響き渡る低音の効いた派手な音楽、そしてバカ騒ぎする喋り声、夜中そんな音で悩まされっぱなしであった。ちょうど寝ようと思った23時過ぎからだろうか、1台の車が駐車場へとやってきて、騒ぎに騒いでいった。それは明け方まで続き、その間、ほとんど眠れない。そしてそのうち怒りも込み上げひとこと言いたくもなってくるが、しかし、言ったところでも、こんなところで寝ている方も悪く、そう言われてしまえば何も返せないだけに、ただジッとしているしかない。その間、何度かウトウト眠りにつきはしたが、すぐに目覚め、本格的に寝入ったのは4時過ぎであった。
そんな4時過ぎがいつもなら起床の時間。今日も日記をやるためにそんな時間に起きようと思っていたのだが、しかし、その時間に眠りについたのだからとても起きれる訳もなく、起床は6時半、日記をやる時間を失ってしまう。昨夜とは打って変わった重い曇り空を眺めながらの7時の今日の漕ぎ始めであった。まず最初に立ち寄ったところが今も昨日のことのように目に焼きついている”玉泉寺”。ここは日本最初の総領事館となったところで、有名なハリス総領事が過ごした寺である。今もほぼそのままの姿で寺が残り、その中を前回の伊豆一周に見せてもらった。偶然、門先であいさつした住職との出会いがきっかけで、その後、住職からいろんな話を聞かせてもらい、また最後に冊子まで頂いた。今回、そんな住職にまた会えることを期待しての玉泉寺であったが、しかし、その期待も空しく残念ながらお会いすることは出来なかった。しかし、今回は前回あまりの早朝だっただめに閉館していた資料館へは入館できた。そこではハリスや通訳のヒュースケンの遺品がズラリと並び、当時の様子を物語っていた。そして寺の前の湾岸には、この日本で最初に開港した下田の地に錨を下ろす黒船へと向かい密航を企てようとする”吉田松陰”の像が変わらぬ姿で私を迎えてくれた。当たり前のことだが、そんな何でもないことが嬉しく松蔭像が指差す先を懐かしさを胸にしばらく見つめていた。
この後も観光はまだまだ続く。ちょっと晴れ間も覗き始めた空の下、FM喜多方さんのラジオ出演を挟み、下田ベイ・ステージへと足を運ぶ。ここでは無料のちょっとした歴史展示場もあり、さっそく見学。また観光案内所で情報収集して、唐人お吉の墓所のある寺として有名な宝福寺、そして、日米下田条約の調印された了仙寺、さらには、先ほどのお吉が営んだと言う安直楼、そしてペリー上陸の碑など観光は尽きることはない。どこも下田の歴史、そして開港を表すところばかりで、興味深く、あっという間に時間は流れていった。そんな中で、最後に見学したのは下田公園内にある二人のレリーフであった。ペリーとハリスのである。もちろんこの碑も懐かしく魅入ったのだが、それ以上に懐かしかったのが、このすぐ前の広場に張り野宿した思い出であった。初夏だけに青々とした木々で囲まれていたが、今はすかっり葉は落ち、寂しい公園内の姿へと変わっていた。すっかり自然は月日の流れを表していたが、しかし、自分もよい意味であの時とは違うだろう。そんな自分を感じながら下田の地を後にした。
目指すは天城越えだ!そんな気合の下、下田市街を抜けていくと、すぐに”お吉ヶ淵”という看板が目に入った。ここが波乱に富んだお吉の最後の場所である。入水自殺したのだ。もちろん異人と交わった事による世間の目の冷たさを苦にしての生涯で終えたのだというふが、しかし、お吉が日本の最初のハリスを通して世界への架け橋になった女性でもある。それを称えて、同じように世界との架け橋となって働いた新渡戸稲造の立てた仏像がひっそりとそこに残っていた。新渡戸記念館でこの仏について知っていただけに、2人の共通点がさらに考え深くあった。
話は戻り自転車は天城越えへと挑んでいく。しかし、この頃になって、また厚い雲が張り出し、時折、雨さえ落とし始めた。その度に慌ててトンネル内へと避難したり、バス停へと避難したが、時にはビッショリになってしまうこともあった。「雨降るなど聞いてないよ~」そんな愚痴を溢しながら、まず越えて行ったのが峰山峠。途中、大雨に降られ1時間ほど雨宿りするハプニングもあったが、無事に約標高300mを漕ぎあがり、そして2つの目の峠となるのが天城峠である。峠の標高は700mほど、標高的には他に比べて大したことはないが、しかし、さすが名高い峠だけに苦しめられた。勾配が予想以上にきついのだ。そして、もうひとつ、行き交う交通量の多さにも閉口した。時はすでに接触しているのではと思うほどの擦れ擦れで走りぬけ、また、時には爆音と共に煽られるほどの勢いで走り去る車も多々あり、そんな恐怖と緊張とも戦いながらであるため、予想以上に体力を消耗する。伊豆の海岸線のアップダウン、そして峰山峠を越えてきたのも、その疲労を大きくするひとつであり、後半はもう気力だけであった。何度も歩こうとさえ思ったし、また休憩しようと思うのだが、しかし、もうそんな余裕な時間もない。何度も避難した雨宿りに時間をとられ、いつの間にか日暮れは間近に迫っていたのだ。しかし、そんな追い詰まれながらもさらにキツイ旧道へと自転車は向かっていった。かなり迷ったのだが、しかし、ここを通らずに天城へ何しに来たのだ。そう言われそうなのが怖く、また自分自身でもそう思うが為に、嫌々ではあるが、それでも旧道へと入っていった。道は急に荒れだし、ほとんどがダートの路面にさらに苦しめられ、もう天城越えという旧道を楽しむといった余裕はとてもない。ただ黙々と坂と格闘し続け、薄暗くなり始める中、ようやくこうして有名な旧天城トンネルへと上り詰めたのだった。
「おぉー!」っと思わず誰も居ない静かなトンネルで声を上げた。予想していた以上に長く大きく、そして歴史を肌でジワジワと感じれる重さがある。実は以前に車では何度か来た事ある場所で、このトンネルの雰囲気はなんとなく知ってはいたのだが、しかし、その時は歴史にそれほど興味なければ、また歴史の持つ重みも知らない。「ふーん、ただの長いトンネルだな・・・」 そんな安易な感想しか当時は持たなかったのだが、今こうして見ると、その名高さを訳を肌で実感することができ、そんな石で覆われたトンネルを静かに、薄暗く所々に灯る外灯の明かりを頼りに走り抜けていった。
上りに上ってきただけにこの後はもちろん長い長い下りが待ち構えていた。一気に気持ちよく!そんな気持ちで駆け下り始めたのだが、もう身体が硬直してしまうほど寒くて溜まらない。いや、疲労のせなのか、いつもの寒いとは感覚がちょっと違い、全身がギュッと締め付けられるような感じに襲われた。ブレーキもまともに握ることが出来ず、また締め付けられる身体にさすがに悲鳴を上げて、途中の道の駅で自転車を止めたのだが、自分でもびっくりするほど身体が動かず、まともに自転車から降りられないほどで転びそうになるは、降りてからも自転車を押すだけの力がでず、しばらく立ち尽くす。こんなことは始めてである。あまりの身体の変化に動揺しながらも、道の駅内で暖をとっていると、徐々に普通の寒さの感覚を取り戻した。そして、さらに復活を試みようと、ちょっと贅沢に暖かい”こんにゃくおでん”と”まんじゅう”を購入♪元の身体に戻し、そして着込めるだけ着込み直して、改めて出発。その後は普通の肌を刺す寒さでとどまり、自転車はどんどん坂を駆け下りていった。
もう辺りは薄暗くなり始めていた。どこかよい寝床はないだろうか、ただそれだけを願いながら暗闇の中を進めていく。湯ヶ島、修善寺と観光地を過ぎていくが、もちろん観光どころでもなく、また有名な温泉地のひとつだが、まだ温泉で落ち着くと言う気分にもなれない。寝床だ。必死で探しながらそれら町を通り過ぎ、そして見つけたところは河川敷公園。17時半の到着であった。それから慌しくテントを設営し、そしていつものHPの更新作業。しかし、電源の方が最後付いてこず、途中で断念し、今度は読書タイムへと入った。いつもならここで寝ている時間なのだが、今日の夜は長い。実は東京からわざわざこちらへと向かってきてくれている方がいるのだ。それは旅の中ですでに2度ほどお会いした牡鹿さんで、渋滞に巻き込まれ到着は22時半頃と遅くなってはしまったが、しかし、久しぶりの再開を喜び合い、そして、もって来てくれたバーベキューセットでなんと焼肉!のんびり語り合いながら楽しい夜は流れていった。ありがとうございました。
★今日のお食事♪
・朝食 : コンビニ弁当
・昼食 : パン×1・わさび味噌こんにゃく
・夕食 :
ミニ弁当・パン・鉄板焼♪