熊という言葉をこの旅最初に耳にしたのは7月22日。三つ峠から笹子峠へと抜けたときであった。まだ出発して間もない時期で身体を襲う疲労に必死で耐えているときである。それだけに一歩一歩が常に真剣であった。気力で歩き続けている状態の中で、ようやくひとつの難関を終えて林道へと下り降りた時にその声を聞いた。
「兄ちゃんひとりかい?勇気あるね~ 熊に出会わなかったかい?」
「とても俺じゃ怖くて無理だよ!」
そうした工事のおじちゃん達の言葉が谷にこだました。私の疲れきった身体には刺激が強すぎるほどの威勢のよい口調で、受け止めるほどの元気もなく耳をかすめていった。そして愛想笑いのような笑みを浮かべ答えるのがやっとであった。それが私の熊という言葉を聴いた最初であった。しかしその後も出発前と同様に熊に対してはそれほど気にもとめなかった。歩くという行為だけでもう頭がいっぱいであったということもあり、また熊に対しての甘い気持ちも重なっていた。
「熊」、私はこの動物に対し怖いというイメージは薄い。昔から家で犬や鳥などの動物を飼っていたせいなのか、大きな熊に対しても同様なイメージを作っている。ただ大きいだけで分かち合えば分かるだろう。たとえバッタリと熊に遭遇しようとも襲われようとも、激しくやられる事はないだろうと。熊も危害の加えない人であると肌で感じてくれるだろうと鷹をくくっている。だからこそ恐怖心はなく、逆に一度くらいはお目にかかってみたいと思うほどであった。しかし、もちろんそう簡単に出会えるわけは無い。多くの登山者が山を訪れるが熊に出会うのは稀である。それでも旅中で登山者からや工事現場で熊遭遇談を幾度となく耳にした。しかし何十と聞いても襲われたという話は皆無であった。テレビで時たま目にするほどでしかない。自分にとってはまるで宝くじと変わらない存在であった。さらには死に至るなどの事故は宝くじの一等に近い別世界。そんな思いも熊を楽観視している。
そうした思いが熊避けも鈴も付けずに歩み続ける結果となったが、しかし徐々に変わってゆくことになった。それはラジオから流れる熊被害の報に始まる。毎日流れているかと思うほどに多重するその音にさすがに敏感になり、さらに熊に対する意識を変え始めたのがHPから送られる声であった。熊の事故がある度に「気をつけてください!」、「鈴をしっかりと!」などの言葉が送られてきた。それも私のことを親身になって思ってくれていることが伝わってくるだけに、その心配の言葉と熊に対する恐怖感はそのまま私に浸透した。先に述べた固定観念こそ変わらないものの、しかしその声のあまりの多さに熊対策をしていない私は大きな犯罪を犯しているような罪悪感を感じ慌てた。しかし山旅だけに鈴を買える機会は少ない。山小屋で目にしてもすでに旅は中盤を過ぎていただけに今さらと躊躇してしまう。しかしまた歩み始める度に後悔と罪悪感が襲った。熊が怖いというよりも心配の声に答えていない自分にである。さらにはこれで熊に襲われでもしたら、「なぜあんなに注意したのに鈴を?!」、という避難の声を恐れた。しかし実際の熊に対しては相変わらずであった。
こうして結局は最後まで鈴を付けなかった山行。しかしそんな私でも何度か熊に怯える場面もあった。誰もいないはずの山道。藪の中を掻き分けるその音に何度も驚き足を止めた。そして熊に自分が居る事を気付かせようと意味の無い言葉をあげた。ただ、もし人だったら恥ずかしいという思いが消えないだけに意味のない言葉ではあるが訳の分からない言葉はあげない。「はぁ、はぁ、」と高く息を切らせて見たり、「ふぅぅ~、」と深呼吸しながら大きく声を上げてみる程度である。しかし、その音に藪を進む音が途切れたときには冷や汗を流した。向こうも警戒していることがピリピリと肌へと伝わってくる。どんな動物かは分からないが、もうその場から遠ざかることしか頭にはなく息を必要以上に切らせながら先を急いだ。何だかんだ言ってもやはり熊は怖い。
また実際に熊に出会ったこともあった。それは旅も終盤となった10月1日のことであった。何となく嫌な感じの漂う南アルプスの深い山の中を歩いている時であった。突然、「ざわざわざわ!」と山が音を上げた。何事かと見回すと、100mほど眼下の藪の中を黒い物体が横切っていた。かなり慌てているのが伝わる走り様であり、見下ろす私は恐怖感というよりもその姿が可笑しく思え、また驚かした熊だろう黒い物体に申し訳なくも感じた。これが私が始めて見た熊だろう動物との目撃であり、その後はもう出会うこともなく無事に旅を終えた。ホッとしたような、ちょっとがっかりの様は不思議な気持ちである。怖いとは思いながらも怖いもの見たさという好奇心は消えない。
長い3ヶ月という山旅。鈴を付けなかったことは心配してくださった沢山の方々の思いを裏切ったようで、その罪悪感は常に胸に引っかかりこうして熊に対する記を書くに至った。旅を終えた今、鈴を付けなかったことを後悔しながらも、逆に付けないことで静かな山の姿を感じれたことがよかったとも思う複雑な心境である。そして今後もこの両者の気持ちの格闘は終わりそうにもない。ただ鳴らして歩かないまでも、嫌な雰囲気を感じたときにいつでも取り出せるようザックに鈴を忍ばせておこうと思う。複雑な気持ちを噛み締めながら…