車輪人の自転車日本一周・登山の旅 車輪人の自転車日本一周・登山の旅

2003年 12月5日 (金) - 516日目

天気 :

体調 : 良好

宿泊地 : 勤めていた会社

本日の移動 : 静岡市~焼津市~御前崎町~福田町

走行距離 : 99.7km

累計距離 : 23,334km
本日の出費

食費 : 1254円

観光費 : 0円

宿泊費 : 0円

雑費 : 522円

費用詳細 :

現在地 : 静岡県福田町  ( 全走行図 )

ひとつのゴール

 昨夜の就寝は1時過ぎという遅い時間ではあった、起床は早く6時半、そして7時過ぎにはお世話になった伊藤さん宅を出発した。伊藤さんの仕事出勤の為に仕方ない時間であるが、逆にこんな忙しい中で、昨夜共にしてくれたという感謝の気持ちでいっぱいである。今朝はやや重い曇り空ではあったが、そんな天気を吹っ飛ばすような笑顔でお礼を言い、またお互いの今後の奮闘を応援し、自転車を漕ぎ始めた。

 昨日までは最短ルートの国道1号で自宅を目指そうと思っていた。こちらの方が旧街道沿いだけに旧跡などの観光地も多く距離以外にも魅せられていたのだが、しかし、今朝の出発になってふと「海を見ながら・・・」そんな思いになった。さらには好きな御前崎へとこの自転車で行きたい。そんな思いに駆られて自然と自転車は海沿いの国道150号を進んでいた。そしてまず最初に迎えてくれたところが大崩海岸でその断崖絶壁が美しいのはもちろん、そこに作られた海上橋もまたひとつの名物だ!もう何度も通ったことのあるところだが、しかし何度通ってもその景色に子供の様に楽しんでしまい、そのアップダウンも苦になることはない。ただ、トンネル内は狭く、恐怖を感じることは多々あり、「ここまで来て轢かれては・・・」と身を引き締め祈りながらのこれが最後だろう恐怖の走行でもあった。

  この静岡。さかながひとつの名産でもある。とくに御前崎や焼津の港ではマグロだろう。今も水揚げ量日本一を誇っているのではないだろうか。そんな静岡を改めて感じに向かったところが焼津魚センターで、とくに何かを買いたい物があった訳ではないが、しかし、観光という意味で、その店並ぶ魚センターを見て楽しんだ。この後、何度か通り雨に悩まされもしたが、それでも雨宿りで避けカッパをあおるほどではなく、気持ちよく御前崎へと向けて進んでいった。ここまで来るともう見覚えのない景色はないと行ってもいいほど自分の行動圏であり、どれもこれも懐かしい。その懐かしさが楽しくて溜まらず、「あった!あった!」と声を上げては走り抜けていった。そんな道中、たくさんの方が今日も声掛けてくれた。「日本一周中ですか?頑張って下さい!」とジュースや果物を手渡してくれるが、しかしその嬉しさの反面、もうゴール僅かな自分に申し訳なく感じてもしまっていた。「どこから来たの?」と言われ「地元です・・・」と答えなければいけないのが辛くて溜まらない。べつに一周走ってきたのだから胸張って答えれば良いのだが、しかし聞いてくれる方はどどうしても遠くの地方を期待してところがどうしても強い。それをもっとも強く感じたのが焼津でのこと、「大変でしょ!あそこのトンネル怖かったでしょ!」と”日本一周”のプレートを見て満面の笑みで問いかけてきてくれた方がいたのだが、「もうすぐゴールで浜松と近いんですよ!」と答えると、「なんだ・・・」、と急に興味なくしたように、その後言葉もなんもなく振り返り去っていってしまった。最後の「なんだ・・・」という言葉が今日1日ずっと頭から離れることなく寂しさをも感じながらの走行で、そんな思いが強かったからこそ、こうした出逢いが辛かった一日になってしまったのかもしれない。

大崩海岸の海上橋
焼津魚センター
またも雨が(T_T)

 話は戻る。御前崎へと自転車を進めていくと、徐々に南国雰囲気が高まっていき、その懐かしい景色に帰ってきた喜びがどんどん高まっていく。しかし、それと同時に起こるだろう”寂しさ”は私の場合は不思議となかった。旅を終えることをもう出発時からもう待ち望んできたからだろうか、旅中、自分はこうした放浪の旅には他の人に比べて似合わない、さらには、苦痛さえ感じる部分も多く、ただ、いろんな人に触れ、いろんな所を見てみたい、そして最後は自分の決めた道という意地でここまで走り通してきたのだと思う。その中にもちろん人に伝えるという目的も持ってきた。全てが意地であり、そして辛かったからこそ、この旅を仕事と置き換えて、頑張って来れたのだろう。だからこそこうして帰れることに喜びが大きく、そして寂しさはなかったのかもしれない。ただ、この伝えことが嬉しく今後はそうした道へと進んでいきたいと思っている。こうした新しい夢が生まれたからこそ、次への闘志に燃えての今の帰路であり、それが今の気持ちであった。そんな今回のひとつの節目がこの御前崎の海、遠州灘であった。旅の初めは自宅ではあるが、標高0mからの100名山人力登頂のスタートがこの遠州灘の海であった。場所こそスタート時は浜名湖は弁天島と違うがもう、同じ灘上の海である。ここをまだ山は20山残しているとは言え、今回の80山の旅の人力登頂のひとつのゴールと自分に定め”登山の旅”の終わりとした。その遠州灘の海は曇り空の緑がかった海の色が印象的であった。

南国御前崎♪
懐かしの遠州灘
御前崎海岸

 灯台を見上げながら、そんな御前崎を越えて遠州灘沿いを進んでいった。途中からさらに海沿いを走る自転車道を進み、あまりに海に近すぎて自転車道が何度か砂で埋まっているところさえあり、逆に苦しめられもしたが、しかしそれも今はもう楽しく感じた。これがこの旅最後の苦しみになるのだろうか、そう思うと不思議と楽しく、砂に埋まる自分が愉快で溜まらない。思わず一人笑みをこぼしながら、砂と格闘し自転車を進めていく。そして常にそこで追い求め眺めていたのが、元、勤めていた会社である。大きたタワーが建つだけに遠くからでも見ることができ、今日そこを訪ねることが楽しみどころか、そこがこの旅のまたひとつのゴールと言っても過言ではない。会社が自分にとってただ6年以上働いてきたというところというだけでなく、その6年間でたくさんのことを教えてくれ育ててくれたところであり、その人達がいるところである。そして天職と思っていたくらいに好きな仕事場であったこともあり、もう自分にとってはひとつの故郷といっても過言ではなく、今日はそこへ向かって御前崎経由で走り続けてきた。だからこそ、その会社が見えてきた時にはもう言葉を失うほどの喜びに襲われ、そして緊張にも襲われた。辞めた自分を同じように見てくれるだろうか、そんな不安がこみ上げ、また、久しぶりの再会と言うことにも身体を固くさせる。そんな不安の中の15時の会社と到着であったが、みんな言葉を合わせ「お帰り♪」と何も変わらぬ笑顔で迎えてくれた。いや、変わらぬ過ぎてこのまま仕事へと入るために作業着に着替えなければならないと思うほどで、そんな温かい社内で、この後、歓迎会を開いてくれた。前日同様に地元の人だからこその会話、そして以前の自分を知っているからこそ、長い仲だからこそできる会話に1年半という長い時間を通り越して夜遅くまで語り合い楽しんだ。またそんな会社に友達の”まっちゃん夫婦”も遊びにきてくれた。さらに日をまわり宴会を終えてからも、今度は”あそひろ”が会いに来てくれた。そんなたくさんの人達に支えられながら旅できたことにほんと感謝しながら、2時頃、そのまま会社で訪ねてきてくれた”あそひろ”と共に眠りについた・・・ ありがとうございました。

遠州灘・自転車道
勤めていた会社にて
遊びに来てくれた
”あそひろ”

 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : すき屋の朝定食
 ・昼食 : まぐろカツ丼
 ・夕食 : お寿司・つまみなどなど♪




自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・