車輪人の自転車日本一周・登山の旅 車輪人の自転車日本一周・登山の旅

2003年 4月3日 (木) - 270日目

天気 :

体調 : 良好

宿泊地 : RANBUさん宅

本日の移動 : 唐津市~福岡市

走行距離 : 67.4km

累計距離 : 11,187km
本日の出費

食費 : 360円

観光費 : 0円

宿泊費 : 0円

雑費 : 0円

費用詳細 :

現在地 : 福岡県福岡市  ( 全走行図 )

元寇襲来

 昨日の転倒の痛みもひどくなることなく、ただちょっと寝すぎの為に身体がだるかった。今朝は6時に起床し、まるまる残してしまった日記の更新から自炊しながら黙々と始めたが、やっぱり更新には3時間ほど掛かってしまった。それに食事&テント撤収に約1時間、起床から4時間以上たった10時、ようやく出発した。

 202号を福岡市内に向けて進むが、交通量が多く走りにくい。また風も強くとても気持ちよく走れない。そのため、集中力に欠けてしまったのか、休憩ばかりでなかなか距離が進まなかった。スーパーに寄ったり、本屋で福岡観光情報を調べたり、また途中、福岡の広報活動もした。電話をしたりPCを立ち上げメールを送ったりとしてみたが、選挙期間中とあって残念ながらそれは報われそうになかった。

 それでも少しずつ距離を延ばし福岡市内へと入り、ここで大きく道草。202号を外れ北へと向った。目指したのは大原海水浴場付近で、ここに蒙古軍と戦ったときの防塁が残っていてそれをこの目で見てみたかったからだ。5、6km北へと外れてようやく海水浴場に出ることができた。砂浜までの道は途中、丘状になっていて、それを乗り越えて浜へ出るといった風だった。その丘の周りを囲むように松林が生い茂っていた。そんな一番高いところに元寇防塁とかかれた看板を見つけたが、その防塁の痕跡をそこでは見つけることができなかった。この丘だろうかと少し散策してみるが、どこまで防塁らしきものはない。ただ、この丘には延々と囲いがしてあり、その中が防塁跡のように見受けられたが、砂で埋まってしまっているのか実際ははっきりしたことは分からず、結局、はっきりしないまま、こんなものか?!っと思いながら後にすることになった。

 海沿いを福岡市街に向けて走り始めた。でも、やっぱり諦めきれずに、通りがけのおじさんに聞いてみるとよく見学できるところがあるらしく詳しい場所を教えてもらった。さっそく砂浜へとまた入っていくと、思わず驚きの声をあげてしまうほどの延々と200m続く防塁が発掘復元されていた。日本の万里の長城とも思わせるような規模で、実際これが使われ、そして大いに役立ったということを思うと、そんな蒙古襲来の姿が浮び、自分にとってこの防塁が忘れられない姿となった。

大原海水浴場辺りで
必死に元寇防塁を探す
ようやく発見!
発掘・復元された防塁
延々と続く

 ちなみにこの防塁は第一次元寇(1274年)での教訓に、来るかも分からない2度目の襲来に備えて作られたもので、完成後、4年経ったときの1281年、再度の来襲で大いに役立ち、上陸を防いだという。その後も来襲を恐れ、維持し続け、室町期にも整備を命じたこともあるそうだ。

 発掘されていない部分でも延々と丘の上には、防塁跡が延々と見られ、それらは大概、柵で覆われていた。その防塁に沿って遊歩道となっており、その規模、姿に驚かされれながら、また興味どんどん沸いてきて、しばらくそのまま遊歩道を突き進んだ。ただ松の根っこは張り出し、そしてまた砂地にタイヤをとられたりと、半分押しての走行であったが、それでも変哲もないただの防塁あとだが、見ているだけで700年前の元寇が甦りワクワクしてきた。そしてその先はには史跡公園となっていて、そこには元寇についての資料や、発掘状況などが説明されていた。そんな説明書に魅入りながら、14時半ごろ後にしようと遊歩道から車道への道を探しが、どこも膝上まえあるガードで覆われていてとても自転車が通れる状態ではなかった。さすがに荷物満載でここまで上げるわけにもいかずに、また防塁跡の遊歩道を仕方なく押して進むしかなかった。だが、進めど進めど、合流点は見つからず、最後、行き着いたところは、砂浜で、そこにも同様の柵で覆われていた。もう、気合でしか脱出不可なのを悟り、仕方なく、自転車を必死な思いで抱きかかえて、なんとか柵を突破!ほんと最後は苦労させられた。

元寇の説明書
続く続く・・・

 なんとか車道へと復帰して、この海沿いの道で市街へと目指した。どんどん都市化していく風景に久しぶりの都会感を味わい、福岡にきたんだ~ っと最初は嬉しくも感じたが、時間が経つにつれてただ不快感が込み上げてくるだけとなっていった。もちろん交通量の多さ、歩行者の多さ、からである。そのため、自転車が走れるところがないのだから!ほんと都会での自転車が困難なことを痛感した。ちなみに防塁のほうは今も何箇所もこの先、残されていて、その規模に再度驚かされた。

 市街に入って大濠公園へと立ち寄った。大きな池があることは知っていたが、その予想以上の大きさに驚き、さらには、その周囲を散歩する人達の多さ、さらには出店まで立ち並び、その賑わいにさらに驚かされた。その理由は後々知ることになった。大濠公園を散歩し、隣の福岡城跡公園へと入ると、そこは一面桜が咲き乱れていた。花見だ!そこも物凄い人であふれ賑わっていた。そんな中、自分も一緒に満開の桜たちに魅せられながら城跡を散策。城跡は石垣は今もしっかり残されていたが、城の方はというと、一部の城壁と大手門、そして唯一大規模な多聞櫓が残されているのみであった。そして残りのスペースは運動公園と学校、そしてこの桜を見てくれれば分かると通り、見事な花見の庭園となっていた。桜ばかりではなく、いろんな季節楽しめるようにと、たくさんの草木が所狭しと植えられて、見事な美しい城跡公園を作っていた。ただ残念だったのが、各櫓後にはそれなりの説明書が建てられているのだが、この福岡城全体の説明書に乏しく、またそれを紹介する資料館がこの城跡にはなかったことだった。楽しみにしていたのに・・・

大濠公園
賑わう福岡城跡
さくら満開!
広がる満開の桜たち
今も残る多聞櫓
福岡城と多聞櫓の説明書

 仕方なく、そのまま公園内を散策、お隣の護国神社に立ち寄ったり、大手門をまわったりして、時期にポツポツと怪しく雨がぱらついてきたきともあり、城跡を後にすることになった。

 幸い雨の方はすぐに止んでくれて、このあと、同じチャリダーでもある、RANBUさん宅にお世話になるべく、その待ち合わせ場所である箱崎宮へと向った。そこで17時に待ち合わせし、そしてお宅へと案内してくれた。

福岡・護国神社
福岡城大手門

 RANBUさんはHP「RANBU華麗に舞う」で自転車を通した旅と、鳥の事に関したページを紹介している。野鳥にも興味があったので、いろいろ教えてもあったり、そして共通する自転車の話で盛り上がったりと、楽しく夕食の時間を過ごし、そして、夕食はお手製!最近行ってきたタイへの旅行を活かしたトムヤンクンもどき?!をご馳走になった。これがピリ辛でほんと美味しく、そして焼酎、梅酒をご馳走になりながら、いつの間にか時間だけがどんどん過ぎて行き、気付けば23時、急いでHPの写真だけでもとUPして、0時半ごろ就寝した。ありがとうございました。

 ~追伸~
 昨日の事故の被害広がる・・・なんと愛用一眼レフカメラのレンズが、バキバキに・・・ かなりのショックです(T_T)

お世話になっている
RANBUさん宅にて
事故の犠牲・・・
カメラが~(T_T)




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