今日のこの柳川地に入ってから人との接触が多くなった気がする。いや、熊本郊外から多くなったかもしれない。道行く人が声をかけ応戦してくれたり、また車の方も手を振ってくれたりもした。ありがとうございました。おかげでいつもニコニコ気持ちよく走ることができた。ただ難点は、最近いつものことになりつつあるが、冷たい北風が吹き、開けた台地では今日も苦戦させられた。
今朝は5時半起床。静かな公園でぐっすり眠ることができた。ただ、昨日のHPの更新作業をまだ全くやっていない。それをやらなければ出発どころではないと急いで更新作業にとりかかった。食事の方は昨夜夕食に引き続き今朝もパン。kazuさん宅で頂いたパンと、あと献血所でも頂いて豊富にあった為だ。そんなパンを片手に時間を惜しみながら黙々と進め、7時半、7割方日記を書き終えたところで1本目のバッテリー切れ、予備の2本目に入ると充電に手間が掛かる為、また時間もそろそろ騒がしくなりつつある時間でもあるために、ここで諦めてテント撤収、出発準備をして8時ごろ柳川市に向けて出発した。
柳川市までは国道沿いに1時間ちょっとの距離。交通量が多いのが気にはなるが、それ以外は平坦な快適な道路で苦もなく柳川市街へと入って、まず向かったのが、地図に大きく出ていた三柱神社。その表参道入り口には水路が流れ、川下りの発着場となっていた。そしてその水路脇には柳の木が並ぶ美しい景観がそこにはあり、その景色に見せられすぐにこの町が好きになった。そして参道をのどかな公園を見ながら奥に進むと、歴史を感じる立派な神社があり、さっそく旅の成功と安全を祈願した。このあと、川下り発着場で市内観光マップを頂いて、それを頼りに水路脇をのんびりと散策しながら走ることにした。
町の中を流れる水路であり、住宅街も抜けていくところもある。でもそんな中でも情緒ある雰囲気があり、そしてどこにも落ち着いた感じがあった。これが水郷の町の持つ雰囲気だろうか、それとも水路がそう感じさせてくれるのだろうか分からないが、でも道行く人、誰もがのんびりした時間の流れで生活しているように見えた。そして自分も自然とペダルを漕ぐ足がゆっくりになり、水路をのんびりと散策していった。
こうして進んでいくとちょっと変わった建物が、それは水上に浮かぶ売店で、そしてその店先は陸地側の公園ではなく、何もない水路に向いて建っていた。川下り船の方々に売る為だった。そして辺りを散策しているとそんな売店のお姉さんに声を掛けられ、なんと店でコーヒーをご馳走になり、さらには長崎カステラまで頂いた。もう美味しいこと!さらにお土産にレトルト食やペットボトルを何本も頂いた。自炊食が欠乏していただけにほんと嬉しい頂き物だったありがとうございました。そんな水上売店で、のんびりとこの水路のことや観光スポットを聞きながら1時間ほど過ごし、ちょっと別れ惜しみながらも、この先もいろいろ見てみたい為に出発した。
またのんびりと走りだしてすぐに、今度はこの川下りの中間点でもあるこの地にも船の発着点があった。そんな「水郷柳川観光」さん方々にも声を掛けられ、そして一緒に記念写真を撮らせてもらって、水路沿いをのんびりと進んだ。そして川下り終点の賑わうこの地に「御花」と呼ばれる藩主の別荘跡があった。ここにはちょっと入園料は高いが見事な庭園があり、またその藩主の家財などを紹介する資料館も併設されていた。でも、さすがに入館できず、ここは裏口から遊歩道?を通って裏手にまわりそこから少しであるが庭園を望むことができた。こうして水路の旅を終えて、あとひとつこの柳川最後の観光は、あの有名な北原白秋の記念館へと入った。それほど文学には興味なかったが、でもどんな生き方をしてきた方なのか、そんなところに興味を持って入館した。料金のほうは400円とやや高かったが、ここでは旅始めてのユース割引制度があり、使わないユース会員を提示して50円割引してくれた。さて、記念館内ではまずは復元された生家が迎えてくれた。そして奥には歴史民族資料館と併設された、北原白秋館で、どちらとも見応えは充分で、とくに北原白秋を説明するシアタービデオは分かりやすく、4つの項目全てを見入ってしまった。
こうして温かくのんびりした柳川の地をあとにして、今度は佐賀へと向かった。ここはそれほど寄りたし所もなく、佐賀城後だけ、ちょっと寄り道して行こうという程度で考えて、このまま鹿島の道の駅まで今日中に行こうと考えていた。そんな佐賀に入ったばかりの道中でちょっと気になる看板を発見した。それは「佐野記念館」というところで、自分の持っている地図上でも書かれていて、前々から気にはなっていたところだった。どんな人だろうとちょっと寄り道して中に入らないまでも、その看板だけでも見ていこうと、路地へと曲がり資料館前まで行ってみると、意外や意外!自分の知っているところの多い人であった。この佐賀藩の人で、日本初の蒸気船を作り、そして西南戦争時には赤十字社の前身にあたる「博愛社」を設立し、敵味方分け隔てなく救護した。そのほかにも灯台の設置、美術界などなど、多くの功績を残した方で、そんな生涯を館長の香月さんが親切、丁寧に説明してくれた。そしてその資料の方も豊富で、公民館と併設された小さな建物に見えたのだが、中は意外に広く、その中にぎっしりと魅力あふれる資料が展示されていた。博愛社を設立したということしか私は知らなかったが、ほんと行動力あふれる偉大な人で、そんな生き方に見せられ、自分の刺激にもなった。また、多くの業績をのこした佐野常民の知名度が意外に低いことにも驚いた。でも、これから先、佐野記念公園も建設予定で、こうした活動でどんどん世に名が知れ渡れば嬉しいと思った。またこの館長・香月さんからこの先のたくさんの観光情報、そして観光パンフレット、さらには佐野常民の説明小冊子まで頂き、そして茶菓子を一杯に手土産にと頂いて、2時間ほど資料館と会話を楽しんで、15時近くに後にした。
ここでは佐賀のいろんな魅力を教えていただき、簡単に抜けるところかじっくり見なければ進めない土地で予定を変更して、今日、明日はこの佐賀市付近をじっくり見ていこうと思う。こうしてまず向かった先はあの有名な吉野ヶ里遺跡である。ここも見逃していた。どんな遺跡だろうと地図では気になっていたが、古代にそれほど興味が少ない私は、やや離れる場所にあったこともあって飛ばそうと考えていた。でも聞いてみると、あの数年前、世間を騒がしたあの遺跡だったのだ。そしてさらに発掘&復元が進み、今では大規模な展示施設となっているらしい。さっそくまた北風を押し進んで向かうと、前方には見慣れぬ異様な建物群が!そうあれが吉野ヶ里遺跡だ!さっそく、その広大な敷地に入園すると、すぐに太古、弥生時代へタイムスリップ!そしてその不思議なロマンが込み上げてきて復元された町並みを歩くだけでワクワクしてくる。以前、奈良で飛鳥の町を見たときと同じような興奮だ。そしてこの時代の未知だからこそ存在する面白さにどんどん惹かれていった。入園は16時近くとやや遅い入園で、時間一杯の17時ギリギリまで見ていたが、あまりの園内の広さと、説明の楽しさにもっとじっくり見て行きたい所ではあったがタイムアップ・・・ 説明が聞けないところがほとんどでただ慌ただしく見てまわるだけの観光になってしまった。やや悔いは残る所になってしまったが、でもこの弥生時代の面白さを知ることができた。また、最後来る楽しみもできた。次に訪れるときはもっともっと発掘、復元が進み、さらに興味あふれるところとなっているだろう。
この後は寝床を求めてさらに北へと進んだ仁比山公園と行って見る事にした。ここには伊東玄朴の旧家があるらしくそれを見てみたいという理由もあった。そんな道中、水車の里と呼ばれる公園があり、ここも場所としては悪くない。第一候補としてチェックしながらさらに坂を登っていくと、西洋医学の父と呼ばれる伊東玄朴と旧家がある。残念ながらさすがに閉館していたが、でも、嬉しいことに窓口にはその資料が置かれていてそれを頂くことができた。そしてそれをさらに登っていくと、仁比山神社があり、ここでも旅の安全と成功を祈り後にした。後はこの公園内の散策、すると、なんとキャンプ場があるではないか!迷わずここで決定!さっそくテントを設営して簡単な自炊を済ませて19時ごろに落ち着くことができた。そこからは溜まったHPの更新だ。まずは22時ごろまで必死に更新を進め、でも途中で電源切れの為に中断。野外コンセントで充電中は先に就寝。また0時ごろに起床し、続きを行う。また、今朝、とんでもない失敗をしてしまい、18日の日記を上書き保存してすべて消失させてしまっていた。そんな対応にも手間取り、知人に問い合わせるが何処にも残ってなく、結局このHP上で呼びかけることにした。そしてこんな時間にも関わらず、すぐに黒沢さんという方がメールで対応してくれ翌日の早朝にはそのデータを送っていただいた。ほんと助かりました。ありがとうございました。こうして2時近くまでHPの更新作業を進め、また就寝へと向かったのだが、先ほどの仮眠が元でなかなか寝付けず、結局3時すぎからようやくウトウトと眠ることができたくらいだった・・・