車輪人の人力百名山 車輪人の人力百名山

旅を終えて

このレポートの冒頭にも書いたがこの人力百名山が終えたことで私はようやく最初の旅を終わらせた。日本一周、中部山岳の往復と越えてはきたが、どちらも旅に出る前から目標にしてきたとこで、私の中ではひとつの旅なのである。ただ後に行った中部山岳の往復は本心からしたい旅というよりも人力百名山を終わらせるという意地の旅であった。それだけに日本一周で強く思った「伝える旅」といった自分の趣旨からやや外れてしまう。ただ辛い旅としてしか私には受け止められずに常に山岳旅の後の自分を夢見ての出発であった。しかし、実際にこの日本一周時から引き続く百名山を終えた時、夢は持っても現実へと歩き出す自分に不安を感じぜずにはいられなかった。

多くの旅人が旅を終えて思うことだろう。その旅が夢であり目標であっただけにそれを越えたとき明日の目標を失ってしまう。旅中なら常に明日の自分を計画して歩んでいけたのだが、帰宅した後には明日どうすればいいのか分からない。さらには夢を越えたという自信ばかりが高まり、それ以上のことを次にはしたいという挑戦心ばかり高まるのだが、何をしてよいのか分からず日ばかり重ねてしまう。そんな旅人の話をよく耳にしていた。そして私自身も例外ではない。次にやりたい事はもう日本一周の後半時から溜めに溜めて来たのだが、実際は何から始めてよいのか分からない。さらには帰宅後の雨風凌げ何の不自由も無い生活に堕落してしまう。ゴールしたときの不安がまさに現実となってしまった。甘えである。これではいけないと何度も思いながらも重い腰が上がらない。机にまで立ち向かってもまた横になってしまう。何とも情けない。旅の時の闘志はどこにいった? と自分に投げかけるがすぐにそっぽを向いて現実逃避してしまう。そんな時に思い出すのがあのゴールのときに感じた空の時間であった。普通なら3ヶ月の苦しいたびを終えて喜ばなければならないだろう。いや、そう、あって当たり前であり、そうなりたい。しかし現実は今までのように目標という線路の上を何も迷わず歩いてきた道に終わりを告げ、もう足元には道は何もなくなっていた。どちらに歩んだらよいのか分からない。その先に何が待っているのかも分からない。線路だけを見て必死で走ってきただけに、目の前に広がった道も無い果てしない草原に迷い足を止めてしまった。日本一周を終えたときもそうであったし、この中部山岳の旅はそれ以上だ。旅は私にとって魔物である。社会人のときの旅は現実から離れた新鮮さで溢れ楽しかった。短い時間ではあったが、その限られた時間だからこそ大いに楽しみ悔いも残した。だからこそ次の旅を夢見て仕事へと励んだ。それだからこそ仕事も楽しかった。そして仕事あっての休暇であり旅であった。そのときの旅が懐かしい。できればそんな昔の生活へと戻りたい。そんな思いも強いが、しかしまだこの旅で遣り残したことがあった。「伝える旅」への挑戦である。それが今ようやく日本一周&百名山を終えて挑戦できるというのに何もしないで逃げるわけには行かない。次こそ本番だ。そう自分に言い今闘志を燃やし始めている。無気力な状態は今回の旅後も作ってしまったが、また次への挑戦へ!

 


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