”濃霧”、今日これほど苦しめられたものはない。常に”遭難”という言葉が頭を過ぎり、不安と戦っていった。そしてそれを僅かであるが心の支えとなっていたのが今までの経験であった。そのひとつひとつを思い出しながら山頂へと目指した。
昨夜、目覚ましもかけずにそのまま寝て島しまった為に、今日はすこし寝過ごしてしまった。ほんとうなら登山前に日記を書いてしまおう。そう意気込んで早起きするつもりであったが、起床は5時過ぎ、でも、これ以上に日記を溜めたくなく、慌ただしく自炊・食事と平衡してPCと格闘していた。そのため出発は遅れてしまい7時50分となってしまった。
雨のほうは上がってくれてはいたが、目指す頂方面は深く厚い雲に覆われてた。「晴れてくれよ!」、いや、「雨よ、降らないでくれ!」そう祈りながら有料道路脇の旧参道を登って行ったのだが、これが最初からなかなかの難所。いや、この後のことを思うと赤子のようなものだが、それでも、入り組んだ参道と獣道、そして林道、あらゆる道が交差し、最後はルートを見失い、結局、有料道路を申し訳なさそうに小さくなりながら歩くことになってしまった。ただ、車が跳ばせるような道ではなく、普通の山道の為にそれほど違和感も無く、また危険も感じることはなかった。
山頂駐車場では巨大な鳥居が迎えてくれた。その大きさからも、出羽三山の信仰の大きさを感じ、また霊山という神域であることも実感させられた。さらにこのあと、一般車両進入禁止の参道を30分ほど登っていくと湯殿山神社へと到着する。ただここは他の神社のように本宮はない。だが、神域であるという雰囲気は至るところに漂い、神秘性を帯びていたが、ただ何が違うのか?と問われるとうまく答えられない。それが神域というものかもしれない。先にも書いたが本宮こそないが、神域の中心的存在はある。それは巨大な赤茶色の岩であり、その岩を覆うように温泉が流れていて、見るからに不思議な岩である。ちなみにこの神域にはお払いをし、さらには裸足にならないと入ることは出来ない。もちろん御祓い料を納めなければならないが、登山、旅の安全を祈るべくここは奮発した。裸足で中へと入り、そして御神体に安全を祈り、さらに奥では先祖の供養をする神域が設けられ、ここに入ると自然に亡き父を思い出し、そして目には自分でも気付かないほど自然に涙が溜まっていた・・・
この神域での写真撮影は固く禁じられている為に写真はないが、着て良かったと心から思える場所となった。こうして安全を祈願し、9時、いよいよ本格的な登山へと出発した。だが、のっけから難所がお出まし。雪渓をいきなり横切り、そして泥沼のような道の急登・・・ 泥に足を取られ、時には身体を汚し、さらには草木にしがみつきながら登るときもある。そんな枝にやられ手を数箇所切ってしまった。グローブをしてなかったことを後悔しながら、泥紛れの手に流血が滲む。また、雪渓の方も氷のように固く、アイゼンをひさしぶりに装着した。また、もうすでに雲の中・・・ もちろん濃霧ということだ。幾つかの雪渓を横切るのだが、たかが10mほどの距離がはっきり見えずにその雪渓でルートを探す有様、出だしでこれだけ挫き、この先、無事に乗り越えていけるだろうか不安が込み上げる。
濃霧を掻き分けながらも、なんとか施薬小屋に到着。この先がさらに迷わされるとは知らずにと登山道を進んでいくと、一面の見渡す限りの雪渓が姿を現した。いや、晴れてたらこうにはならないだろうが、視界10数mでは、雪渓へと一歩足を踏み出したものならすぐに360度真っ白な世界へとなってしまう。そのため、雪渓と藪との境目を確認しながら進む。だが、ずっと藪があるわけではない。途中何度も雪渓が谷間へと、そして山上へと分かれ迷わす。不安になりながらもとりあえず修百メートルほどだろうか、不安で押しつぶされそうな自分を抑え、ただ真っ直ぐ進んでいった。が、無残なことに突き当たってしまった。このまま先へさらに距離を延ばしていってもとても戻れる自信がなくとりあえず引き返すことにした。もうここで断念するしかないのか・・・ そんな”断念”という言葉が何度もよぎるが、再びスタート地点からまた雪渓へと足を踏み入れた。今度は思い切って雪渓を跨いだのだが、もうそうなると360度の真っ白な世界でさらに不安は大きくなるが、じきに向かいの雪渓の切れ目へと歩くことが出来た。だが、その先も入り組んだ雪渓が続き、そのあまりの複雑さに、もう戻る自信がなくなるほどだ。トレース(足跡)は雪がやや固くほとんどつかない。これでは時間と共にすぐに消えてしまうだろう。さらに自分の痕跡を残そうと、1歩進む毎に雪面をステッキで串刺し後を後を残した。だが、こんなものも雨が振り出した日にはすぐに消えてなくなるだろう。あとはこの雪渓をメモった。見える範囲の様子、そして分岐の場所。割れ目、沢の音、あらゆる状況を紙にメモリながら慎重に散策して行った。ここが稜線なら、ひたすら尾根を進むだけなので迷うことも少ないが、そういうわけではなく、時には崖を横切り、時には谷間を抜け、藪を抜ける。だが、こうして何度も行ったり来たりしてルートを散策し、そしてようやく雪渓の先に登山道を見つけた時は、自然に笑顔がこぼれるほど嬉しい。だが、それは長くは続かない。5分も歩かないうちにまた次の巨大雪渓が待ち構えているからだ。
この濃霧の中、巨大な雪渓は3箇所。それらを越える度に、行ったり来たり道を散策し、もちろんその都度、自分の散策したルートのメモをとる。あまりのルートの見つからなさに何度も断念しようとした。数え切れないほどである。それほど難ルートであった。
だが、あの雪渓でやっぱり足止め。心配していた通り、トレースは跡形もなくなくなり、唯一残っているのはステッキで付けてきた窪みだけであった。それと自分の書いてきた地図を頼りに迷いながらもなんとか進んでいった。幸い、下るにつれて徐々に霧が晴れだし、逆に「こんな地形だったのか!」と見え過ぎて驚き当惑するほどであった。そんな視界のお蔭で最後は苦もなく山小屋へと到着した。
そんな山小屋で途中に姥ヶ岳まで行ってきたというおじさんと出会った。富樫さんという方でこのあと下山まで一緒に歩くことになった。この先は、登りは旧参道を歩いてきたのだが、帰路は登山道をとることにした。泥道こそないものの、こちらも雪渓に覆われた、時には沢を横切り、また下る難ルートであったが、でも沢沿いには花々が迎えてくれ、また先ほどの濃霧が嘘のように晴れ渡り展望をも楽しませてくれた。ただ山頂の方は相変わらず雲に覆われていた。
軽快な足取りの富樫さんとのんびり楽しく下っていき、そして14時、無事に山頂駐車場にと下山することができた。「生きて帰ってこれた~♪」そんな言葉が自然と出てくるほどの苦しい登山であったが、でも遣り終えた達成感はその苦しさ以上に大きい。
追伸:この道の駅脇には見事というしかない美しい渓谷が連なり、またその断崖絶壁を利用してバンジージャンプの名所となっていた。
★今日のお食事♪
・朝食 : ごはん・レトルト丼
・昼食 : パン×2
・夕食 :
外食でラーメン・フランクフルト