長い長いフェリー内での夜。起きて活動することもできず、ひたすらウダウダと寝ていた。そして那覇入港1時間前でようやく起床。朝食は買ってあったパンで済まして、そして予定通り8時に無事、那覇市に入港した。石垣での出航が、荷物積み込みの為か2時間近く遅れてしまったため、心配したが予定通り入港してくれてよかった。なにしろ、このあと、9時半にフェリーで久米島へと渡る予定なので、遅れては困る。
こうして懐かしの那覇市へと舞い戻ってきたのだが、そんなフェリーターミナルでたくさんの出会いが待っていた。まず、下船するときには、八重山で知り合った方々と2人、偶然再会、さらには、埠頭で「もしかして雑誌に載っていた方ですか?」っと声をかけられた。聞くと以前に載せてもらった”散歩自転車・旅自転車”だった。彼は元々ライダーで、今回は自転車で旅をしている方だった。そして、昨日知り合った青年海外協力隊の”小竹”さん、さらには、実はHPで見て会いたいと言ってくれ待ち合わせしていた”平良”さん、そんなたくさんの嬉しい出会いが港で待っていた。みんな気の会う方ばかりで、いつまでも話して居たかったが、そういうわけには行かなかった・・・ そう久米島へのフェリーの時間がある。とりあえず、切符を買っておこうと、出発埠頭まで小竹さん平良さんと共に移動、そこで切符購入後、時間ギリギリまで旅の話を楽しんだ。
久米島行、もう半分迷惑をかけながらギリギリで乗船した。でも、まだまだ話したりず、悔しさが残った。そんな悔しさをのみながら船は定刻に出航して行った。そして先ほどのたくさんの出会いから一変して静かなフェリーの旅が始まった。ここで、まだ書いていない昨日の日記を書きたかったが、でも、やっぱり船酔いしそうで断念・・・ 結局、このフェリーないでも、眠くもないのに、ひたすら横になって目を閉じていた。
そんなダラダラした時間が2時間ほど過ぎただろうか、もうすぐ途中の寄航地、”渡名喜島”へ到着しようとしたころだったか、突然アナウンスが流れた。「右前方に”くじら”が見えます!」、「!!!」もうなりふり構わず外に甲板へ飛び出した。前方を目を凝らして見回すが、最初はどこにいるのか全く分からなかった。数分しても見つからず、諦めかけたこと、前方に突然、潮が吹いた!鯨だ!さらには、巨大な尾びれを空中に跳ね上げながら豪快に目の前を通りすぎてゆく。その、今まで見たことのない巨大な生物、そして豪快な姿に、自分はものすごく感動した。もうなんて言っていいのか、分からないほど、ただ、自然に目に涙が溜まったほど、その姿に感動した。自然とはほんと不思議なものだ。この経験ずっと忘れることはないだろう。ちなみに写真の方は残念ながら撮ることが出来なかった。やや遠方だったため、写真では写しきれなかった。でも、この目ではその巨大さが充分伝わってくる距離であった。ほんと何度もいうが、自分でもビックリするほどその姿に感動した。
また、静かな航海へと戻った。でも、その興奮だけは収まらなかった。それほど自分にとって衝撃的だった。このあと時期に渡名喜島へ寄航。その時を見計らって、昨日の日記更新作業。その寄航中に必死で書くこと約1時間弱、なんとか出発頃には書き終えて、無事にようやく更新した。そして船はまた荒波を出航して行き、また横になって久米島の到着を待った。
またいつの間にかウトウトと眠りについて、気付いたときには、もうすぐ久米島に寄港しますとのアナウンスが流れたときだった。そして14時半ごろ、無事に述べ20時間もの航海を終えて久米島の地へと降り立った。まずはそのターミナルで島の観光マップを入手!そしてまず向かったところが、この島のとについて知ろうと”久米島自然文化センター”という総合資料館へと出かけた。
そんな資料館。限られた展示スペースで古代~現代の大まかな歴史の流れ、そして生活など、さまざまな島のことについて展示されていた。どれもやや内容が薄く物足りなさも残る内容ではあったが、でもこの久米島、固有の島の歴史を知ることができ、その後の島の観光が楽しみになった。この南西諸島の離島、数え切れないほどの島々があるが、どこも違う歴史、文化があるから面白い。そして産業、島人も、もちろん島固有の持っているものがある。明日の島内一周が楽しみだ。
15時過ぎに資料館を後にして、すぐ目の前の””伊敷索城跡”を散策。今は崩れた石垣だけが残る台地だけで、また案内書もなく、どのような城の面影だったかは分からない状態であった。こうして城を後にして、今日の寝床と決めている、島の観光課へと電話で聞いたキャンプ場へ向かうことにした。その途中にちょっと空港へ立ち寄った。観光案内所へと行って、もっと詳しくこの島の観光情報について知りたかった為だが、港で貰った同じパンフレットしかなく、また係員もいなかった為に、情報を得られないまま、キャンプ場へとそのまま向かった。
シンリバーマビーチということで、そこに向かったのだが、広い広場があるだけでキャンプ場らしきところがない。電話でもう一度、問い合わせてみると、ここで間違えないと言う。実は炊事場も専用トイレもない、ただの海水浴場であるが、でも町としてここを無料のキャンプ場として開放してくれているとのことだった。電話では受付があるという話だったが、その建物内には誰もいなかった。30分ほど辺りをフラフラ散策。すると、管理人らしき年配の方を見つけ、声をかけてみると、やはり管理人さんで、こうして無事受付を済ませて、雨を心配してその建物の軒下へテントを張らせてもらって、こうして落ち着いた。
日が暮れる前に、この空いた時間で始めたのが、書き途中だった”最西端”の絵を彩色の続きだった。それを書き始めたのだが、やっぱり実景がないと筆がなかなか進まない。結局、書ききれずに諦めてしまった。悔しいが、仕方がない・・・ 次の題材を頑張ることにした。でも、今日の絵画はここまで、もう日が暮れ始め、あとはテント内でのんびりと過ごした。実はまだ船に揺れた感じが収まらずに、頭がボーっとしていた。
でも、HPを更新しなきゃ!っと頑張ってはじめる。が、写真と居場所までのUPで力尽き、そこまでで、また横になり、ウトウトと眠りに付きはじめた21時頃、突然、「カズ~!!!」っと呼ぶ一台の軽トラックがこの広場に入ってきた。何かと思い外を覗くと、この広場にある、もう一つのテント人に声をかけているようだった。このキャンプ場には今書いたように実はもう一つテントがあった。声をかけてみようととも思ったが、今まで、一度も顔を会わせたことがなく、機会が見出せないまま、この夜の時間が訪れてしまっていたのだ。そんな彼を呼ぶ声が21時ごろにし、そして、この軒下の片隅で宴会が始まった。でも、悪い人ではもちろんない。「ここで、ちょっとお話していいですか?」っと前もって声をかけてくれ、さらには、「一緒にどうですか?」とも続けて声をかけてくれた。そして、お言葉に甘えて一緒に宴会の場へと招待された。こうして同じキャンプ場の彼、「カズ」とも知り合え、そして島人「シマンチュウ」2人と楽しい夜が始まった。話しは尽きることなく盛り上がり、そして午前様。そこから、軽い夜食へと連れて行ってくれ、そしてそこでご馳走までなってしまった。ありがとうございました。
聞くと、こうして旅人と知り合えるのが好きで、このキャンプ場でいろんな方をいつも誘っていると言う。こうして知り合ったのが、数日前からキャンプしている「カズ」で、島人と意気投合し、こうして今日も来てくれて、そして私も一緒に誘ってくれたのだ。そんな温かい島人に触れて、翌日の2時近くにキャンプ場に戻り就寝した。