12月17日、誕生日の朝は昨日からお世話になっている修宗さん家族と一緒で温かい朝の時間を過ごしたが、一変、夜は一人での時間を迎えている。だが、それほど寂しいとは思わない。たくさんの方々から「おめでとう」の嬉しいメールを頂いたからだ。ありがとうございます!そして、今、新たに25歳を迎えて、一人しみじみと今までの24年間を振り返えっている。そしてこの25歳に期待を膨らませている。
さて、朝はやや慌ただしく、まずは昨日書けなかった日記書きを、6時に起床してすぐに取り掛かる。そして、今日も美味しい朝食をご馳走になって、そのあとは入浴♪体調もだいぶ良くなってもう気分は最高♪でも、日記を少し残したまま出発の時間となってしまった。7時40分頃だっただろうか、修宗さんの出発と共に自分も出発!体調はほぼ良好、ただ天気がいまいちで、なんとポツポツと雨まで降り出してくるしまつであった。でも、すぐにやんでくれたので助かった。
まずは、出発してすぐにある教えてもらったコンクリート船を見学。この船は戦時中の鉄鋼不足から生まれたコンクリート船。実際に海外まで航海に出たこともある船だそうだ。そして戦後、安浦町が貰いうけ、港の防波堤の代わりとしてここに沈められたそうだ。それにしてもこのコンクリート船、見れば見るほど異様な姿。一部、補強のために鉄の骨組みは入っているようだが、でも、外観は全てがコンクリートなのだから。さらにこれで浮いていて運航していたのだと言うから驚かされる。そんな船内をのんびり散策した。
その後は、呉市街を目指してひたすら進む。途中、造船所、牡蠣の販売所など、土地ならではのものを横目に小さなアップダウンを幾つか越え、そして最後に驚くほど空気の悪い長いトンネルを抜けると呉市街である。さっそく観光と行きたかったが、この呉市は海軍基地として歴史があるだけにそれらをじっくり訪ねたい。そのため、まずは駅前に行って観光案内所を探す。それはすぐに見つかったのだが、案内は10時からとのこと・・・ こんなに遅いのも珍しいのではないのかと思いながら仕方なく20分ほど待った。そして10時ぴったりに扉が開き、観光案内マップ見たいのがないかと聞くと、何も言わずに一枚の紙を渡され、そして説明されることなく、そして聞くまもなくそのままガラス戸は閉められた。なんと無愛想な・・・ 低血圧なのだろうか・・・ そんなことを考えながらちょっと嫌な気分で駅を後にした。
まず向かったのが、あまり知られていなさそうな”海の資料展示館”というところ。場所もかなり分かり難く案内板すらない。そして建物もプレハブ作りでパッとしない雰囲気であったが、でも中の資料は見ごたえ充分であった。それも無料である。ちなみにその資料とは詳しく見やすい海軍の歴史年表から始まり、多数の写真がそれに補足している。そして何よりも見せられたのが、各船の模型である。それもどれもこれも大型で精密な模型。そして詳しくその船の歴史説明が書かれているのが嬉しい。その模型が、明治期の船から始まり、太平洋戦争時の船舶の模型は所狭しと連合艦隊が作れるほどの数の模型が並べられていた。あまりの見ごたえに1時間以上も見学してしまった。
やや遅くなってしまったが、次に向かったのが、入船山記念館。ここは入館料200円取られはするが、でも値段は安いので嬉しい。そして、展示物は、先ほどよりもやや貧弱に感じられはしたが、でもまた違った展示物を楽しむことが出来た。でも、ここのメインは旧呉鎮守府司令長官官舎であるから仕方ないだろう。この官舎の説明はもう名前の通りである。ちなみに戦後派占領軍によって一時使われたそうだ。そんな庭で25歳を記念して人文字を書いて見た。「25」という文字をコピーロボットと共に書いて見たのだが分かるかな?
入船山を後にして、次に海上自衛隊基地へと向かう。途中、造船所やレンガ造りの自衛隊呉地方総監部を横目にみながら走り、そして大和記念碑も訪れた。そして公園より呉海上自衛隊基地を眺める。異様なほどの船舶、そして潜水艦の数である。それらに驚かせながら、ここで昼食タイム。修宗さんから頂いたおにぎりを食べる。そしてまたまた人文字に挑戦!見えるかな~?でも、こうしてのんびりしている時間はなかった。もうすでに13時過ぎ、この後、江田島にある第一術科学校を見学予定だからだ。そこは見学時間が指定されていて日に3,4回行われる。その最後の見学が15時から、そしてパンフレットを見ると、「受付は30分前までにお済ませください」とのこと、14時半までには行かなければならない!ここからまだ20km以上?あるので急がなくては!っとちょっと焦り気味で出発した。
なんだか分からない白い砂山を眺めながら必死で漕ぐ。(石灰の工場だろうか・・・?) そして、音戸大橋を渡り、ループを越えて、もう風邪気味なのも忘れ、今日が自分の誕生日だということもこの時にはすっかり忘れて必死で漕いだ。そしてギリギリセーフの14時半に”第一術科学校”に到着。でも、それほど時間に厳しくなさそうで、さらによく見ると、30分前から受付開始とも書かれていた。それを見て、ちょっとショックを受けたが、まあ、早すぎるには問題ないので良かった。
ちなみのこの別名「旧海軍兵学校」の見学料は無料。そして引率者付きで見てまわることが出来る。入り口はいかにも自衛隊の入り口といった思い雰囲気でちょっと入りにくい。ただ、受付や案内人など皆学生達で行われているのを見ると、ちょっとホッとする。構内に案内されて見学開始の15時までは売店や喫茶店で待っていてくださいとのことで、売店をフラフラ。さすが海上自衛隊内だけあって、ここでしか売ってないものが多数あった。そして面白いピンバッチもあり、それらに惹かれてちょっと奮発して3個も購入してしまった。これで、自分の為に物を買ったのは2度目である。以前は北アルプスを登頂と記念して買った山のピンバッチ、そして今日、2度目の購入であり、それが、後から気付いたのだが、今日が自分の誕生日であり、そしてこれが自分への誕生日プレゼントになったことだ。本当にこの時にはすっかり忘れていたのだが・・・
さて、見学の方はと言うと、最初は構内の建物をいろいろ説明してもらいながら移動。そして学校だけあって、運動場もあり、そこではたくさんの生徒が運動に励んでいた。そのためにこの奥にある戦艦”陸奥”の実物砲台には近づけず・・・ 日曜日なら案内できるとのことだった。残念だ。そして最後に実際の太平洋戦争で使われ、そして撃沈された特殊潜航艇を見学。これは戦後に引き上げられ日本引き渡されたと言う。そして最後に”教育参考館”へ。ここでは海軍の資料が豊富に並んでいた。明治初期の海軍創設期から始まり、日清戦争、日露戦争と進んでいった。ここまでは資料の豊富さに楽しくワクワクしてみていたのだが、後半太平洋戦争へと入っていくと、もう生々しいあまりそんな気持ちではとても見れなかった。そして最後には多数の特攻などへ進む若い人達の写真と共に遺書が並べられていた。戦時、いろいろな思いを胸に特攻していく生々しい遺書・・・ もう普通には見られなかった。もう最後には涙を堪えるのだけが必死で、もうそれら遺書を見ることが出来なくなってしまうほどであった。そして最後には逃げるようにして出口へと向かった。
こうして1時間半にも及ぶ見学を終え、運動に励む若い生徒らを横目に後にした。いろいろ考えさせられることの多い見学であった。そして学んだことも多かった。学舎をあとにして、このピンバッチを常に携帯or身につけ、今のこの気持ちを忘れないでいたいと思った。今日が誕生日だったんだと、また改めて気付き、そしてこの手に握り締めていたピンバッチが自然と25歳のプレゼントとなっていた。何も気にせず買ったバッチではあったが最高の思い出のバッチとなった・・・