車輪人の自転車日本一周・登山の旅 車輪人の自転車日本一周・登山の旅

2002年 11月22日 (金) - 138日目

天気 :

体調 : 良好

宿泊地 : 佐田休憩所

本日の移動 : 窪川町~大正町~十和町~西土佐村~中村市

走行距離 : 95.1km

累計距離 : 5,318km
本日の出費

食費 : 428円

観光費 : 302円

宿泊費 : 0円

雑費 : 0円

費用詳細 : 観光費:お遍路費用

現在地 : 高知県中村市  ( 全走行図 )

四万十川と共に・・・

高知新聞夕刊
 雄大で清らかな四万十川と共に窪川から国道381号そして441号と今日は走ってきたのだが、さすが、最後の清流四万十川というだけあって、とても美しくひたすら魅せられっぱなしだった。ただ、あまりの変わらぬ大自然美に、自分がどれくらいのスピードで進んでいるのか分からなくなるほどだった。そのため、スピードが遅く感じてしまい、ついつい、もっとスピードを出そうと必死になって漕いでしまい意外に疲れてしまった。そんな一日を振り返る。

 今朝は6時ちょっと過ぎに起床。昨夜も静かでよく寝れたのだが、やっぱり朝はどんなに寝ても夜明け前にはなかなか起きることができない。そのため今日もこんな時間まで寝てしまった。ちょっと寝すぎだ。でも、こんなに休んでいるのに、今朝はなんとなく頭が重かった。この悪天のせいだろうか、それとも風邪なのか、ちょっと心配だ。

 朝はまず、昨日も途中にして寝てしまった日記の続きを書くことから始まった。1時間ほどかかってようやく終了。それからご飯を自炊して食事。それからさらに自転車の各ザックの防水対策をしてからの出発だったので、今日は出発がちょっと遅くなり9時となってしまった。心配していた雨の方は、昨夜はよく降ったが、朝は嬉しいことにやんでいた。だが、またいつ降りだすかわからない雲行きのために、このように雨対策をしての出発となった。

 まずは、お遍路。数キロ走ったところになる37番・岩本寺へ。まだ静かな朝の寺で参拝をすまし、そして、四万十川と共に走る国道381号へと入る。四万十川は、ここから河口まで100km弱ほどあるだろうか、その距離をわずか200mちょっとの標高から流れ進む。そのため、流れはとても緩やか、また流れる水量はわずかでも、緩やかなため上流部から大河の雰囲気を漂わせていた。
その流れと共に、同じように大きくS時を描きながら進んでいくのだが、それがまた気持ちいいこと♪まさに自然と一緒!っといった感じだ。ただ、冒頭にも書いたとおり、あまりの大自然美のため、進んでも進んでも似たような景色がひたすら続く。そのため、スピード感が鈍り、必死でこいでも、遅いように感じてしまい、風を切る楽しさが味わえない。そのため、さらに必死で漕いで進む。もう常に前回走行だったので、さすがに汗をかき、また足も痛み出してくる。それでも大自然美に気持ちよく1時間ほど走ると、道の駅・四万十大正へ到着し、そこで休憩をとった。

 道の駅でのんびり休憩していると、ある旅人に声を掛けられた。彼は”杉浦”さんといい、バイクで私と同じく日本一周を目指しているそうだ。そんな杉浦さんと旅の会話を楽しみ、最後に記念撮影♪そして杉浦さんは先に旅立って行った。

37番・岩本寺
道の駅・四万十大正にて
日本一周中の杉浦さんと
やや上流の四万十川
(写っている橋は鉄橋です)

 この道の駅、インターネットが無料で廻覧できる。そのためちょっと長居をしてしまい、出発は11時半ごろになってしまった。まだまだ今日の予定地は遠いというのに・・・ この先、さらにちょっと早足での走行となった。

 途中、数少ないスーパーでパンと菓子を購入し、そのちょっと先にあった”君が渕”という源平時代の遺跡で休憩しながら食べた。こうして元気をつけて再出発。また、そんなに急ぐつもりはないのに必死になって漕いでしまい、今日はいつもゼイゼイ言っていた様な気がする。そしてだいたい1時間おきに休憩をとるのだが、どうしても必死で漕ぐと汗をかいてしまうので、そのとき急に冷えて寒い!そしてあまりの寒さに休憩をほどほどにしてまた出発。それを繰り返しての走行だった。そんな辛い走行ではあったが、常に四万十川が優しく自分を見守っていて、そして元気を与えてもくれた。また、所々で沈下橋も顔を出して励ましてくれた。途中、休憩所があるたびに、もうここまでにしようかとも迷ったが、でも決めた今日も目標、ただ、自分の精神的弱さだけの理由で妥協したくない。そう思い必死になって漕いだ。

 441号に入ってからは、車幅も狭くなる。交通量は少ないおかげで怖さはなかったが、ただ、大型車が来るたびに、自転車を端に寄せて止まらなければならない。それが苦痛でまた疲れる。意外に辛い走行となってしまった。でも、四万十川だけは変わらず、その優雅な姿を見せてくれていた。

 16時過ぎ、ようやく中村市へと入り、そして深木の沈下橋へ。いままでいくつも沈下橋を見てきたが、ここで初めて立ち寄り渡ってみることにした。ここが、思い出の場所でもあるということもあった。去年の夏、車で旅行中にこの橋を訪れ、今日と同じ場所から写真を撮ったのを強く覚えている。またその時の写真は、このHPのTOPページでも使われている。

休憩所・君が渕にて昼食
いくつも架かる沈下橋
沈下橋

 深木の沈下橋を屋形船を横目に気持ちよく渡り、そして対岸の道を進み、佐田の沈下橋でまた元の道に戻った。 ただの橋ではあるが、でも渡ったことがとても嬉しく感じた。道は狭くなかなか車では渡れないという理由もあったかもしれない。自転車の特権だ。

 この沈下橋で休憩し、のんびりした時間を楽しんだため、すでにもう16時半をまわっていた。曇り空ということもあって、もう暗くなり始めている。この沈下橋を渡ったところに、トイレも東屋(展望小屋?)もある休憩所を発見し、ここを寝床にしようかなとも思ったが、やや廃墟化しあまりに見栄えが悪かったので、この先の佐田休憩所へと行ってみることにした。最悪またここへ戻ってくるつもりで向かったのだが、行ってみると意外にこちらの方が綺麗でよいところだった。やや東屋が小さくテントがはみ出てしまうのが難点だが、さっきよりはましだろう。そう思いここに決め、さっそくHPの更新作業に入った。そしてアクセス数を見てビックリ!以前に徳島新聞に載ったときはそれほど反響がなかっただけに驚いたのだ。よっぽどいい記事を書いてくれたのだろう。ありがとうございました。

深木の沈下橋を渡る
四万十川には屋形船も
青い橋脚の佐田の沈下橋

 とりあえず、写真までをアップして、そのあと夕食と行きたかったのだが、すでに真っ暗・・・ 外灯もなければ月明かりもない。せめてトイレだけでも電灯がついてくれれば嬉しかったのだが、残念ながらそこも真っ暗・・・ 米を炊くのを諦め、簡単な具なしラーメンで済ませたのだが、それでも懐中電灯での食事、なかなか苦労した。そして手探りでテントを設営して、今、懐中電灯の光を頼りに日記を書いている。

 足の疲れがかなりひどい。今日の走行のせいなのか、昨日の峠のせいなのかは分からないが、今日はその疲れを癒すため、早く寝ようと思う。って、いつも早いかも・・・ 寝るのは(汗)

 ~追伸~
 今日の高知新聞の夕刊に私の旅のことを紹介した記事を載せていただいたのだが、記者の方がよっぽどよく書いてくれたおかげなのか、一日のアクセス数が過去最高に達した。まだ私は残念ながらその記事を見ていないので、どのように、どんな感じで書いてくれたのか分からないが、その記事のよさは、このHPにすでに伝わってきている。明日からの旅、ちょっと恥ずかしいが、やっぱり嬉しい♪ありがとうございました。

※ 夕刊のない地区では明日の朝刊に載せていただけるそうです。




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