緊張の初講演の朝が明けた。それでも、夜はちゃんと熟睡することができた。最後にはどうにかなるだろうと、開き直っている部分もあり、それほど思い込まなかったからかもしれない。でも、こうして日が明けて、また緊張してきたのだった。
実はまだこの講演、正式に決定と言うわけではない。昨夜の酒の席での会話でもあるし、なによりまだ学校の了解を得ていない話である。そして突然の授業変更してでの講演となるので、実現するかどうかはまだ分からない状態だった。その結果が、小田原先生から8時過ぎに連絡が入ることになっている。心のどこかで、不安から講演が中止になることを思っている自分がいて、そう願う自分が情けなくも感じた。でも、講演でいろいろ伝えたい!っと思っている自分もいて、それが常に戦っていて、そして、伝えたい!っと思う気持ちが常に勝っていたことも感じた。そんな複雑な朝の心境で電話を待った。
ちなみに今朝もあったかい布団で7時に起床。そのあまりの気持ちよさと、連日の夜更かしからなかなか起きれない朝であったが、自分には仕事が残ってるために、そして自分にけじめを持てと言い聞かせての起床だった。起床後、昨夜も残してしまった仕事(日記の更新)をまず始める。そう、上記にも書いたように今日の不安を感じながらの日記書きだったから、なかなか進まない状態で、ただ時間だけがどんどん過ぎていった。
そして8時半ごろ、待ちに待った小田原先生からの電話が・・・ そしてその結果は「了解とれましたので、よろしくおねがいします!」との嬉しい報告、もうこうなったら、精一杯やるからには頑張るしかない!そう言い聞かせて、出発準備へと取り掛かった。
ちなみに授業は10時40分からで、30分ごろ行けばよいとのことで、それまで荷物をまとめたりと今日のお昼のフェリーの備えた。実はフェリーの時間は12時出航、授業は11時半まで、もうギリギリの予定で、この時間を聞いたときはもう、今日の出航を諦めようかとも思ったが、でも、間に合うのなら、明日1日ダラダラしていたくはないために出航して行きたかった。そのために、出発準備をすませ、さらに乗船券までも先に購入しておき、出航に備えた。
準備を終えた頃、とうとう中学校へ出発の時間がやってきた。学校までは自転車3分ほどの道のりで、いろいろ考えている間もなくすぐに到着。玄関先では小田原先生が迎えてくれ、さらに校長先生も温かく迎えてくれた。そしてちょっとそこで話をしていると、すぐに授業再会のチャイムが・・・ そして講演する3年生の教室へと案内された。
当初の話では1クラスのみという話だったが、生徒達がみんな聞きたい!っということで、3年生全員(2クラス)で講演することすることになった。受験のためにこの場にいない子もいたが、それでも総勢60名あまりを1クラスに集めての講演。これで緊張しないわけはなく、ドキドキしながら懐かしい学校の教室へと足を踏み入れた。
たくさんの生徒達を前に、まず最初に目に飛び込んだのが「めんしょり、Mr中村」と大きく書かれた黒板の文字、もう嬉しくて嬉しくて、そして照れくさくもあり、ちょっと舞い上がりながら教壇に上がった。小田原先生から軽く紹介していただいてからは、後は全て自分で話を作っていかなければならない。こうしてみんな楽しみにして話を聞こうと歓迎してくれているのに、とうの自分は大した会話構成を作ってこなく、何度も言葉に詰まりながらも、必死で自己紹介から始めた。
もう、自分で何を言っているのか分からないほど必死で旅のことを説明。これで本当に伝わっているのか心配だ!こうして教壇にたつのはもちろん初めての経験。黒板を前にするのも学生以来だ。もう全てがドキドキだったが、でも、ちょっと前に自分だったが、もっとひどい講演になっていただろう。いや、きっと出来なかっただろうと思う。 それは今までの広報活動が役立っていた。各新聞社で自分を自己紹介、説明するのに、やっぱり同じような事をいう。そのときも最初のインタビューの時は口答メモを片手に持って必死で受け答えしていたが、今は何もなくてもスラスラと受け答えできるようになっていた。そして、そのことを繰り返すことによって、自分の事旅を自分で見つめなおし、その動機や目的もはっきり持たせることも出来た。こうした経験のおかげで、自分の今の旅への思いが固まりつつあるため、こうして講演もなんとか話すことが出来た。
この講演で伝えたいことが山ほどあり、最初は50分で足りるか心配になったほどで、まあ、足りるだろうが、質問時間が持てないんじゃないかと思ったほど伝えたいことが山ほどだった。でも、実際に話してみると、時間構成が全く出来ていなかったために、最低限言いたいことだけを、必死になって話してしまい、詳しいことは飛ばし飛ばしにしてしまう事も多かった。こうして、焦りながら必死で話し、ほぼ全体を説明し終えて時計を見るとまだ半分が終わったところで、まだまだ時間は充分あった。話を終えていまさら、詳しい話を引っ張りだすわけにも行かず、いや、それよりも、もう一旦話を終えると、頭が真っ白になってしまって言葉が出てこなかった。そのため、ちょっと長いかもしれないが、そこから質問タイムとすることにした。
すると、どんなことを質問しようか、また、ずっと私が話していたこともあり、溜まっていた思いを友達にぶつけたりと教室がざわめき出す。そんな、ざわめきでちょっと自分の緊張もほぐれるが、でも、講演開始から固まった笑顔は変わることがなかった。自分でも何でかずっと笑顔なのか分からないが、でも、やっぱりこうして自分を紹介できるのが嬉しいのだろう。そして、たくさんに人の温かさに囲まれているからじゃないかなっと思う。そんな質問も実は後半飛び出していた。「その素敵なスマイルはどこからでてくるんですか?」っと(笑)、また、最後は和気藹々で、「初恋はいつですか?」、「この中で好みの子いますか?」などなど恋話も・・・ (汗)(汗)(汗)(汗)(汗)(汗)(汗)っと言う感じでもう大変(汗) でも、こうして楽しく講演を無事に終えることが出来た。最後はクラスの代表者がお礼の言葉を頂いて、自分にとっては感動の初講演を終えた。そして最後にお願いして恒例のみんなで記念写真を撮った♪
こうして初講習を無事に終えた喜びいっぱいでフェリーで急行、もうすでに港にはフェリーが到着し、そして大坪さん夫婦も見送りに着てくれていた。そして大坪さんから手渡されたのが、昨夜ご馳走になった山田さんからの贈り物で、それは沖永良部島の観光Tシャツ!裏には私の好きな西郷さんの言葉「敬天愛人、発祥の地」という言葉が!意味は「天を敬い人を愛する」という意味だ。道中、着させてもらいますね!ありがとうございました。
こうしてたくさんの温かさに接して、そして思い出を貰い乗船した。もう、すでに愛着すら沸いてきたこの沖永良部島を去るのは辛いが、でも自分には今やらなければならないことがある。もちろんこの旅を完結させることだ!それだけを思い、船に乗り込んだ。
乗船後、この港の運送責任者である大坪さんに案内されてなんと操舵室へ!そこで船長さんにいろいろ機器の説明をしていただいたりと、普段ならとても出来ない経験をここでもさせてもらった。またそこから見下ろす景色はもちろん最高であった。
寄航間近のアナウンスで目が覚める。あっという間の航海だった。そしてまた新たな島に降り立った与論島。自転車で1時間もあれば一周できるほどの小さな島で、丘程度の隆起しかない。そんな島だが、その海の美しさにまず驚かされた!そして島内周遊を始めてまた改めて海の美しさに驚かされる。それほど綺麗なのだ。どこも白砂に覆われた砂浜で目を奪われてばかりいた。
途中、与論の市街にある観光案内所で島の情報を入手して、今日の寝床は島の対岸にあるキャンプ場に決めて周遊の旅へと出発した。海を眺めながら時には海岸で遊びながらのんびり島を半周。そして大金久キャンプ場へと16時頃に到着した。
この海岸沖には百合ヶ浜という島が干潮時に出現するらしい。その島には「星の砂」もあり、ものすごく綺麗だそうだが、でも、今の時期は昼間の干潮が弱くほとんど島は現れないとのことだった。残念だが、それでも、充分美しく綺麗だった。だれもいない海岸をのんびり散歩していると、あるおばちゃんに声をかけられた。いろいろ旅のことを聞かれ話し、そしてよかったらお茶ご馳走するよと誘われ、お言葉に甘えて行ってみると、そこは小さな海岸のアクセサリー露店だった。美しい貝や石のアクセサリーを前に黒砂糖などご馳走してもらいながら、この美しいアクセサリーのことをいろいろ聞くと、自分の旅の思い出にと欲しくなってきた。そして家族にも送ってあげたくもなった。でも、値段を聞くと、とても幾つも買えない金額・・・ 購入を迷っていると、なんと売値の1/4近くまでまけてくれたのだった。こうして家族の分、そして自分の今日の初講演の思い出にと、貝で作られたアクセサリーを購入した。
そしてキャンプ場へと戻り今日は久しぶりの一人寂しく夜を迎えて、そしてただPCと向き合う夜でもあった。そんなPCと向き合うこと22時まで・・・ それでも日記を書き終えられず、途中にして22時半頃に就寝した。