昨日の予定通り、今日は”小笠山~高天神城~御前崎”へ行くため早起きしようとしたが、起きたのはちょっと遅く8時30分頃だった。準備をし出発した頃にはすでに時計は10時を示していた。
すでに何度か自転車で渡った天竜川を越え、磐田台地を抜けて袋井市街へ。袋井駅を横目に抜けて、小笠山へと続く道へ入る。途中に遠州では有名な「法多山(尊永寺)」を横目に抜ける。立ち寄りたかったが毎年お正月の初詣に行っているので今回はパスした。法多山を過ぎ少し下ると、そこから本格的な上りとなる。上りといっても山自体の標高はたいしたことがないため、そう長くは続かない。それほど難なく登り切ることが出来たが、敵は暑さになりつつあることを感じた。ちなみに標高は山頂で264mだ。
登り切る手前位で、小笠神社入り口という看板が目に入った。山頂に神社があるようだ。距離は0.8kmとそれほど遠くない。ここまで登ったら山頂に立ちたい。また、どんな神社なんだろうと思ってしまい、そう思ったら登らずにはいられない。駐車場もないので路肩に自転車を止めていざ山頂へ。出だしは急な登りだが、すぐに尾根に出てあとは尾瀬伝いのほぼ平らな山道をいく。思っていたよりも有名なところなのだろうか、道は予想以上に整備されていて、道中に水道(飲用不可)やトイレやベンチなんかも設置されていた。とても歩きやすい。10分ほど歩くと、どうやら山頂らしき展望台があり、そこからは掛川市街を望むことができ気持ちよかった。どうやら神社まではココより少し下るようだ。
途中に徳川軍の本陣跡なる碑があり、そこには「1569年 掛川合戦の時の家康本陣址」 「1579年 高天神城包囲のための陣址」と二つの事柄が書かれていた。ここは合戦上重要な位置をしめているらしい。そこを越えるとすぐに神社があった。どうやら私は正道からではなく裏から登ってきたようで、神社の正面には反対側へと下る立派な階段が並んでいた。神社にはビジターセンターが隣接され夏季には合宿等で賑わっているようだ。人も訪れることも少ないひっそりとした神社を予想していた私はあまりの立派さにビックリした。さっそく今回も日本一周の旅の成功を祈り、神社を後にした。その後、帰宅してから小笠神社について調べてみると、なんと1300年の歴史があり、また展望は遠州灘そして富士山まで望めるらしかったが、残念ながら今回は望むことが出来なかった。
予定外の小笠神社に立ち寄ったために時間的に御前崎まではきつくなってしまった。まあ、もともとかなり厳しい道のりだはあったが・・・ いけるとこまでは行こうと思い先へと自転車を走らせた。次の目的地は高天神城址だ。小笠山を気持ちよく下り、大東町へと入る。実は今日地図を忘れてしまい城の詳しい場所が分からない。看板がでてるだろうと探しながら行くがなかなか見つからずどんどん市街へと下っていった。心配になりながらも走っていると右前方に少し張り出した立派な山が見えた。「おぉ、もしかして。あれでは・・・」と思い近づくと案の定、まさしくその山へと通じる高天神城へという看板があった。帰宅後調べてみると「鶴翁山」と言う名で標高132m。
高天神城までの上りは、上りと言うほどでもなく丘という程度の上りで駐車場へ着くことが出来た。10台ほどが駐車できるほどのスペースで綺麗なトイレも設置されていた。さっそく自転車を置き、高天神城へと登る。ここも10分ほど登っただろうか西の丸跡に到着。天神神社が建てられていた。ここでも旅の成功を祈った。本丸跡はここから東に位置するのだろうか。本丸跡へと登り返す。本丸跡はもちろん山頂の位置にあり、やや広々とした空き地になっていた。その少し奧には高天神社跡と書かれた地に小さな祠が建っていた。元々はこちらに神社があったのだろうか。そのことに詳しく書かれた看板はなかった。
実は今回、高天神城を訪れるにあたって、ぜひ見たいと思っていたのがあった。それは戦国武将・大河内が幽閉された石牢跡だ。この人物について詳しく述べたいのだが、長くなるので止めておく。詳しくは写真に説明文も見て下さい。その石牢は反対側へ少し下った所にあった。実際に現存されている物なんだろうか、そこだけ綺麗に残されていてた。石牢の中は思っていたより広く1畳位の広さだろうか、石の壁で覆われていた。そこを最後に見学して高天神城を後にした。
高天神城を下って、国道150号から御前崎を目指そうと走ったが、案内板の御前崎までの距離を見て断念した。昨日も書いたが今晩、友達の飲みに行くため待ち合わせをしている。時間は5時30分だ。御前崎にいっていたらとても間に合いそうもないので、御前崎を断念して帰路に向かうことにした。帰路は出発前から決めていた「浜松御前崎自転車道」を利用する。海岸沿いの道で気持ちがよさそうだ。
予想通り、自転車道は快適そのものだった。何も書かなくても写真を見てもらえば、その快適さが伺えるだろう。いくつも自転車専用の立派な橋が架けられていた。ただ残念だったのが、砂浜の砂が自転車道まで覆われてしまっている場所があり、砂に埋まってしまいとても走れる状態ではなく押してもきつく苦戦した。そんな場所が何カ所かあり残念だった。ただ、砂の撤去作業も進められていて、自転車道はしっかりと守られていた。
福田町から自転車道をはなれ、磐田市内の友人宅へとお邪魔した。シャワーを借りたあとは、待ち合わせ場所でみんなと合流して、久しぶりに飲みに行き楽しんだ。その後は友人宅でさらに飲み直し、朝方ようやく眠りについた・・・