車輪人の自転車日本一周・登山の旅 車輪人の自転車日本一周・登山の旅

2003年 4月1日 (火) - 268日目

天気 : 雨のち曇

体調 : 良好

宿泊地 : 道の駅・桃山天下市

本日の移動 : 平戸市~伊万里市~鎮西町

走行距離 : 91.7km

累計距離 : 11,093km
本日の出費

食費 : 714円

観光費 : 0円

宿泊費 : 0円

雑費 : 0円

費用詳細 :

現在地 : 佐賀県鎮西町  ( 全走行図 )

坂を越えて

 夜中、物凄い風雨で目が覚めた。長く張り出した軒下の最奥にテントを張ったが強風でここまで雨が叩きつけてくる勢いであった。自転車が心配で外を覗くと横殴りに大粒の雨が恐ろしいほどの勢いで地面に叩きつけているのが見えた。その姿にこの軒下まで水害が発生しているとはいえ、ここでよかったと寝ぼけながらでも思った。それほど印象に残る風雨の姿であった。

 6時起床、外は相変わらず大粒の雨が降り続いていて、この雨では今日の行動は断念しようかと考えた。まあ、とりあえず今日も昨日途中にしてしまった日記の更新作業を食事をとりながら入り、それらを終えた8時ごろには、心配していた雨はいつの間にか小降りへと変わっていた。これなら!っと気合を入れて出発準備へと入った。また風雨が強まることを心配して厳重に防水対策を施し、そして9時、とりあえずは伊万里市へ向けて出発した。

ためらう出発だが・・・
でも元気に!
巨大なカブト
松浦党水軍

 当初の予定では名護屋城跡まで行くつもりでいたが、このいつ荒れるかも分からない天気で行ける所まで、そんな気持ちで出発したのだが、徐々に天気は回復しだし、雨も降ったり止んだりと、苦にならない程度まで回復した。そんな予想外の展開の天気のおかげで気持ちよく漕ぎ進むことができたのだが、でも距離の方はなかなか進まなかった。それは今日一日中続いたアップダウンのせいだった。大きな峠はないおかげかそれほど疲労感はなかったが、でも全然進まぬ距離には参ってしまった。

 途中、最近よく見かける”休憩パーキング”で巨大なカブトに目が止まり、小雨降る中、ちょっと頑張って撮影♪これはここら一帯を鎌倉時代から水軍として名を上げていた松浦党を紹介するモニュメントであった。その迫力に驚かせながら、また町の松浦党への力の入れようを見せられながら先へと急いだ。

 ひたすら続くアップダウンの坂を越えて、佐賀県伊万里市へと入るとようやく久しぶりの平坦な道へとなった。勾配だけをただ黙々と半日走ってきただけに、ほんと気持ちよく走ることができ、ここだけは距離はあっという間に進み、すぐに伊万里市街へと入ることができた。伊万里といったらやっぱり思い浮ぶのは古伊万里だ!そんな歴史を見る為にさっそく市の資料館を探した。「商家資料館」という看板を見つけ、探すがなかなか見つからず、そんな中で見つけたのが「歴史民族資料館」であった。無料ということもあり迷わず入館。中は古代から中世までを主に展示されていて、ここらあたりも古墳文化が栄えていたことを知った。

 このあと、改めて商家資料館を探し、地元の人に聞いたりして見つけた。ここも嬉しいことに無料で、隣の海のシルクロード館とともに伊万里の歴史について勉強した。朝鮮の役のときに連れて帰った陶磁家によって興したのが始まりだそうだ。最盛期の江戸期にはヨーロッパに多く輸出されて、ここには数十件の商家があったそうだ。そんな中で残るこの2件を修復して今資料館として展示されていた。中は他とちょっと違っていて1階は天井が高く広々とした空間が作られていた。その代わりに2階は一部腰をかがめないといけないところもある。また家内には大概、滑車があるのも面白かった。ちなみに商家の前はどこも河川となっていて、ここより船で全国へと出荷されていたそうだ。

伊万里・陶器商家資料館
資料館内にて
隣の海のシルクロードにて

 このあとは地元の方に聞いて知った黒沢明記念館にと行って見た。ここも案内板がほとんどなく地元の方に訪ねてのだが、その場所がなんと商店街の中にあった。これにはちょっと驚いた。資料館の方は500円と有料で、これだけ有名な方、どんな人生を歩んだのか知りたかったが、でも、映画を全くといっていいほど知らないので、面白みは半分以下になってしまうだろう。かなり迷ったが結局ここは節約と入館を諦めて、こうして伊万里の町を後にした。

 このあと、伊万里市郊外へと進むに連れてまたアップダウンが激しくなってきた。そんな道中、あるガソリンスタンド(シェル)にて声を掛けられ、そしてそこでお茶、そして差し入れまで頂いた。その差し入れとは、もう押しに進められた佐賀米であった。米はすでに2kg近く持っていたが、もう美味しいから!っという言葉にさらに米を蓄えて出発した。ありがとうございました。

黒沢明記念館
無数の島々が浮かぶ
伊万里湾

 アップダウンはひたすら続いた。またこの辺りの湾岸線の国道は大きくジグザグを描きながら走っていく最悪のルート。そのため、県道、町道を探してショートカット。こちらの方が地図で見るかごり等高線が少なくてすみそうだ。実際はそれでも数百メートルは上るルートで、かなりきつい坂が続いた。17時までには着くだろうと思っていた名護屋城跡、予想よりもかなり遅れてしまい18時となってしまった。途中、のんびり棚田、原発を眺めながらきたのでそのせいもあるが・・・ ちなみにこの棚田、狭いところでは幅2mほどしかないようにも見える田んぼが段々と続き、平地が少ないこの土地を尊重するものであり、また稲作重視の日本文化をあらわす姿でもあった。今では場所に畑に変わったり、場所によってはもうなにも栽培されてなく、荒廃しているところもあった。

坂ばかりじゃ~
浜野浦の棚田
必死で坂を上る

 18時に着いた名護屋城跡近くには道の駅があり、今日はそこで寝床を求めることにした。あまり場所的には静かで落ち着いたところは少なく、ちょっと人目につきやすい為に今日は自炊は断念。夕食はちょっとしたお菓子ですまし、明日の朝はパンにし、その食材をすぐ前のスーパーで購入した。頂いた佐賀米、頂くのはまだ先になりそうだ。

道の駅にて池田さんと♪
 買い物から帰るとある自転車の旅行者と一緒になった。やや年配の方だが、とても気さくな方で話しやすい、また大きな夢をもって旅を続けているせいか、とても生き生きとしていて話してとても楽しかった。池田さんという方で、九州のキリスト関係&戦国関係の資料を調べながら、延べ5年計画で頑張っているという。すでに2年半今かけているという。ただ、地元は佐賀で2週間ほど旅をしては帰り資料をまとめ、また旅へ、そんな旅を続けている。目標は本を出すことで、趣味、目標等、共に似ていることが多く、話は尽きることなく21時過ぎまで話していた。ほんとはもっと話していたかったのだが、このあとは日課であるHP更新作業へ、だがこの時間からだととても書き終えることができずに今日も途中にして、23時半ごろ就寝した。今夜も風が強くテントは波をうっていた・・・




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