車輪人の自転車日本一周・登山の旅 車輪人の自転車日本一周・登山の旅

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旅の姿(登山編)


~ 私の登山 ~

旅で辛かった事、PCでの日記更新の他にもうひとつ。登山。登山ではとくに登山口まで果てしなく続く坂道に苦しめられ体力を奪い、そして涙した。人力で百名山を目指したため、一切、動力を使わずに上る。登山は楽しいが、登山口までの自転車でのアプローチが辛い工程であった。



登山

 100名山。旅の動機にも書いてあると思うが、これもPCと同様に自分のケジメからのスタートであった。そして旅を終えた今もケジメとして残りの20山の登頂を目指している。「登らなければならない。」、それが自分が旅に課した仕事であった。

登山の始め

どうしてこんな辛いことを始めたのだろうか、自分でもそれが疑問に思うときがある。いや、未だに正確な答えを出すことは出来ないが、辛いからこそ始めたのだろうと今は思っている。

自分の学生時代、とても運動についていけるような身体ではなかった。別に虚弱体質と言うわけでもなく、いたって健康であったのだが、しかし、成長が遅く、人よりも一回りも二回りも身体が小さかった。今では171cmと決して小さくはないが、しかし、これでも小中学校、さらには高校2年まではクラスで、さらには学年を通しても一番背が小さかった。朝礼では前に手を伸ばしたことはもちろんない、いつも腰に手を当てたあの一番前の姿である。それが高校2年まで続いた。そんな身体だから当然運動は全て×。ボールを投げても、短距離も長距離も、さらには水泳、サッカーなにをやってもダメである。体育の時間ほど嫌いなものはなかった。それが為に学校にも行きたくないほどであった・・・

そんな私に成長期が訪れ背が今の様に延びたのが高校2年の時だった。しかし、遅すぎた。とても他の人に混じって運動をするという身体ではない。小学生の様な小ささで高校を入学した私。もちろん選んだのは文化部であった。選択の余地はなかった。それほど小さかった。そしてそれが自分のコンプレックスとなっていった。

社会に出てからもそのコンプレックスは変わらない。身長171cm。体重48kg。そんな痩せた身体が嫌いで仕方がない。しかし、鍛えるにしてもそれが恥ずかしかった。出来ずにいた。また運動という未知の世界へと踏み出していくのが怖かった。しかし、それを一変したのが山との出会いであった。地元の山であり、また日本一の山でもある富士山との出会い。一度だけでもあの頂へ!そんな思いが募り挑戦してみたのが始まりだ。そして、そして私でもやれば出来る。そんな自信から、身体を動かすこと、汗を流すことの楽しさをしった。それが登山の始まりであった。


旅の100名山

自転車日本一周。どうせやるなら人がやってないことを!好きな仕事を辞めてまで出るこの旅を、自分なりに身になる旅にしたい。そして遊びにはしたくない。そんな時に浮かんだのが、上記のHPでの日記公開と、100名山の人力登頂であった。体力はないが、しかし、時間と根気さえあれば私でもやり遂げられるのではないか、そんな思いで登りはじめた。それがこの旅の100名山だ。そしてこれが旅のよいケジメ、目標となった。日本一周が目標ではない。百名山で精神力、体力を鍛えることが自分の目標となった。今までは挑むことの出来なかった、そして言い換えれば逃げてきた運動、そしてその辛さを感じたい、乗り越えたい、そんな思いで1山、1山であった。

日本一周の旅を終えた今、100名山の内、20山が残ってる。自分で100名山登ると決めたからには今年も残りの20山に挑戦しようと思っている。これが自分にとってのケジメであり、また旅であった。「登らなければならないのだ!」



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