せっかく気持ちよくこの本州の地へ再上陸を果たしたのに、なんだか愚痴を最初から書きたくなってしまった。いやもう書かずにはいられない。大したことはないのだが、電波の悪さである!これが完全に圏外となってくれれば、諦めるしか仕方がないのでよいが、中途半端に電波が入り更新しだした瞬間に切れる・・・ 最初は格安なPHS電波(AirH)で更新できて半分ぐらいまでは重い画像をUPできた。ただその後、もうまったく不可に・・・ 何度も場所を変えては挑戦しているうちにパソコンがクラッシュし再起動を繰り返す。そんなことを続け、そして最後は諦めて仕方なく途中になっていた画像を通信料の高い携帯でのUPに切り替えたのだが、これでもなかなかUPできす、場所を変えたりしたが、でもまたすぐに通信は止まってやり直し・・・ その繰り返しだけでただ通信料金とバッテリー電源、そして時間だけが1時間、2時間と過ぎてき、ほんとにもう泣けてくる夜になってしまった。さらには雨が降り出し、軒下まで降り込んでくる始末でテントの移動・・・ なにをやってもうまくいかない夜となってしまった。結局今夜は更新できずにそのままバッテリー切れで終了・・・ 明日また再トライしてみようと思う。
気を取り直して日記を書こうと思う。今日は冒頭にもちょっと触れた通り、本州へ約3ヶ月振り位だろうか、再上陸を果たした。一度通った懐かしい景色を眺めながら下関市へと渡る。いろんな思いを感じ、残してきた九州・沖縄に「ありがとう」。たくさんの方々に応援していただきお世話になり、ただそんなみんなにそう伝えたい。そんな気持ちでいっぱいだった。
今朝は6時半起床。あったか布団でぐっすり寝ることができ、やっぱり今日も朝からHPの更新作業に入った。食事をご馳走になりながらも黙々と続け、9時にはなんとか日記を遣り終えることができたが、そこからさらにHPをさらに充実させる為に、電源が取れるこんな時にと変更を始めたがこれがなかなかうまくいかずに途中でタイムオーバー・・・ 10時に切り上げて、そして後は団欒、そしてみんなで記念撮影♪慌ただしくただお世話になってしまったが、ちゃんとゆっくり話せなかったのが悔やまれるところである。気が合う方々だっただけに次に会うときを楽しみにして今回はそんな心残りを胸に10時半頃出発した。ありがとうございました。
出発が少し遅れてしまったが今日も元気に漕ぎ始めで、まず目指したのが小倉城である。交通量は多いが気分がいいだけにそれほど気になることもなく、青空の元、気持ちよく市街へと向けて走った。ただそんな途中でちょっといつものお仕事♪それは広報活動。福岡市では全滅だったが、めげずに今回は2社に試みてみると、それほど詳しく内容を述べることなくあっさり取材へ。ちょっと拍子抜けしてしまうような対応であった。同じ会社、時期とは思えないほどで、記者のこの旅の感じ方や、あとは土地柄などの違いからくるものだろうか・・・ そして運ももちろんあるだろう。
こうしてまずは「西日本新聞社」さんと小倉城で待ち合わせして、そこでそのまま取材となった。HPも見てきてくれてあった記者・小林さんと、とんとん拍子で取材は続き、そして写真を撮影して終了。とっても感じのよい方で気持ちよく終えることができた。ありがとうございました。このあと、近世の歴史を詳しく知りたく、すぐ近くにあるという歴史資料館に行きたかったのだが、聞くと残念なことに移転してしまったということだった。戻るわけにも行かずに断念し、小倉城公園を後にした。
このあとすぐ城下を流れる江戸の交通要所として架けられた「常盤橋」が復元されているということでさっそく行って見たり、また森鴎外の旧居にも足を運んでみたのだが、残念ながら休館日であった。これだけは仕方がない。覗き込んで写真だけ撮らせてもらって後にし、こうして小倉の観光を終えることにした。でも、町を離れる前にちょっと立ち寄りたいところが、それは先ほど電話して取材をお願いした”読売新聞社”さんで、さっそくお伺いし、取材して頂ける事になった。ちょっとハイペースな慌ただしい取材を終え、そんな中でも快く記念写真を取らせていただいた。ありがとうございました。
これを最後に小倉を後にし、今度は門司港へと目指した。もちろん有名な門司港レトロを観光するためである。ちょっと夕暮れという時間が押し迫って来ているだけに、急ぎ足で漕ぐが、信号、交通量の多さに思い通りに進まない。また海沿いの199号で行けば良かったのに、3号線で行ってしまった為に山側とあってアップダウンまで付いてくる。海側へと途中から出るに出れないために、仕方なく黙々と漕ぎ進み、16時ごろ、なんとか門司港へと到着することができた。
まずは大正3年に作られたという門司港駅にある観光案内所でこの町の情報収集。そして昔のままのレトロな雰囲気を残す駅舎内を見学してから、町へと徒歩で観光に向った。定期的に開門する門司のシンボルのひとつ「はね橋」を見ながら、まずは旧門司三井倶楽部へと入った。大正10年に接客・宿泊施設として建てられたVIP向けの巨大な建物で、アインシュタイン夫妻も宿泊されたという。そんな館内2階は有料施設となっていて、ア博士が泊まられた部屋の様子を再現されてあった。また門司出身の方々の作家の資料館ともなって、見応えは充分だった。
このあとすぐお隣の八角形のオレンジ色の塔屋が眩しい旧九州商船の建物を見学した。ここも今は修復して真新しく見えるが、歴史は古く大正6年に建てられたという。今は高い天井を持つ広々とした1階は休憩所として解放され、2階は海のギャラリーとして無料で船の歴史についてたくさんの模型と共に紹介されていた。
さらに17時をもうとっくに過ぎてしまったが観光は続く。今度は先ほどの”はね橋”を渡る。目の前の埠頭には真っ赤なレンガで造られた旧門司税関がそびえ立つ。残念ながら17時をまわってしまった為に中は見学できなくなってしまったが、その案内板では、明治45年に建てられ、昭和初期まで税関庁舎として使われ、その後は民間に払い下げられ事務所、倉庫など多目的に使われたという。
そして道路を挟んで、まるで玩具のお城のようなチョコレート色の巨大な建物が建つ。これは近年に中国・大連市との友好記念として建てられたそうで、建物自体は帝国ロシアが中国(大連)に建築した東清鉄道オフィスをモデルにしているという。ちなみに中国レストラン、アジア図書館、資料館として使われているとのことだったが、残念ながらこちらは休館日の為に入館することができなかった。
こうして門司観光を終えて後にしたのだが、これ以外にもたくさんのレトロな建築物があり、また観光の町としてたくさんの雰囲気あるレジャー施設が作られ、ほんと活気のある町という印象を受けて市街を後にした。今回はちょっと早足の観光となってしまったが、今度来るときはもっとのんびり歩き、そしてまた違った門司の姿を見せてくれるだろう。それを楽しみにして寝床を求め、九州は最北端にある和布刈公園へと向った。
今夜から雨という予報で、すでに雲行きは怪しくなってきていた。公園内を散策してみるがよい軒下が見つからず、この先、対岸の下関にある壇ノ浦公園へと野宿場を求め、九州の地を人道尾トンネルを抜け後にした。なんだか、九州最後の日をもう少し味わいたい、そんな気持ちもあったが、寝床を求め今日本州へと再上陸した。九州のみんなに「ありがとう」その言葉を残して・・・
こちら下関側の寝床はすでに目星がついていた。それは南下してくるときもこの下関でお世話になった屋根付の野宿地があるためだ。さっそくそこへと行くと、なんと驚くことに、その屋根がないではないか!!大きな鉄筋コンクリートで作られた建物だったが、ホームレス対策の為に屋根だけ剥ぎ取られた無残な姿だけがそこにはそのされていた。仕方なく雨を軽快し、すぐ隣の復元された長州砲台の東屋へとお世話になることに。観光地真っ只中だが、夜は静かな公園で、また、狭いスペースであったがテントもそれなりに設営することができた。ただ、冒頭へも書いたとおり、このあと、通信面&雨で悩まされることとなってしまった。