車輪人の人力百名山 車輪人の人力百名山

苦しむ歯痛

旅の継続の危機!それがまさかこんな形で現れようとは思いもしなかった。それは過去味わったことのない歯痛であった。その症状が出始めたのが出発してそれほど日を重ねない八ヶ岳を歩んでいるときであった。神経を刺激する痛みは前歯である。食べ物を口へと運ぶ度にチクチクと脳天へと響く痛み。それが食事中、常に襲い続けるだけに堪ったものではなかった。これはまずいと焦り始めるのだが、しかしこの山旅中で歯医者に行くのは困難に近く、また帰宅するまで何とか乗り切れるだろうと安易に考えていた。それが恐ろしい痛みと変わるとは思いもしなかった…

前回の1年半の日本一周の旅では歯痛には悩まされることは無かった。いや、過去の私の人生で歯痛に顔を歪めた事がない。虫歯こそ多々あるが、どれも沁みる程度で治療していたために大事には至らなかった。この最初の神経の痛みが私の初の歯痛とも言えた。しかしこの旅の出発前に歯の治療をしていた。日本一周時に作った小さな虫歯を一掃し万全の体制での新たな旅の出発であったのだが早々にこれとは…  確かに水も自由に手に入らない山間だけに不摂生をしていた。それが直に響いたのかと悔やんだ。しかし今さら遅く、せめてこれ以上酷くならない事だけを願いその後は歯だけは真剣に付き合った。またそのお陰なのかその後しばらく歯痛は小康状態を保った。

その後再度、歯が悲鳴を上げたは、あれから一月近くたった帰路に入った時であった。出会いから朝日岳小屋でお世話になっているときにその痛みは再発した。久しぶりの肉、久しぶりの酒を思う存分にご馳走になった翌朝、歯のズキズキする痛みで目覚めた。慌ててとりあえず歯を磨こうと走るが、慎重に歯を磨くその手は痛みが走るためになでる様にしか磨けない。さすがにやばいと焦り冷や汗さえかいたが、幸いそれ以上に悪化することもなく、何となく痛いと感じる程度まですぐに落ち着いた。そして何事もなく1週間近くたった。ちょうど北アルプスは爺ヶ岳あたりを歩いているときである。もう歯の痛みを忘れかけていた頃に再び再発し痛みは一気に頂点に達した。悲鳴を上げたのは先ほど同様に前歯の隣の歯。朝まではなんともなかったのに日が昇るとともにズキズキとした痛みが顔中に広がり始めた。一歩足を踏み出す振動ですら痛みへと変わるだけに話すことすらままならない。痛みに耐え続けているだけに顔は歪み、山の楽しみのひとつである出会う登山者達との会話からも逃げる始末である。もう焦るというよりも痛くて痛くて堪らない。行動食ひとつ口へと運ぶものなら飛び跳ねるほどの激痛であった。いや、実際にあまりの痛みに飛び跳ねた。そして辺りの目を気にする余裕すらなく唸りながらうごめいた。口を動かすことも出来ずによだれさえ垂らしていた。過去のどんな怪我の痛みよりも痛い脳天を貫く激痛に山行どころではなかった。ペンチでもあろうものなら力ずくでもって歯を引っこ抜こうとさえ考えた。絶えられない痛みにその方がどれほど楽だろうかと本気に思った。結局その日は何も食べれずに昼を過ごし、さらには痛みに耐えるあまり何度も岩に寄りかかりながら堪え歩いた。そしてもうこの時には明日の下山を決意していた。それは旅の中断を意味していた。8月28日のことであった。

夜は出会った登山者から頂いた解熱剤のお陰だろうか幾分は落ち着き食事をなんとかとることができた。それでももうこの痛みは味わいたくなく下山を決意していたのだが明日は日曜日だけに下りたところで歯医者はどこも休診日。電話まで借りていろいろ問い合わせて見たが絶望的であった。さらにもう一日旅を遅らせることも考えたが、数日後には山での友人との再開を約束していたために遅らせる訳にはいかなかった。仕方なく薬で散らしながら翌日も山道を歩んだ。こんな事なら北アルプスへと入る前に歯医者へと行っておけばと何度も後悔しながらの道程であった。また、外傷のないという内部だけという歯の痛みが腑に落ちない。出発前の治療のミスではないかとさえ考え始めた。そう思うと歯の痛みに悔しさまで加わりより顔を顰めさせた。

右の写真。帰宅後見て驚いた。人相が変わり自分とは思えない。歯痛の為に上唇から腫れ上がり、さらには右頬を襲い、そして目元まで続いている。痛みはなんとか薬で散らしてはいるがその腫れ方はもう尋常ではなかった。過去、歯痛に苦しめられたことないだけに、 こうした顔面の腫れは漫画の世界だけだと思っていた。しかし今の自分はもうその世界の人のようだ。そんな自分のこの顔が可笑しく感じた。しかしその笑いも顔は引きつり苦笑いへと変わる。痛いどころではない。しかし、この痛みはその後、薬のお陰か徐々に治まり始めた。先の友人に持ってきてもらった歯の塗り薬がまたよく効いてくれた。一週間もたてばもう腫れもすっかり引き、痛みさえも感じないほどまでになり、そのまま予定外の下山することなく歯を持たせて治療はその後2週間以上も経った木曽福島の町で行った。9月17日のことであった。ちなみにこの頃になると痛みはほとんど消えていた。薬を塗り忘れても痛みは再発することも無く神経は完全に死んでしまっているようであった。それを物語り、治療では麻酔なして歯を削ろうとも何も感じない。結局この原因は先の治療からきており神経を抜かずに前歯を治療した歯が内より悪化し神経を蝕んだ結果だそうだ。ただ、こればかりは分からないそうだ。歯医者の好意で神経を抜かずに治療したのが悪目にでてしまった結果であり決して治療ミスではないそうだ。お世話になったこの木曽福島の歯医者の方に疑う私を必死で和ませてくれた。そして私にも落ち度があったことも知った。普通は神経まで病根が達しているかどうかをしばらく日を置いて観察しながら治療するそうなのだが、私は先の治療で出発の日が迫っていただけに急いでもらった。時間を置くことを許さなかった。それがこうした悪目、悪目へとでてしまいこうした結果を生んでしまったのだろう。

ちなみにこの木曽福島の治療では応急処置にとどまり、1回切りでは完治までは持っていかなかった。歯の裏より神経までの大穴を空けて蝕み腐った神経の清掃をして終わった。そしてその後、痛むことはもう無く残りの旅を無事に終えることができた。今振り返れば、またひとつの私の中の旅のドラマであり、ドラマであるだけにいい思い出と変わったが、もうあの痛みだけは経験したくないものである。歯痛がこれほど辛いものとは…

 


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