぼ同時に大きく手を振っていた。ぱおぱおだ。阿蘇、鹿児島でお会いし、そして3度目のこの再会はわざわざ長崎より日本を縦断しながら遊びに来てくれたのだ。こちらに向っているとメールを頂いた時にはほんと驚きそして喜び、それが今こうして会えたことで爆発した。しばらく再会を喜び合い、そしてこのあと夜に道の駅で待ち合わせすることにし、とりあえずは一度別れ、道の駅へと向けて出発した。
浦河町辺りから牧場が目立ち始める。そう、ここから先、新冠町位までだろうか競走馬の産地なのである。至る所にサラブレッドらしき大きな馬が目立ち、またその町並みも馬がやはり主役であり、馬の名前の店や馬のポスターなどが至る所に貼られ、馬の町であることをさらに実感させられた。そしてこの浦河には馬の資料館もある。馬事資料館というところで、サラブレッドの紹介や、この町で生まれ育った名馬”シンザン”の紹介もされ、またたくさんのパネルでその雄姿が展示されていたが、競馬に興味ない私にとってはそれほど惹かれることもなく。ただ「へぇー」と見て周るだけなのだが、しかし、好きな人にとっては胸躍る写真の数々なのだろうなとも思いながら、この後、併設されている郷土資料館も見学して先へと急いだ。
予想以上に大きく綺麗な町、浦河市街で食糧調達。いつの間にか財布の中はそこを尽き、補充したくても郵便局は今日は日曜日でお休み・・・ そのため最後の小銭を掻き集めての買い物である。まるで小学生の買い物のように、一生懸命合計値段を計算し、そしてもちろんそれに消費税を加えて足りる事を確認してこそいるが、しかしやはり緊張のレジ、そして残金は13円と、なんとか足りた喜びと、逆にあまりに少ない残金の寂しさをも感じながら苦笑いを浮べていた。でも、この後は楽しい宴会だぁ~ と思いながら道の駅に向ったのだが、その道の駅、テントを張れそうなところが少ない。いや、ちゃんと道の駅の裏にはキャンプ場があり設備が整っているのだが、オートキャンプ場となっていて料金はなんと2000円以上、自転車でもそれだけ掛かるのかと聞いてみたのだが、やはりそのままの料金を言われてしまった。そんなキャンプ場脇にテントを張るわけにも行かず、その公園内の丘の上にある東屋にでもしようかと思い、そこに移動したならば、どこかに監視カメラがあるのか知らないが、先ほどの管理人が息を切らせてやってきて「ここは公共の場だからダメだよ!」と怒られ追い出されてしまった。路頭にまよい道の駅内をフラフラしていると、今度は道の駅の事務員らしき方がやってきて「あそこの丘の上に無料のライダーハウスがありますよ。風も強く寒いのでそちらにいかれたらどうですか?」と言ってくれた。RHの一覧の本を持っているのだが、ここは載ってなく、半信半疑でそのRHへと行って見るとちゃんとあるではないか、元バス停らしい建物を改造してのそのRH、一見するとどこからみてもただのバス停である。これでは分かるわけもなく、パンフレットにも乗ってないのではなおさらだ。しかし、事務員さんのお蔭でようやくここで落ち着くことができた。ありがとうございました。
この後、またぱおぱおと合流し、同じ敷地内に立つ三石温泉へと共に入浴。私と同じく貧乏旅行のぱおぱおなのだが、この温泉と、さらにこのあとビールまで再会の記念に接待してもらってしまった。汗も流し、気持ちよくこのあと宴会♪さらには、先ほどの道の駅キャンプ場に泊っていた大伴さん夫婦、そして大学生ライダーもここに遊びに来てくれ、さらに宴会は盛り上がり0時頃まで飲み合っていた。ありがとうございました。こうして今夜もたくさんの方々と接し、そしていろんな生き方、人生があることを改めて実感し、そして夢追うみんなの姿に自分も刺激され、力をもらった今夜の宴会でもあった。ただ、日記の方が全く出来なかったのが頭を悩ませるていた・・・
★今日のお食事♪
・朝食 :
ごはん・味噌汁(鶏肉・舞茸入り)
・昼食 : パン×3・アイス
・夕食 :
半熟卵ごはん・コンソメスープ(豚肉・もやし・卵)