ワープしたように私としては珍しく距離を延ばし、久しぶりに黙々と走りそして戦った。その戦った相手とは自然である。でも仲良しでもあり、そんな奮闘は昨夜遅くからもう始まっていた。まずは夜から」振り出した風雨に悩まされ、時期にビュービューっ音と共に強風がやってきて、なんども起こされてしまった。そして朝は風もなくシトシトと雨降る静かな時間で迎えた。
5時20分起床、雨は降っていたが、昨夜のことを思うととても優しい雨でホッとするような安らぎを感じさせてくれる雨であった。そんな中、朝食を食べて人通りが激しくなる前にテントを撤収。それからはトイレにこもってHPの更新作業、8時過ぎたころ、なんとか遣り終え外へ出てみるとすっかり雨はあがっていて、所々に日が差す陽気で、今日一日頑張るぞ!そう思わせてくれる気持ちよさがあった。
そんな道がしばらく続くのだが、次第に過酷な道へと変わっていった。風は漕ぎ進めないほどの向かい風と変わり、そして波飛沫もいつの間にか雨へと変わっていたのだった。雨は徐々に大粒になり、さすがに木陰に避難・・・ ちょうどお昼時とあったので、雨宿りついでにここで行動食としてもっていたお菓子を食べながら雨があがるのを待った。
20分ほどで雨はあがってくれて、再スタート♪中途半端にお腹を満たしたせいか、余計にお腹が空き、すぐ先のスーパーでさっそく食事を購入して今度は昼食タイム。腹を満たして、天気も回復し、また力一杯漕ぎ始めた。先ほどまで、殴られるような風と戦い、まるで喧嘩をっしているようであったが、でも今は腕を組んで一緒に走っているように仲良く快適に進む。ほんといろんな表情をみせてくれ、ほんと笑ったり怒ったり、そんな姿が見えた。向かい風も雨もいいものだ♪いろんな表情を見せてくれる一つでもある。だが、やっぱり辛いのは変わらない。でも、それがあるからこそ、その先の笑顔があり笑えるのだと思う。ずっと晴天ではこれは味わえない。
天気を楽しみながら距離を延ばして行き、14時ごろ長門市へと入った。途中から距離と時間を見て目的地を萩へと変えていた。そのため、距離を延ばそうとこのまま通過しようとも思ったが、でも、長門市観光の誘いのメールもあり、ちょっと軽く立ち寄ってみることにした。町並みを見てみよう、そんな軽い気持ちで立ち寄ったのだが、思わず長居をしてしまうそんな出会いがこの長門市仙崎であった。「金子みずず」、名前も何も聞いたことなかったが、町はこの亡き童謡詩人で一色となっていた。まずは駅前へといってみたのだが、素朴な駅舎には大きな”みすず”の幕が掲げられ、そしてさらには”みすず号”と呼ばれる電車まで運航予定だという。ここまで掲げられるとどんな方なのか気になり、駅舎に併設された記念館へと料金も安かったこともあって入館してみた。こじんまりとした展示室内には、たくさんのイラスト画と共に”みすず”の作品が掲げられていた。そして奥にはその生涯を描いた説明書があり、どんな人生を歩んだ方なのかそこでじっくり見学した。自分は興味ない分野の方でもその生きたには興味がある。自分と照らしあわせ、とても勉強になるからだ。”みすず”の生涯は、本屋の娘として生まれ、本好きからそのまま詩人へ。投稿作品が若い巨星として徐々に注目を集めだすが、26歳で死去。詩人としては順調に伸ばしていったかただが、最後の死去というのが気になった。パンフレットを見てみるとそこには”自殺”と書かれ、さらに気にはなったが、その理由については生涯ビデオを見ても何も、どこにも語られることはなかった。
作品の方もじっくり見学、ひとつひとつ読むたびに、どんどんこの”みすす”の世界にはまっていった。自然な姿で、なにも飾らないでただ書かれたこの詩に惹かれ、また、この仙崎を題材にした詩がほとんどで、どれだけこの町を愛していたか、そんな気持ちも伝わってくる詩でもあった。最後にはすっかりその魅力に染まり、またイラスト画を書く”尾崎真吾”氏の作品にも惹かれて、ちょっと高かったが一枚だけ、その詩と絵が描かれた絵葉書を購入した。そのとき、気になっていたその死について受付の方に訪ねてみると、何も語らずにただ”みすずの生涯”と書かれた本の後半を開き「どうぞ、そちらでおかけになって読んでください。」 ただそれだけを言い手渡してくれた。さっそく読み始め、後半に近づくにつれ、涙を堪えるので必死なる内容に胸が締め付けられた。それでも最後はまで必死で読み続け、そして厚くお礼を言い、逃げるように退館した。
短い生涯をこうして少し知ることになったのだが、その死についての理由はここで簡単には語れない。私が語っても重みがなくなってしまうからだ。読んでくれている方には歯がゆいかもしれないが、気になる方は実際に読んでもらえると嬉しい。
このあと、”みすず”の生まれ育った、また詩の舞台でもある仙崎の町を散策した。至る所に詩の舞台が残り、それらの詩を読み、知ってきただけに楽しい♪このメイン通りには”みすずロード”と名づけられ、その家々にはどこも、みすずの作品が掲げられ、そんな素朴な街づくりにとても惹かれた。ちょうどその通りの真ん中辺りではみすずの住んでいた本屋があり、今は復元され真新しい資料館が建っていた。残念ながら今週末オープンということだった。この先に”みすず”の眠る墓もあるのだが、その死を知ってしまっただけに、合う勇気が沸かずにそのまま素通りしてしまった。
こうして仙崎の観光を終えて、あとは今日の寝床を求めて萩市まで走るのみ!時間も15時半と程よい時間である。最後の気合を入れて漕ぎ始めたのだが、時期に気になる看板を発見した。発見してしまったほうが正しいだろう。まだ萩まで2時間弱の距離が残っているのに「維新回天の礎”村田清風”」、こう書かれて見学しないわけにはいかない。記念館が建てられ、その”村田清風”と、跡を継いだといっても言い”周布政之助”の生涯が主に展示されていた。周布氏についてはいろんな幕末小説に登場しそれなりに知ってはいたが、その教えの父ともいえる村田氏については初めてで、その生涯に惹かれ、またここでも長居をしてしまった。さらに旧家も復元されていて見所いっぱいであった。
もう16時半、急いで再出発!この先、250mほどある大きな峠がある。一気に気合を入れて登りきろうと力強く漕ぎ始めるが、すぐに雨が・・・ 仕方なくバス停で雨宿り。カッパを着ようかとも思ったが、ただ、雲は所々切れてはいたので、ジッとあがるのを待つことにした。幸い15分程であがってくれて再出発、だが、この先も10分も進まないうちにまた雨・・・ 木陰で雨宿り・・・ そんな走行を4度、5度、6度と繰り返し、あるときは野ざらし、あるときはトンネル、そして軒下と見つけての悲惨な最後の走行となっていた。カッパを着ようともおもったが、あと10kmも満たない距離で、さらには雲もかすれている。悔しくただ待って、また小雨で出発それを繰り返し、そしてなんとか萩市外へと18時過ぎに到着することができた。途中スーパーで夕食のおかずを購入して、そして町の郊外にある”道の駅・萩しーまーと”へと入った。外れの静かな広場にテントをさっそく設営し、そしてようやく落ち着くことができ、読書、HPの更新と楽しみ、22時頃就寝した。
~追伸~
今回観光を飛ばしてきた下関市は以前に12月中旬に観光したためです。また景勝地・青海島も飛ばして来てしまいましたが、ここは以前に観光したことがあるため、また時間的都合で諦めました。