518日目。1年5ヶ月の旅の最後の朝。地元は浜松城公園のベンチで私を含めて4人で迎えた。最後の朝だけに最高の目覚めだ!そう書きたいところなのだが、最後の朝は波乱であった。5時過ぎの遅い遅い就寝で倒れるように眠りについたのはよいが、それからそれほど間を置くことのない6時前、まだ日が昇る前の真っ暗闇である。そんな中、「あら、おはようございます~!元気~!」、と朝から威勢の良い元気な声を上げておばちゃん達がやってきた。それも何人もである。すぐ隣のベンチで雑談を始めて、あまりのうるささに寝袋にすっぽり終始潜り込み実際の人数は分からないが、かなりの人数であっただろう事は話し声の盛り上がりで分かった。何が起ころうのだろう、ここに寝ていて大丈夫かと不安が高まりつつある中、今度は6時、一斉にサイレンが鳴り響き木霊しあった。その音量もすさまじく、さらに、今度はスピーカーより下品なほどの音量で番組が流れ出す。もうとても寝ていられる状態ではなく、何度も逃げようとしたが、しかし、起きたら起きたで、そんなおばちゃん軍団に呼び止められ、いろいろ聞いてくるのは目に見えている。すでに3台の自転車を見て、どこから来たんだろう?など話し合って話はさらに加速していた。この朝の騒がしさ、日曜の公園の朝だけに何か早朝イベントがあるのかと不安はどんどん高まっていったが、しかし、最後ラジオ体操の曲へと変わったところで一安心。体操が終わると共に先ほどの騒がしさが嘘の様に静けさを取り戻し、この後、また寝りにつき9時頃まで寝ていたのだが、しかし、変に1度目覚めてしまったために完全に寝ることは出来ず、ウトウトした状態の浅い眠りであった。
そんな騒々しい朝であり、私の他、ねこさん、そしてセガッツさんも騒音の為に目覚め苦しめられたそうだが、しかし、ただ一人、桑田さんだけはそんな中でも爆睡していて気付かなかったというから驚きだ!みなそれぞれ9時頃に起床し、そして片付け、簡単に朝食をとっていると、あっという間に今日の最後のイベント「共にゴールへ」の集合時間となってしまう。いくらここ浜松城公園が待ち合わせ場所であるといっても、もっと分かりやすい場所へと移動した方がよいかと焦りながら片付けを進めていると、もう続々とここベンチ前へと集まりだした。そして自然と、ここ私達の寝床が集合場所となり、10時、昨日以上の大勢のメンバーが集まってくれた。ここでそんな今朝来てくれたメンバーを紹介しよう。518日の最後の旅を共に歩むこのHPの主役達である。ただ、共に歩んでいてくれているメンバーのたくさんの中の極一部であり、来れなかった方々もみんなみんな主役である。 そんなたくさんの方々がこのHPへと実際に参加してくれての最後の旅である。ただ、今朝も昨日に引き続き、いや、昨日以上に会話が盛り上がってしまい、出発よりもそこで団欒の時間であっという間に流れていった。そして私の方も慌ただしく、久しぶりの再開を喜び合うと共に、先日お願いした各新聞社(中日新聞さん、静岡新聞さん)の取材を受け、みんなで写真撮影。これにも私も含めてみんなで写真を撮ったので時間が掛かってしまった。しかし、みんなでそうやってワイワイ騒ぐ時間がほんとうに楽しくて溜まらない。1年半、たくさんの人に知り合い、さらにはHPを通して共に旅をしてきたが、でも、やっぱり一人旅。家にお世話になったりしても、やっぱり一人旅へと戻らなければならない。どんなに繋がってはいてもやはり”孤独”という言葉は離れずにいた分、こうした賑わいが嬉しく、さらにはこのまま自宅へと帰るために夜には家族が待っている。いや、今夜だけではない、家に帰れるのだからずっとである。孤独という言葉がすでに終止符を打たれていることに笑みをこぼしながら、今日の11時過ぎに浜松城出発であった。
自宅までの約10kmの道のり。私の場合は普段から観光や登山で歩いているため長くも感じない距離であるが、しかし他のほとんどの方は学生以来の長い長い道のりかもしれない距離。いや、そこまで歩いたことのない人もいるかもしれない。人それぞれ、いろんな思いを乗せての10kmの道のりではあるが、でも、そんなみんなの共通している部分は笑顔であった。心からの笑み、ずっと忘れることのないみんなの笑顔と共に、今日歩き続けた。そして自分も常に笑みで溢れ、そして、みんなでいることの楽しさ、さらには帰路の喜びを外にあふれ出していた。生まれ育った浜北市へと入る頃には、辺りは小さい頃から遊んだ川や山が目の前に飛び込み、さらに故郷ということを実感し、もう頭には自分の家が目の前に浮かび上がる。そして門前には家族だ。考えただけでも喜びが沸き起こるのだが、それ以上に緊張も同様に高まる。親や家族に会うのが照れくさく恥ずかしいからだろうか、自分でもよく分からないが、胸が苦しいほど家が近づくにつれ緊張が高まっていた。最後は喜びよりも緊張の方が大きく、どんな顔であったらいいのか、なんて最初声を掛けたらよいのか、何ももう思い浮かばない。言葉を失ったまま家は近づいていった。
団地へと路地を越え入っていき、もう最後の交差点だ。ここを曲がれば我が家が見える。変わらぬ風景、そして家が迎えてくれるだろうか、家族は元気だろうか、どうしているだろうか、そして旅の終わりを告げる我が家である。喜び、不安、そして緊張入り乱れる中、もう自分はパニック状態、今振り返ると空白の時間であったとも思うほどである。しかし、旅の最後、路地を曲がり家が見たとき、そして家族が玄関先に見えたとき、その目に飛び込んだ景色は今もハッキリと焼き付いている。忘れることはないだろう。お母さん、兄、兄嫁、妹、そして姪っ子、家族みんなが家まで満面の笑みで手を振り迎えてくれた姿、その時、自分はもう何を思い、そしてどんな顔をしていたのかも自分で思い出せない。ただ、嬉しさ、恥ずかしさ、そして安堵感、達成感、全てが込み上げる中、最後の一歩は家族が支えるゴールテープを切ることであった。生まれて初めて切るテープではないだろうか、運動は苦手でどんな競争でもいっつもビリを必至に走り、せめて集団には遅れまいとただがむしゃらに掛けた少年時代からは考えられない自分であり今日である。この一歩がただのゴールでなく、新しい自分のスタートである、そう心に強く刻み込んでの一歩であった。その布テープには今日あつまったみんなが寄せ書きしてくれた言葉がビッシリと書かれていた。
この後は感動よりもひたすら驚きの連続であった。今こうして振り返り書いている自分の方が終えたことをしみじみと感じ感動しているかもしれない。もう、この時は全てが自分にとって始めての経験で、そしてたくさんの人達に見守られ、そんな馴れない自分に緊張し、また戸惑い、流れるままに流されたと言ってもよいほど、自分はある意味パニクっていたといってもよい。親から生まれて初めての自分が埋まるほどの大きな花束を受け取り、そしてほぼゴールと同時にたくさんの手紙も届いた。今日という日を見計らって出してくれた方が多く電報も届いた。それもこうしてみんなでゴールを喜び合っている中での電報到着で、考えもしなかった物だけにどれもこれも戸惑う中のゴールであり、また笑顔いっぱいのゴールであった。この後、家族はお祝いのビールを用意してくれたり、また母親手作りの豚汁をみんなに用意してくれた。こうして自宅へと総勢で駆けつけることに親に対し迷惑になるのではと不安に感じ、またゴールすることに対し、何一つ親に言えなかった自分がいた。もちろん照れくささもあり、恥ずかしさもある。そして不安である。そんな中でこうして最後まで、親、家族は温かく迎え持てなしてくれた。もう感謝のしようもない。ただ、「ありがとう」、その言葉と笑顔を贈るしか自分には出来なかった。そしてHPを通し共に旅してくれたみんなにも同様である。「ありがとう」その言葉がこの旅最後の言葉だ。改めて、「ありがとう」~追伸~
「10kmの道程を共に語り合いながら歩き続けた約3時間。そして家族みんなが迎えてくれたゴール。どれもこれもが、たくさんの人と共に旅をしてきたこと、そしてひとりではなかったことを心から実感する最後の帰路でした。たくさんの参加、そして今回参加出来なかった方々、みんなこの旅の主役であり、この旅を語るにはひとりとして決して外すことは出来ない旅人である。そんな人達の力でこの旅を終えることができました。ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。」
★今日のお食事♪
・朝食 : パン
・昼食 : パン・豚汁・うどんネギトロ定食
・夕食 :
親の鍋料理