基本的にテントを張っての野宿でした。場所は私の場合は道の駅や公園などの公共機関が多い。また安いキャンプ場があればそちらへと入るが、しかし本州の場合はほとんどなく、数千円するところまであり、寝床には悩まされました。また都心部では道の駅もなく、河川敷公園や、運動公園が多かった。ただ、北海道は例外で、無料キャンプ場が多く、またRH(ライダーハウス)という500円前後で泊まれる所が多々あり寝床には困らなかった。 ちなみにこの寝床に関しても人それぞれ、私の場合は上記に書いた通りだが、人によっては駅寝が中心という人もいれば、バス停、砂浜が多いという人もいる。また学校や役所でというひともいた。詳しくは下記で紹介して行きたいと思う。
ここでは私が旅の中で使用してきた野宿場所を紹介していきたいと思う。ただこれらは私の考え方、また旅の中での習慣で生まれた野宿場所探しと言うこともあるので、参考までにしていただければ嬉しいです。
さて、野宿場所探し、これが旅の中で一番大変であり、また不安になるところだと思う。私のこの旅を始めるまで野宿という物をしたことがない。ただ、スキーや車旅行で車中泊というのを何度も今までにやってきていたためにそれほど抵抗はなかった。ただ車がテントになっただけである。そう楽天的に考えている自分もいたが、でも、やはり日々不安に襲われ続けていた。今日の寝場所は・・・ 午後にもなればもう自転車を漕いでいても観光していても、頭の中は寝床のことばかり、日が傾き始めたものなら、もう観光所ではなく不安の中で押しつぶされそうになることが多々あった。しかし、探すしかない。闇ともなれば探すのにはさらに困難にもなる。また、暗闇の危険な走行は極力避けたい。そんな思いがあるからこそ余計に不安が募るばかりの毎日の夕方の時間であった。
そんな毎日の寝床探し、それらをポイントと防犯対策、そして場所を紹介していこうと思う。
以上な順で私は気にしながら常に野宿場所を探していました。
1年半の旅の中で、怖い目にあった、襲われた、盗まれたといったことは一度もありません。それだけ治安がよいということですね。ただカラスに襲われたことは何度か・・・ ビニール袋は特に注意!目に見えるところで使うのは厳禁!目を離したすきに食べ物はもちろん、ビニール袋内にカッパ、寝袋等入れていたものなら、全て穴を開けてしまいます。ご注意を!
それら事故しかありませんでしたが、でもやっぱり自分の防犯対策には注意を!たとえば公園、そこの治安を直に表しているのがトイレや東屋。缶スプレーでの落書きされているところは避けた方がいいのはもちろん、また、汚れた東屋も同様だ。また散歩している人などに治安を聞くのも良い手である。 最後に人に不安を与えてしまうのも野宿の不安なところ。私の場合は自転車をよく見えるところに置き、人に自転車旅していることを示していました。またさらには、自転車に「日本一周」と書かれたプレートを付け、それをとくに道路側に見えるように置いていました。
「寝泊まりはどおしているの?」、そんな質問をされることが旅中で一番多かった。 「基本時には公園などで野宿して旅しています。」、そう答えるのだが、その答えには反応は様々で、「えっ!ほんとに!そんなとこで野宿できるの?怖くない?」と、あまりの信じられなさに驚きを示す人もいれば、そりゃそうだろう、と確認するようにうなずく人もいる。どちらも私にとっては旅というものに感心を持ってくれたことが嬉しいが、でも、これが辛く感じることがある。それは、驚きを示しながら「哀れだな、可哀想だな、辛いだろうに・・・」そんな言葉や表情を掛けられた時だ。自分はこの旅に対し、自分でそんな風に思った事はない。好きでやっていることであり、確かに辛いとき、悲しいときなど多々あるが、しかしそれを楽しみ、ある意味それを求めて旅をしているといっても過言でないほどだ。それがあるからこそ旅、そして人は楽しいのだと思う。辛さを乗り越えたときのあの嬉しさは今もわすれない・・・
こうした言葉の延長で「よかったら泊まっていく?」、そう声掛けてくれた事が何度もあった。その言葉の元が、可哀想、哀れだから、そこから生まれ出た言葉。そんなところから湧く言葉は私には辛く、また、その方も、実際は快く泊まってもらいたいと言うよりも、仕方なく可哀想だから、そんな思いが言葉に自然と現れ私にも浸透する。そしてこんなときに返す言葉は、「ありがとうございます、でも・・・」、と掛けて頂いた言葉に感謝しながらもお断りしてしまう。”泊めてあげてあげる”という雰囲気が辛く、そこまでして人様に世話になり迷惑かけたくない。人に迷惑掛けるために旅をしている訳ではない。そんな思いから断ってしまうことが何度もあった。しかし、その見極めが難しく複雑だ。自分自身でもせっかくの気持ちをと心を痛め、また日々安心して眠れるところを求めているだけに辛い選択である。、また、その人が実際に”可哀想だから”そんな思いから誘っているとも限らない。「いろんな旅の話を聞いてみたい、旅の世界を知りたい、触れたい、そして旅の一員になりたい。」そんな思いから声掛けてくれる人も多く、そんな方には理由が無い限り断りたくない。実際に一度前者の思いから断りながらも、何度も「是非!」と誘ってくれ、逆に話を聞きたい、そんな思いを感じお世話になった事が何度もあった。
人の家にお世話になる。嬉しくもあり大変だとも言う人もいる。寝床場所でいつも悩まされ、不安な夜を過ごす毎日、それから見れば温かい布団、料理、そして人との温もり、これほど旅の中で救われる場所はない。逆にその大変さとは、旅で出会ったとはいえ最後にはあかの他人というこから生まれる辛さである。気を使うのはもちろん、自分の落ち着く場所、安らぎの場所が得られないということもある。野宿ではテントの中に入ってしまえばそこには自分の空間が出来、自分の時間が持てる。自転車走行中はいろんな人から応援されたり、また「がんばれ!」そんな言葉や視線を常に受けている。また時には「なんだあの人は・・・」そんな不快な目で見る視線をも常に受け、また避けられない野外と言う空間で自転車を走らせている。こうした自分自身の落ち着いた時間が意外にないことに自分自身最初戸惑った。そんなときの夜のテントの時間。これが唯一の自分の時間であり、自分の家でもあり、落ち着くところであった。しかし、人にお世話になることによりそうした自分の時間が無くなってしまうこと、そして、常に人の気を使いながら、顔色を窺いながら人にお世話になることが辛く感じることもある。こんなマイナス面もあり、旅に出会った人の中では「大変だね~」と言われたこともある。しかし、「羨ましい・・・」そう言う人がほとんどで、実際に人にお世話になることで、先ほどにも書いたとおり、温かい布団、料理、そして人との温もりがどれだけ旅中には嬉しいか、またその土地の文化、習慣、歴史に触れられるのも嬉しく勉強になる。そして逆に、その家族も「是非!」と誘ってくれただけに、旅の話しに興味を持ち、また旅の時間を共有出来ることを楽しんでくれている。そんな決して忘れることのない出逢いがお互いの宝物となるのが旅の喜びだ。