沖縄南部、最後を激戦区の土地を今日はまわるために、昨夜寝るのが遅かったのだが、今日も頑張って早起き!7時に起床して出発準備。朝食は昨日買った豪華大盛り弁当を食べて、充分力を付けて、8時半頃、今日もネコと共に出発した。
まず向かったのが、観光案内所で紹介して貰った糸数壕へと向かった。ここは戦争末期に最初は防空壕として使用され、さらに末期は軍医療施設場として使用されたそうだ。やっぱりそんな史跡巡りから沖縄南部の旅は始まった。幾つかの丘を越えて、そして最後に急な上り坂を登りきると糸数城跡に到着。聞いた話ではこの城跡脇に壕はあるという。城跡方面へ歩きながら壕を探したのだが、結局見つからずに城壁に到着した。ここは世界遺産登録場ではないのだが、その城壁の規模、保存状態は決して悪くなく、逆に荒らされていない城が残り、また展望も最高で他の城見学よりも楽しめたほどであった。
だが、肝心の壕が見つからない。また駐車場まで戻り付近を捜す。そして少し離れたところに壕の案内板を見つけた。でも、その壕の入り口が見つからない。すぐ近くにあるだろうと、フラフラと付近を捜して、そしてようやく小さな入り口の看板を見つけて、脇道へと入っていった。
入り口はやや狭く、しゃがみこんで中に入っていく。そしてすぐに光は届かなくなり、暗闇の世界となった。懐中電灯だけを頼りに中を進む。洞窟内は、元鍾乳洞だけに複雑に入り組み足場も悪い。その中を小さなライトだけを頼りに進んだ。ちなみに他には客はいないようでそこは静まり返っていた。幾つもの病室跡と書かれた札を見ながら奥へ奥へと進んだ。ここで、多くの方が亡くなった場所だと思うと、その暗闇での恐怖感は半端ではない・・・ もう心臓はドキドキだ!そして道も分からず、ただ小さなライトだけが頼りに奥へと進み、そしてじきに行き止まりとなった。そこから、また恐々と引き返し、そして入り口の光が小さく見えたときの喜び!ホッとする思いだけだった。
戦時は病院という重い雰囲気の中、さらにいつ攻撃されるかも分からない洞窟内。そんな死の恐怖と戦いながらの洞窟の中である。そんな思いをおもうと、胸が締め付けられる・・・
こうして壕を後にして駐車場へとまた戻ってその休憩室で休憩。するとその中に壕内の簡単な地図が置いてあり、それを見ると、自分の通った反対側にもまだまだ道が続いていたことをしった。壕を中にいたときは早く出たい早く出たい!その思いだけであったが、でも、こうして全て見てないことを知ると、悔しくて、もう一度チャレンジして見ることにし、再度入壕した。地図を片手に今度は反対側へと入っていく。小さなこのライトでは洞内の全てを知ることは出来ず、また地図も曖昧なことから、どこをどうやって歩いているのか、だんだん分からなくなってくるほどだった。そのために恐怖もさらに高まり、また各病室跡という、さらには死体置き場跡などの看板が恐怖を高めさせられた。それらを横目に必死で奥に進んでいくが、でも、また行き止まり・・・ 地図からするとそんなことは無いはずであるため必死で道を探すが見つからない。こうして、辺りをウロウロしているとさらに恐怖が高まり、次第にもう諦めて出よう、っという雰囲気に・・・ 悔しいが来た道を戻り、また外の日を浴びた。
駐車場に戻ると、先ほどまであんなに静まり返っていたのに、人でざわめいていた。大型バスが2台入り、そして大勢の懐中電灯を持った高校生らしき団体が、修学旅行だろうか?!観光案内所の方が、最近は大型バスが入るようになったと言っていたが、まさかこんなに大勢でぞろぞろ来るとは・・・ でも、一瞬、この団体のあとを付いて行って説明を聞きながら、たどり着けなかった最奥へと連れて行ってもらおうとも思ったが、さすがに1時間以上かかる洞だけに諦めて、次の観光地へと向かうことにした。
この辺りはサイクリング道が整備されていて次の「おきなわワールド」まで気持ちよく走ることが出来た。だが、先ほどの壕の恐怖からくるドキドキと、胸が締め付けられるような思いはなかなか抜け出せなく、重い不思議な空気の中、漕ぎ進めた。
この「おきなわワールド」内には有名な鍾乳洞がある。だが、もう嫌というほど洞窟に苦しめられてきたこともあり、また、まだその思いから脱していないこともあって、今回は鍾乳洞見学をパスして入園のみとした。それでも、見所はたくさん!植物園をはじめ、資料館、郷土工芸細工などなど・・・ そして最後は一番楽しみにしていた、「エイサー」である。これが見たいが為にここへ来たのだから、その期待はかなり大きなものだった。実は沖縄上陸前の与論出航のとき、町の送迎である舞踊を修学旅行生に披露していた。それは今思うと「エイサー」で、その舞踊の美しさ、迫力に魅了され、また見たいと強く思っていた。それがこうしてまた見れることでワクワクしていた。
こうしてショーが始まったエイサー、もう魅了されっぱなしで、言葉をも失うほどだった。その華麗で力強い独特な動きに魅せられて時間はあっという間に過ぎていった。今度は夏のお祭り時に、実際のエイサーをこの目で見てみたいと強く思った。
予定よりもすっかり遅くなってしまった。このあと「平和記念資料館」と「ひめゆり資料館」が控えている。エイサー踊りに刺激されて、自分も力強く漕ぎ進み、思っていたよりも早く平和公園に到着した。そしてさっそく中の資料館へと入館した。展示物は日本の近代戦争史から始まり、そして徐々に世界大戦へと移行していく軍部のその姿が分かりやすく描かれていた。もう、それらから、見応え充分で、じっくり見進み、そして世界大戦、沖縄決戦へと移行していった。今まで詳しく知らなかった沖縄決戦の実情・・・ それを目の当たりにして、戦争の現実をもっと身近で、この沖縄の地で、胸を苦しめながら魅入っていた。それらの資料に釘漬けになること2時間近くじっくり見学後、資料館を後にして、そのあとは両軍の墓石群の並んだ公園内を散策した。
もう、いつの間にか16時になろうとしていた。公園内の散策をほどほどにして、「ひめゆり資料館」へと向かった。距離は近く自転車で10分ほどの距離である。少しでも時間を作ろうと必死で走り、そして「ひめゆり」ではすぐに資料館へと入館した。開館は17時まで、館内は決して広いとは言えない大きさなのだが、その中に非常に濃い内容の資料が並べられていた。今回はこの「ひめゆり」という女学生看護婦からの戦争への視点で、また違った見方から戦争を知ることができる場所でよかった。最後の生存者のその時の思いなどを綴った書籍コーナーでは、その思いがじかに伝わってくるだけに、涙を必死で堪えながら読まなければならない場面も多々あり、また、胸が何度も締め付けられた。
閉館一杯一杯の17時20分ごろまで見学して後にした。この「ひめゆり資料館」、今日昼間入った糸数壕、そこもこの舞台となっていて、その洞内の実情、様子までもが、細かく説明され、とてもこの資料館を見てから入洞できないほど、その悲惨な様子が伝わってくる内容であった。
このあとはもう宿まで帰るだけなので、薄暗くなりつつある道をのんびり帰路に着いた。ただ、今日も昨日に引き続き昼食抜きで、もう18時・・・ バナナを1本食べただけだ。この先、どこで飲食店があるかも分からず、とりあえず繋ぎでコンビニパンを購入して食べた。でもそのあとすぐ、飲食店発見!それは沖縄だけにあるファーストフードチェーン店「A&W」だ。入って見たいと前々から思っていただけに、即入店!やや料金は高いが、豪華にセットメニューを買って、その沖縄ならではの味を楽しんだ。ちなみにお味はなかなかうまい!!パンを食べたにも関わらず、ぺろりと平らげてしまった。
この先はもう真っ暗の中、のんびり宿へと戻り、19時半頃到着した。そして溜まった日記を書きながら、またみんなでお酒を飲んで楽しく団欒して、結局、HPの方はというとなかなか進まずに写真だけのUPとなってしまった。就寝は今夜も遅く1時ごろとなってしまった。ちなみにこの日記はやっぱり翌朝だ。