車輪人の自転車日本一周・登山の旅 車輪人の自転車日本一周・登山の旅

2003年 3月28日 (金) - 264日目

天気 :

体調 : 良好

宿泊地 : 外堀公園

本日の移動 : 福江島観光

走行距離 : 66.3km

累計距離 : 10,864km
本日の出費

食費 : 1132円

観光費 : 520円

宿泊費 : 0円

雑費 : 0円

費用詳細 : 観光費:五島観光歴史資料館・堂崎天主堂

現在地 : 長崎県福江市  ( 全走行図 )

七色の教会

「七色の教会」
(五島・水之浦教会)
 久しぶりに絵を描いた。いや、この旅初めて絵が描けた。この前の阿蘇で書いた絵は写真を見て書いたので実際にはちゃんと書いたとはいえないかもしれないからだ。今まで何度か挑戦してきて、こうして完成までもって来れたのは初めてで、さらには中学卒業以来初めてでもある。ちょっとづつ絵に対しても描くという自信がついてきた。題して「七色の教会」、残念ながら実際はもっと派手な絵でとくに黄色、赤が目立ち、七色の虹のように見えたのでこう題したが、写真で撮って載せたこの絵では残念だが分かりにくくなってしまった。

 昨日の日記にも書いたが、昨夜はテントを張らずに軒下でそのまま就寝した。肌寒かったが、でも、カイロとシェラフカバーのおかげで、それなりに寝れることが出来た。朝は6時起床、設営しなかっただけに朝はかなり楽であるが、でも、やっぱり設営した方が快適である。何より朝起きてシェラフから出たとたんに、冷たい風の吹きさらしえある。そのため、書き途中の日記はとても書けないし、自炊すら寒さと風でまともにできない。そのため、簡単に具なしラーメンで済ませて、風を防げるフェリーターミナル内へとさっさと移動した。そこで日記を更新したのだが、ただ電源がないために時間との戦いだった。バッテリー残量を気にしながら必死で書くこと1時間半、なんとかもってくれて9時ごろ書き終えることが出来た。

 こうしてようやく五島列島の観光スタートだ。まず向かったのは、この五島列島の歴史・文化を知ろうと市の中心地、石田城跡外堀にある”五島観光歴史資料館”だ。資料はやや大まかにではあるが、太古から現代までを紹介していた。とくに何箇所かで設置されている説明ビデオが分かりやすくてよかった。そんな中でとくに興味魅かれたのが、伝統の祭りであった。それを見ると他の地域にはない独特の文化があることを実感した。今の町並みにはコンビニまであり、他の町との大きな違いはないが、こうした祭りには独特の文化が残っていた。

 こうして島についてちょっと勉強した後は散策開始!まずはその石田城を散策。天守内の敷地はものの見事というほど全て高校と化していて入ることは出来なかった。ただ面影はその校門は立派な城門であり、校内のまわりは石垣でどこも覆われていた。ちなみにこの城はかなり新しい城で、幕末へ入ろうとする頃に作られた城だそうだ。もとものはここには五島家の館があったのみで城は構えていなかったそうだが、19世紀に入ると外国船が頻繁に往来するようになり、そのことから国防の強化の為に、幕府に願い出て作り始めた。他にはない歴史である。ただ、それだけ後世に作られた割には江戸初期の城と見た目は変わらないように見えた。実際どこか近代的な箇所があるのか私には分からなかった。

五島観光歴史資料館
石田城の城門その1
石田城の城門その2
(今は高校の校門)

 城より南へ通りを2本ほど渡ると武家屋敷跡がある。家屋はほとんどどこも残されてはいなかったが、石垣は予想以上の規模でズラリと並んでいた。そんな中をのんびり走りぬけて、島の東部にある鬼岳を中心に周遊の旅へと出発した。まわり始めてまず立ち寄ったところは明星院という寺である。ここは空海(金剛大師)ゆかりの地であり、寺名も空海が名づけたという。境内にはもちろん金剛大師像がたっていた。ちなみにこの本堂の天井には美しい絵が描かれているという。

 このあと、それほど上るでもなく、だらだらと上って下る。すると大した距離もなく対岸の海へと到着した。ここは大浜海岸とよばれるところで、その海と浜の美しさに目を見張った。まるで南国!このまま飛び込んでしまいたいほどの綺麗な海であったが、だが肌寒いほどの気温でとてもそんなことはできなかった。でも夏と錯覚してしまうほどの海の青さだった。

武家屋敷を走る
明星院
美しい大浜海岸

 鬼岳を西からまわって南へと出たときに前面にようやくその姿を現した。この山を見たとき伊豆の大室山を思い出した。丸裸なところといい山容といい似ていたからで、そしてこの旅出発前の唯一の予行練習の旅である伊豆一周旅行で登った山でもあった。そのときの心境を思い出しながら、この鬼岳を眺めた。登ってみたいとは思ったが、その時間が今回はなかった。今日はこのあと絵を描いてみようと思っていたためで、ちょっと焦りながらの鬼岳一周であった。

 この鬼岳を見上げる海岸に溶岩海岸と呼ばれるところがある。名前の通り溶岩が海へ流れ出て形成された溶岩質の海岸である。自然の脅威を感じさせる海岸で、また今は静かな山ではあるが以前は激しく噴火活動をしていたということを実感させられた。この五島列島、どこも火山からなる山々で、そんなことをここに併設されているビジターセンターで学ぶことが出来た。

 鬼岳を南から東、そして元の北部にある福江市街へと12時頃に戻ってきた。ここでスーパーに立ち寄り安い弁当を買って、それを偶然目に入った市街にある教会の駐車場でのんびりと食べた。いつ作られたか分からないが真新しく見えたその教会、中を覗いて見ると誰もいなく静まり返っていて、聖域という雰囲気が漂っていた。

福江のシンボル・鬼岳
福江島・溶岩海岸
福江カトリック教会

 このあとは今度は福江市街より北西へと向かい堂崎天主堂を目指した。そこまでの道のり、リアス式海岸を行く美しい展望の見渡せる道が続いた。道は狭いが交通量が少ない為に快適に漕ぎ進むことが出来た。若干のアップダウンはあるものの、この好展望、晴天のおかげか気持ちよく進み、じきに突き出た岬方面に小さくレンガ造りの教会が見えた。教会というとなんとなく丘の上にあるというイメージがあるが、ここは海沿いに建てられていて、それが新鮮に感じたせいか、とても美しく見えた。この天守堂内は今はキリシタン資料館となっていて、その歴史がたくさんの資料と共に書かれていた。とても分かりやすく、また26聖人のことについても詳しく書かれていた。ちなみにその一人が五島出身の聖ヨハネ五島で、その磔の像が痛々しい姿で建てられていた。教会内、完全に資料館となってしまっていたが、祭壇はそのまま残されていて、定期的に今も儀式が行われているそうだ。普段の祭事の方は、ここへ来る途中に見たもう一つの教会、浦頭教会に移されているそうだ。

 この堂崎天主堂の隣には郷土資料館があり、こちらはどこの郷土資料館でもあるような昔の農具や民具が紹介されていた。見学後、先ほども書いたスケッチをさっそく始めたのだが、構図がまずかったか、入り組んだ教会を書くのに苦戦してしまい、結局途中で断念してしまう始末・・・ 時間も迫ってきたので、諦めて水之浦教会へと向かった。

 そこまで直線距離にして10kmもない距離であったが、なにしろリアス式の入り組んだ海岸線をさらにクネクネと蛇行しながら走る道で、距離としては倍以上の走行距離で思っていたよりも苦戦してしまった。アップダウンも激しくなり、ようやく対岸に目指す教会のある集落が見えたと思ったら、また大きく道は迂回して遠ざかっていく。ほんと驚くほど海岸は入り組んでいた。

 それでも16時頃には水之浦教会へと到着した。ここら辺りは観光路から外れるのか、誰も居ない教会で、中でのんびりとした時間が流れるのを感じながら椅子に腰掛けてしばし過ごした。このあと、スケッチに再トライ!今度は挫くことなく順調に書いていくことが出来た。先ほどの絵ではイメージさえまともに出来ていない状態で書き始めたのが失敗だったかもしれない。今回は面白いほどスラスラと筆が進み、そして17時過ぎに彩色に入った。徐々に日が傾き出しただけに、また肌寒くもなってきたためにここで止めようとも思ったが、どうしても書き上げたくて彩色を始めた。最初は、真っ青な空に真っ白の教会、それを描こうと思っていたのだが、徐々に教会は夕日に照らされ始めた。だが実際この頃にはもう雲が広がり、ほとんど夕日に染まる姿はなかったのだが、そんな姿を思い浮かべながら出来上がった絵が今回冒頭に紹介した絵だ。ようやくある程度満足いく絵が出来て、気分よく鼻歌歌いながら18時過ぎ、遅い帰路についた。

堂崎天主堂
水之浦教会
水之浦教会内にて

 帰りは国道を使い一直線で福江市街へと戻ったのだが、これが驚くほどあっという間に到着した。あの来るときに通った長い長い道のりが嘘のようだった。こうして市街へと戻り大きなスーパーで夕食と、明日の朝食のおかずの買出しをした。もうお腹がペコペコだっただけについつい余分にまた贅沢に買ってしまう。空腹時に来るところではないと思った。

 あとは昨夜も泊った外堀公園で今日も野宿。ここが夜、静かなところであると実証済みだけに今日は不安もなく寝ることが出来そうで、そんな理由からも昨夜躊躇したテント設営も、今日は迷うことなく建てて、そのテント内の温かさに改めて味わい、快適空間で食事をとり、そしてHP更新作業へと入った。ただ、写真をUPし終わったころバッテリー切れ・・・ 充電の為にトイレ外部電源を拝借したのだが、風吹く寒さの中、ヘッドライトを頼りにそこで書くわけにもいかずに、今日は断念。充電中はパソコンをテントより監視しながら、久しぶりの読書にふけり、充電の終わった23時頃に就寝した。また日記を残してしまった・・・




自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・