楽しく、そして勉強になり感心し、人と触れ合う。そして胸を締め付けられる思いもある、そんな長崎観光3日目を迎えた。今日もいろいろまわって、どんな発見があるか楽しみだ♪
6時半起床、もう恒例の朝からHP更新作業。そして今日も朝食をご馳走になりのんびり朝の団欒の時間を過ごすて、今日は9時半ごろ出発した。まず向かったのは観光初日に行けなかったシーボルト記念館。今日は空荷の走行とあって楽々到着。ただ、大変なのはさすが坂の町だけあって道が自転車が通れるように作られてなく、また狭い道のたくさんの交通量。道を知らないだけに階段にぶち当たったり、また自転車不可な歩道橋だったりと苦しめられた。ただ、小さな町だけ苦しめられながらもすぐに到着できるのでそれほど苦にはならなかった。逆に長崎らしく感じた。
到着したシーボルト記念館は美しい赤レンガの建物で、この洋館はオランダにあるシーボルトの旧宅をイメージして作られたそうだ。その洋館からも資料への期待感が込み上げワクワクしながら入館した。ここも前々から行ってみたかったところだけに、またある程度の知識があっただけに、実際の姿、そしてもっとその生涯や業績を詳しく知りたかった。そして資料館ではそれに答えてくれ、豊富で分かりやすい資料で迎えてくれ、じっくり魅入ってしまった。ちなみにシーボルトは医者で日本の鳴滝塾で講義したくさんの優秀な蘭方医を育て上げ、そして日本研究家としてもさまざまな資料を残し、世界に伝えた人でもある。その研究熱心な姿、行動力にも魅せられ、また刺激されながら資料館を後にした。このあと、今は公園になっている資料館前の旧宅跡を見学して、次の観光地へと向かった。
こうして贅沢な軽食後、巨大な碑を眺め、裏手にある資料館へと入館した。この事件についてはほとんど予備知識がなく、どんな事件だったのか知らないだけに興味深々で入館したんだが、館内は膨大な資料ではあったがキリスト全般の資料で、この事件についてはあまり触れてないのが残念だった。ちなみにこの26人の方々は豊臣秀吉の禁教令により京都や大阪で捉えられ、そしてこの長崎の土地に連れられ、この刑場で殉教したそうだ。その中には子供まで含まれていたという。時代とはいえ痛ましい事件だ。
となりには教会も建てられていて静かな教会内でちょっとのんびりした時間を過ごしてこの聖地を後にした。この後は昨日行き残した、原爆資料館へと向かった。
原爆資料館、見た目は小さな資料館に見えるのだが、中は予想以上の豊富な資料。過去、広島で嫌というほど見てきた原爆被害だが、また違った土地で、そして日本に2度使用されたことを実感させられた。どれもこれも見るに痛ましいものばかりで、胸が締め付けられながらもじっくり見てまわった。そして過去の戦争の経緯、さらには今の核現状まで展示され、核の脅威が引き続きつづいている事を実感し、いや、過去以上なものになっていた。核の拡散、拡張、強力化が進み、核実験は今も頻繁に行われている。そして紛争はいつまでも絶えない。この現状、いつ使われてもおかしくないところまで来ている。使われなくても、実験や事故でたくさんの方が被爆するという現実は今も続いていた。なくならない限り核の脅威はなくならない。今の世界情勢、深く考えさせら、胸が締め付けられることばかりだ・・・
13時半ごろ入館し、約3時間じっくり見学した原爆資料館、さすがに足がくたびれもうヘトヘトで状態であったが、自転車を漕ぎ出せばまた軽快そのもの♪空荷は嬉しい。こうして夕方最後の観光へと向かった先は墓地である。坂本国際墓地というところで明治以降の外国人の方々の墓地なのだが、この中に先日見学した永井博士、そして明日見学予定のグラバー氏の等の墓がたてられていた。
この後、お世話になっている浦津さんの帰宅時間まですぐ前の小さな公園でHP更新作業。一日平均、日記を書くのが遅いこともあり約3時間の作業、いつもお世話になりながらもPCに没頭してしまい迷惑掛けっぱなしであった。申し訳ありません。ちょっとでも先に済ませておこうと、ここで日記の更新作業を進め、そして16時半ごろ帰宅(浦津さん宅)へと向かった。そして帰宅後は夕食をご馳走になりながら団欒♪そして普段見れないテレビを見ながらのんびりと過ごした。そして22時ごろからHP更新作業を始めたのだが、今日は睡魔に早々から襲われて22時ごろには就寝してしまった・・・
~追伸~
長崎新聞社様、静岡新聞社様、共に大きな記事の掲載ありがとうございました。