とうとうこの旅も残すところ1ヶ月となった。山も難所も無事終り、苦しかった分、その嬉しさが溢れんばかりにこみ上げてくる中、その今日から最後の地方・関東平野の観光が始まった。久しぶりの街中ではあるが、それが今は新鮮に感じ嬉しいほどである。しかし、この先の1ヶ月、ずっとこのような、いや、さらには都市へと入っていくに当たり不安もやはりあるが、しかし今は期待で燃えていた。そんな関東平野のスタートは群馬県からで、県全体の歴史、文化、風俗を知るため、ここから各県は主に県立博物館巡りとなりそうだ。ちなみに群馬の県博は、今居る県庁所在地にはなく、隣町は高崎だそうで、今日はそこまで約20kmを空荷で各関東の町の空気・雰囲気を肌で感じながら楽しもうと思う。
そんな今朝、最初に向かったところは前橋市の敷島公園。今日そこで地元新聞の取材をして頂けることになった。実は今回の取材、誰かが連絡してくれたらしく、それを聞いても記者さんも又聞きらしくハッキリ分からないが、それでもこうして新聞社の方からお願いされるのは嬉しく、2つ返事でお願いし、朝9時より取材していただいた。投稿してくださった方、そして記者さんありがとうございました。ちなみにそんな朝は6時半起床。7時過ぎに都丸さんを見送り、その後は黙々とHPの更新作業を時間いっぱいまで進ませてから、こうして取材して頂いた。
さて、この後は敷島公園散策。そこで向かったのは萩原朔太郎記念館で、生家の一部が移築保存され、ここで無料公開されていると聞き、詩人自体にはそれほど興味を持ったわけではないが、しかし、どんな人物なのか気になり、ちょっと覗かしてもらった。そして、それから一時帰路につき、都丸さん宅へと戻って荷物を預け、今度は空荷で観光へと自転車を走らせた。
快晴♪昨日登った天城山はもちろん、お隣の榛名山も顔をハッキリと覗かせるほどの気持ちいい朝のサイクリング。いつものあの忌々しいほど重く邪魔な荷物はなく、軽快にペダルを漕ぎ進み、高崎市の南は”群馬の森公園”へと入り、そして県立博物館へと訪れた。そしてさすがは県博と言わんばかりの豊富な資料で迎えてくれ、群馬の歴史、文化を学び、とくに興味引かれたのが明治期の生糸の繁栄で、海外にも多く輸出もしていたそうだ。ちなみにこの群馬は日本最初の官営生糸工場が富岡に作られ、今もその建物が残っているそうで、見学へと足を運びたいところだったが、しかしあまりに距離が遠すぎ、悔しいながらも断念せざるえなかった。ちなみに今も繊維工場が盛んだという。
この後、ちょこちょこ観光しながら帰路につく。まず最初に立寄ったところは宿場町は倉賀野で、今も一部建物などの名残が残り、この関東平野にもこうした物が残っていることに喜びを感じながら、また、この先の観光にも期待が込み上げるが、しかし、次に入った街、高崎市では自分が思っていた以上に都市であることにビックリし、その筆頭が巨大な市役所であった。そしてその眼下には前橋市以上の商店街が広がっているように感じた。そんな街中を見学しながら、櫓が一部再建されている城跡を巡って、また前橋市へと戻っていった。そしてその駅前にて献血ルームへ♪しかし、その場所がなかなか見つからず一苦労(汗)、そこら中を走り回っていたのだが、それも灯台下暗し、すぐ駅前は南口にあり今回もさっそく成分献血。込み合うこともなく、また誰も居ないような寂しさもなく順調に献血を終えて、もう日の落ちだした17時に都丸さん宅へと帰路についた。
★今日のお食事♪
・朝食 : ごはん・ウインナー・たまご
・昼食 : コンビニ弁当・パン
・夕食 :
キムチ鍋♪