前に進む、それが旅の面白さの一つでもあるのだが、今日はピストン走行が多く、進んだ距離の割には地図上進んでいないという、ちょっと達成感の少ない走行になってしまった。でも、距離はグングン伸びて、そして嬉しいことに総走行距離がとうとう10000kmを突破した。もう普通なら日本一周を周り終えるような走行距離だが、道草が多く、ようやくこれで1/3位を周り終えたところだ。この先、どこまで距離はのびるのだろうか・・・
今朝は6時に起床。起きたときは静かな道の駅でのんびり出発準備に取り掛かれたのだが、じきに大型バスが3台、4台と・・・ 最後には5台のバスが入り、たくさんのおばちゃん軍団で朝の道の駅は急に騒がしくなった。落ち着くのを待ちたかったが、でもいつまでも時間を潰しているわけにもいかずに、おばちゃん軍団の中へと入り、顔を洗ったり、自炊したりと、なんか落ち着かない騒々しい朝となってしまった。結局、そんなおばちゃん軍団よりも先に、7時頃、道の駅を出発した。
そんな資料館には13時頃到着。道中、それほど坂も無くその点では思っていたよりも楽に到着することができた。ただ風だけはいつも向かい風であったが・・・ この資料館、国道から逸れたちょっと奥まったところにあり、見るからにマイナーな資料館という感じであった。実際に私以外に観光客は終始訪れなかった。でも、歴史的価値は高い資料館である。ここは西南戦争末期、西郷の逃走が始まったところであり、そしてこの地がそのときの宿陣跡なのだ。元々は児玉熊四郎という方の民家なのだが、この時ばかりは軍事司令部と化していた。そんな模様が資料館内で再現され、そんな姿はまさに必見!緊迫する雰囲気が伝わってきた。また展示物の方は、それほど目玉となるものは無いが、でも詳しく西南戦争のことが絵巻と共に説明されていて、見応え充分であった。そんな地をおよそ1時間ほど観光して延岡までの帰路についた。帰路は逆に追い風で、驚くほど早く延岡市街へと戻ることが出来た。
今度こそ高千穂峡に向けて西へとルートをとった。風も引き続きやや追い風と言った感じで、緩やかな登りが続くのだが、それほど苦もなく久しぶりの快適走行であった。途中、スーパーでパンを買って遅い昼食をとり、あとはひたすら今日の目的地である、高千穂峡手前の日之影温泉駅を目指した。そうそう、当初の予定では国道(バイバス)を登って行き、そして道の駅・青雲橋で野宿予定であったが、昨日出会った中野さんの助言もあり、また目的地の日之影温泉は駅舎内に温泉があるという、ちょっと珍しい温泉で、それに浸かりたくもあり、旧道である県道237号線を進むことにした。この道は川沿いの道で川と共に、また一両編成の可愛い汽車と共に上っていく素朴で、のんびりした気持ちよいルートであった。ちなみに新道である、国道はこの遥か上空の山腹を行く橋とトンネルでつなぎ合わせたルートだ。
そんな旧道をいろんな橋を見ながらのんびり登っていった。最初に出迎えてくれた橋は”うさぎ橋”で、吊橋のように橋下の基礎が細いのだが、でもどこにもなにも吊ってなく、とても不思議な橋であった。ちなみのこの”北方町”全国唯一の干支の町で、部落の地名が子、牛、寅・・・ 亥と全ての干支の名の部落があり、このうさぎ橋も卯の地区のある為、こんな名前なのだ。そしてこの先の巨大な”干支大橋”はとくに圧巻だった。この前後にも幾つかの大橋はあるのだが、この橋が個人的には一番魅せられた。ちなみにこの橋が上空を走る国道だ。いつの間にか上へ上へ登り、そして150m」ほど上空を走っていた。そんな国道の大橋を見上げながら、川沿いを走るのんびりした道を進んでいった。
駅舎温泉を楽しみにして快適に登って行ったのだが、途中に気になる看板が・・・ このさき「全面通行止め」と無常にも書かれていた。上の国道へと繋ぐ道もあるのだが、延々と続く坂道だけに、また温泉にも入れなくなる、そんな理由から行けるのならこのまま先へと進みたい。そんな時にある一台の車が対向してきた。手を振って、止まってもらって道の状況を聞いてみると、問題なく通れるとのことだった。それを信じて先へ進み、1kmほど進むと案の定、工事中地帯が、でも、片側通行でなんの問題なく通過することが出来た。なにが全面通行止めだかと思いながら、また気を取り直して鼻歌まじりで気持ちよく登って行った。
そして今日の目的地、日之影温泉駅のある日之影町へと入った。小さな集落を抜けて大したのぼりもなく追い風ということもあってスイスイ上っていくと、今度は半絶望的な看板が・・・ 先ほどと同じ”この先全面通行止め”と書かれ道は半車線閉ざされてもいた。ここで数キロ引き換えし、さらに上へと上らないといけないと思うとやりきれなく、また温泉にも入りたかったことから、自転車なら通行できることを祈って、そして先ほど教えてくれたおじさんの道案内を信じて、この先もそのまま進むことにした。数キロ順調に進むと、ある一台のトラックが対向してきた。この先の道路状況を聞くと、通行は無理だろうとのことだった・・・ あと数百mほど先ということで、ダメで元々で行ってみたのだが、徒歩でもまともに通れないほど道は閉ざされ、絶望的であった。あと、目的地まで2kmほどの距離まで来て、この通行止めとは・・・ さすがに肩を落として仕方なく、国道へとあがる分岐までの約6kmほどの距離を引き返した。さすがに気分は一変し、気の重い走行となってしまった。分岐まで戻り、そしてそこから国道までの約150mの標高差を一気に登る。これがまた容赦ない勾配で黙々というよりもガムシャラに上っていくしかないほどの坂であった。
格闘のすえ、大汗を流しながらなんとか上りきり、今まで見上げてきた国道へと到着した。ここから先は少々のアップダウンの続く、展望の良い快適路とまた変わった。やや交通量は気になるものの、また気を取り直して、鼻歌まじりで漕ぎ進んでいった。そして最後に東洋一のアーチ橋であるという青雲橋を渡って、今日の目的地、道の駅・青雲橋へと到着した。
さっそく野宿場所を散策すると裏手に青雲橋公園があり、そのちょうどよい東屋に決定。車道はいったん軽く下りて、また上ったところにあるんだが、寝床の為とそこを通過しようとしたとき、ある段差でハプニング!大きくフロンとサスが沈み、そのため、Vブレーキがキャリアに接触し、そのため、急ブレーキが勝手に掛かってしまいタイヤはロック!そのまま180度、自転車は大きく宙を舞い、飛んでいった。自分でビックリしたが、実は前々からこのサスのヘタリがあり、このような現象は何度かあったので、ある程度その段差には用心し、そのため、自転車と共に宙を舞うことなく先に脱出していたので幸い無傷ですんだ。ただ、ここまで宙をまったのは初めてでさすいがに言葉を失ってしまった、自転車のほうも幸い大きな損傷はなく助かった。こんな転倒ハプニングもあったが、無事に東屋の下でテントを設営し、最後の工事中のピストンのおかげでやや遅い19時近くになってようやく落ち着くことが出来た。このあと、簡単な自炊をして、日課であるHP更新作業に取り掛かり、そして22時半ごろ就寝した。