車輪人の人力百名山 車輪人の人力百名山

最初の山

何とかなるだろう… そんな思いがるだけに不安も大きい出発の時であった。過去、歩き旅をしたことなく初挑戦であるというのに、いきなりの中部山岳の往復である。自転車で日本一周した時とは勝手が違う。それでも、日本一周が出来たようにこの旅も体力と言うよりも進もうという根気さえあれば成し遂げられると自分を後押しした。しかしこの後押しが自分を甘えさせることにもなり、結局出発まで一度も体力トレーニングへと出なかった。歩くことすらしていない。しなければいけないと思いながらも、何とかなるだろうと言う気持ちがあり、さらには目的もなくただ歩くというのは自分にとって退屈すぎた。そうした行為が面倒でもあった。私は歩いたり運動したりすることが好きとは違う。いやどちらかと言えば嫌いかもしれない。こうした旅をしているだけに説得力がないだろうが運動は基本的に自分からしたくはない。ただ旅が好きなのだ。その旅の延長上にあったのが歩くということであった。歩くことで見えなかった土地の風を感じることができたからだ。旅への思いが歩くことへと踏み切らせただけに、あえてその予行の為に運動しようとは思わなかった。結局一歩も歩くことなくこうしてスタート地点である太平洋は駿河湾の地に立つことになった。

背負う80Lザックはこの旅の為に新調した。しかしこれも今日初めて背負う品物だ。これで歩くと言うことはどんなものか知らない。全て未知の世界であり、未知だからこそ踏み入れるときの高鳴る胸のドキドキがある。この不安を乗り越えたときこそ喜びも増すのだが、しかし実際は容易ではない。未知へと飛び込むことは無謀なこととも言えた。肩に食い込むベルト。足にかかる重み。額を流れる汗。どれもこれも予想以上に自分に襲い掛かり出発早々に後悔へと変わる。練習しておけばよかったと… しかし今さら遅く今まで感じたことの無い歩道歩きという未知の苦痛に変わっていった。この先自分がどうなるか、今日目的地まで無事に辿り付けるのか、明日も歩けるのか、すべてが未知であった。1kmという距離が途方もなく遠く感じた。どんなに歩いても振り返れば目に見えるほどしか進んでいない。襲う疲労。もう何度も今日はもうここで終わりにしようと、予定を変更し途中で終わらせようとした。実際にもう限界なのだ。足がでない。しかし、そんな状態でも足を引きずってでも歩んだ。初日から自分に負けていては到底旅を完結させることはできないだろうと自分に鞭を打った。さらにはトレーニングもしてこなかった自分だけに、「そんな舐めて掛かるから無理なのも当たり前だ!」と思われるのが怖かった。意地でも予定までは進みたい。胸張って旅を終わらせたいために初日から妥協する訳にはいかず無我夢中で歩いた。それが最初の思いであり、またその後もこの思いは終始続いた。2日目の富士5合目までの登りでは疲労は胃までも襲い吐き気まで催すほどであった。それでも歩き続けた。全ては今まで怠けてきたからこその意地であった。結局この身体を蝕むほどの戦いはその後一週間ほど続いた。歩くと言う未知の世界の壁は、最後まで旅を歩き通せるという自身がつくこの時期まで立ちはだかった。そして越えたとき初めて歩くという楽しさを感じ始め、そしてその時に追い詰められた黒い狭い視界から解き放された開放感をおぼえた。

最初の難関であったこの富士山。小さい頃から眺め親しんできたこの日本一の山はやはり自分にとっていつも一番であった。海から一気に登る標高差も一番。その苦しめられ方も一番。それでいて一番好きな山でもある。さらには一番思い出深い山でもあった。登る山ではなく見て楽しむ山だと言う人は多いが、私は眺めていたいし登りもしたい常に憧れの山がこの富士山である。 もちろん今もその気持ちは変わらない。

  (写真は富士山頂より駿河湾を望む)

 


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