先に出発準備を終えた関根さんがまずは出発。その30分後位に私も含めたのみんなも出発。ただ、関根さん以外はみんな徒歩のために、ここからはもう一人旅へと戻った。自転車の関根さんとはそのうちに追いつくことを期待しての出発だった。
30分ほど走ると気になる看板を発見した。その”吉良川の町並み”へとちょっと立ち寄ってみることにした。趣きある町並みは続くが、やや不揃いなのが残念だ。でも、江戸、明治、大正とそれぞれの家屋を楽しむことができた。
さらにそこから1時間ほど進むと楽しみにしていた奈半利町へ。ここに中岡慎太郎館があると聞いていたからだ。だが、ここにきてよくよく調べてみると、ここではなく北川村だった。ここから上流へ7kmも上らなければならないのだ。それでも楽しみにしていただけに迷った。奈半利駅へいって、資料館の情報を調べてみようかといったが情報得られず・・・ 最後には結局諦めて、先へと急ぐことにした。
この先にはきつい27番・神峯寺がある。3km以上の長い坂を上っていかなければならないのだ。国道からそれて、上りへと入るが、最初のうちは大した上りでもなく1kmほどは進めたのだが、ここから先、急に坂がきつくなり、ここで自転車を置いていくことにした。このときに、すぐ前の民家の方に声を掛けられ、車庫に自転車を置かせてもらえることが出来た。ありがとうございました。
こうして安心して自転車を置いていき、久しぶりの白衣に身を包み登山開始。何台ものバスや自動車に抜かされながら必死で登っていった。ここは基本的に車道を登っていくことになるので、道中、気を抜いて歩くことが出来る。そのため、この暇な時間を使って、ちょっとお勉強。般若心経の暗記を試みながら登っていった。だいたい1時間ほどかかっただろうか。ようやく神峯寺に到着。その頃にはようやく般若心経の1/5ほど覚えることが出来た。
人で溢れ返っている寺で、いつも通りの参拝を済ませる。このときに、登っていく私の姿をみたかたからなんと選別(御接待)をいただいた。うれしかったっです。ありがとうございました。
こうしてようやく27番・神峯寺の参拝を終えて下山した時にはすでに12時をまわっていた。ちょっと先を急いで自転車をまた漕ぎ出した。次に目指したのは安芸町。あの三菱会社の創始者である岩崎弥太郎の生まれ故郷だ。幕末の人だけに、この弥太郎も私は大好きであるため、この地も楽しみにしてきた。町に入ってまず立ち寄ったのは有名な野良時計。明治20年ごろに自作で作られた時計だという。そして今もしっかりと時を刻んでいる。そして驚いたのは、ここが民家だということ、そして今もなお民家として住まれている。そのため、中のカラクリは見学できない。残念だ。
野良時計のあとは、今も残る武家屋敷を散策。そして、岩崎弥太郎生家へと向かったんだが、ここへは意外に迷ってしまった。なかなか見つからない。この安芸の町、昔ながらの街並みがそのまますべての場所で残っている。そのため、どこも道が狭く、また入り組んでいる。さらに道路工事も重なって、迷いに迷ってしまったのだ。それでも、何人かの方に道を聞きながらなんとか到着。ここも意外に静かなところで、他に観光客はなく、そして建物は無料&無人公開されていた。それは嬉しかったのだが、ただ、資料や説明がないのは寂しかった。
そして、安芸観光の最後は弥太郎の銅像へと向かったが、ここもなかなか見つからない。案内図は所々設置してくれてあるのだが、地図があまりにもアバウトすぎて、近くまでは来ているのだが、見つからない。やっぱり最後は人に聞いてなんとか到着することができた。そんな弥太郎像まえで記念撮影♪こうして安芸の地を後にした。
ここから先は国道を平行して走るサイクリングロードを走り、今日の寝床候補、道の駅・やすへ向かった。この道は快適そのもので、また景色も最高であった。夕日を眺めながらひたすら走る。琴ヶ浜の松林を抜けて、夜須町へ入ったそのとき、驚くべきもの発見!!なんと道が宙に浮いているではないか!!気になって自転車を置いて近くまで散策しにいくと、それは開閉橋であった。それにしても橋とは思えない、まさに普通の道路!それが縦に突っ立っているのだから驚きだ!
こんな発見もしながら、無事に道の駅に到着。そしてここで迎えてくれたのが言葉にならないほど美しい夕焼けであった。そんな夕日を眺めながら今日は一人寂しく夕食を自炊。そしてテントに潜って今、日記を書いている。今日はちょっと冷え込んで寒い・・・